13.アウェイクニング・アウェアネス〈3〉
その後、千夏と白無は、救護室を出た。だだっ広くて無機質でいかにも機関っぽい廊下が、部屋の外には広がっていた。
次に白無が何処に行くのか、千夏は知らない。知らないが、とことん着いて行くつもりだった。
「だから、私だけ家に帰るのは無しだよっ」
「……強情」
「そっちが強情でしょーがっ」
互いに平行線な言い合いをしながら、並んで廊下を歩く二人。それでも、千夏に帰る意思がない以上、彼女の方が多少有利であった。
絶対に蚊帳の外にはなってやらないと、千夏は要求を続ける。
「で。何処に行くの? いい加減教えてほしいっ」
「…………」
それに、白無は答えてはくれない。黙ったまま、千夏を振り解くくらいの歩幅で、歩みを進める。
「教えてよ……っと……!」
頑張って、千夏も歩幅を大きくし、なんとか白無に着いて行った。汗ひとつ掻いていない白無とは真逆の現状だったが、なんとか千夏は隣を歩いた。
すると、白無は──足を止めた。ピタリと、立ち止まった。
「おーい?」
千夏は白無へと問うて、覗き込んでみた。その顔は、無表情だった。
「……──」
白無は無表情だったが、何か考えているようでもあった。
そうして、しばらくして。──白無は、顔を上げて言った。
「──有栖と深綠」
「へ?」
いきなり出てきた人名に、ポカンとして固まる千夏。
「……二人がいる場所に、向かっている」
「……──」
続いた言葉を理解するため、千夏はまた少し固まった。
その後、完全に理解をすれば、パーっと嬉しそうな笑みを浮かべる。にへらとした笑みで、千夏は白無を見る。
「そっか。そっかあ」
「……そう。それだけ」
なんてことないと示すように、白無は呟いた。そして、さらに歩みを早めていく。
片や千夏は、かなり疲れていた。
「ま、待って〜……!」
「……」
白無は答えないし、反応もしない。
「待ってよ〜……!」
「……」
やはり、無視である。
それでも千夏は、なんとか歩みを早くした。白無と並んで、歩いて行った。
廊下は広く長く、続いていた。
▽
とある一つの扉の前で、白無はやっと立ち止まった。だから千夏も、やっと立ち止まることができた。
「はあ……はあ……」
千夏は息を吐きながらも、顔を上げて前方を確認する。
前方にある扉は、救護室のものと同タイプで、しかし部屋名は記されていなかった。この部屋が目的地なのであろうが、一体何の部屋なのかは、よくわからなかった。
息を落ち着かせて、千夏は問うことにした。
「ここに……有栖たちがいるの?」
「……うん」
単純で短い返事と共に、白無は小さく頷いてみせる。次いで早速、その扉を軽くノックした。「白無だ」という、短いがわかりやすい声かけも忘れない。
すると、ノック音はよく響いたようで、確かに中にも聞こえたのだろう。しばらくすれば、室内の方から返事が聞こえる。
「──入っていいぞ」
その返事は、千夏にも聞き覚えがある声だ。声質だけは少女なのに、ドスが効いている声──有栖である。
遠慮なく白無が扉を開ければ、確かにその部屋には、有栖と深綠が二人でいた。さらに遠慮なく足を踏み入れる白無に、千夏は「お邪魔します〜」と言って続いて行く。
やがては扉が閉まり、この部屋の人数は四人となった。
千夏はまず、辺りを見回すことにする。
かなり質素な、家具の少ない部屋だった。テーブル一つに、椅子が二つ。
有栖はこちらを見ながら佇んでいるが、深綠は椅子に座って項垂れている。二人に怪我はないようで、千夏は内心ホッとした。
が、怪我はなくとも、精神的な負傷はあるのだろう。深綠の様子は、見ているだけでも心配になるものだった。
「深綠は……どうしたの?」
千夏が問いかけてみても、深綠からの反応はない。代わりに答えるように、有栖の方が首を振る。
「どうもこうもないな。さっきから、ずっとこのままだ」
そう説明を続けて、有栖は小さくため息を吐いた。
それを受けて、千夏はもう一度、深綠に話しかけてみることとする。
「大丈夫……じゃないからこうなってるんだよね。ええっと……」
しかし中々言葉が出てこなかった故に、なんだか不恰好な声掛けとなった。それでも思いは届いてくれたのか、深綠はゆっくりと顔を上げる。
そして彼女は、千夏の顔をジッと見てきた。
「──なんで、私を助けた」
「なんで、と言われても……」
怒っているようなその語調に、千夏は戸惑うように返す。
深綠はまだ、そのままの強い語調で続けた。
「下手をすれば、お前の方が死んでいた」
「ああ、そういう……」
けれど千夏は、寧ろその言葉で納得した。深綠が怒っていることを、その原因を、なんとなくだが想像することができた。
「死のうとしてたヤツを庇って死ぬなんて……みたいな話かな?」
「……そうだ。死にたい奴は、率先して盾にして死なせておけ。生きたい奴だって、突然死ぬこともあるんだ」
次いで深綠が明かした主張は、相変わらず死に急ぐような考えである。そんでもって相変わらず、蹴飛ばしたくなるような主張だ。
ここで語り合うが百年目。話し合いで蹴飛ばしてやろう、みたいな気持ちで、千夏は深綠へと問いかけを続ける。
「君はさ。なんでそういう考えをしてるの?」
「元から……これが常識だ。これ以外、知らないからだ」
それが本心であるように、真っ直ぐと、彼女は答えた。それが常識だとして育ったのだろうと、千夏は思った。
「……生い立ちとか、聞いてもいいもの?」
続いた問いに、深綠は素直に頷いてみせる。
「別に、いい。……なんの面白みもない、孤児が殺し屋として育てられただけの、よくある殺し屋の生い立ちだ」
「……そっか」
そうして明かしてくれた答えに、千夏は短く頷きを返した。
それが常識だとして、小さい頃から意識的に育てられた。だから、それしか知らない。そういう話だった。
蹴飛ばしたい主張だということに変わりはないけれど、向けたい威力は少々弱まったかもしれない。
そんでもって千夏は、一つ思ったことがある。
「それを聞いた上でなら、さっきの問いに答えられるかも」
「……?」
深綠は訝しげな顔をするが、千夏は続ける。
「ほら、『なんで私を助けたのか』、ってヤツ」
深綠が明かしてくれた今なら答えられると、そう思って切り出した。
「…………」
対する深綠は訝しげな顔のまま、沈黙を続けてしまう。
それでも構わず、折角答えが生まれたのだからと、千夏は伝えることにした。
「なんで深綠を助けたのか。それは、抱いている考えが、深綠とは全然違うから。死に急ぐ奴は蹴飛ばしてでも生かしたいと、そう思ったからだよ」
「……──!」
それを聞いた深綠は、まだ黙っている。が、その顔は訝しげなものではなく、ハッとした驚きの顔だった。
彼女の隣で佇む有栖は、黙って会話を聞いていた。
「ふうん。お前は、そういうタイプの殺し屋なんだな」
次に有栖は、深綠へと告げる。何を言うでもなく、けれど含みがある台詞だ。
深綠は、それに対しても訝しげになる。
「そういうお前は……どうなんだ」
けれど対する有栖の態度は、飄々としたものだった。
「私か? 私はちょっと違うさ。ヨーロッパの何処かの、スラム街出身でさ。小学生レベルの学もなかったし、薄汚れていたし……その時金を稼ぐにはこれしかなくて、生きるために殺し屋を始めた。知識は増えたしちょっとは綺麗にもなったが、これ以外の生き方は、もう出来そうになかった。んで、すっごい生存欲があるって自覚もしてる。なんせ、他人に護衛を頼むくらいだからな」
「……生存欲」
深綠はまた静かになって、有栖の言葉を反芻する。新たに見えた視点から考えだしているような、そんなふうに新しい表情をしていた。
やがて、少し経って。深緑はゆっくりと、顔を上げる。ポツリポツリと、語り始める。
「……結局のところ。自分が生きる気は、特にないんだ。ルールの上で、それなりに生きているだけだ」
初めて自分自身を振り返るように、彼女は続ける。
「……お前達の常識に従う気も、理解する気も、全くない」
その上で彼女は、非協力的な言葉を伝える。
まだ、続けて口を動かす。
「しかし、生かされたのなら、借りができたのなら……生かされた命で借りを返す、それくらいの心持ちはある」
少しの芯を見せるように、顔を上げて、考えながらも言い切った。
まだ、考え途中なのだろう。生まれ持ってのことなのだから、それが当然でもあるだろう。けれども確かに、少し変わったような宣言だった。
その語りを、白無も静かに聞いていた。彼女個人の方でも、何かを思い、考えているようだった。
「──ルールの上で、生きている。それは私も、なんとなくわかる」
そして、白無は呟く。考えていたことを、不明瞭にこぼす。
しかし、対する深綠は、
「……いや。お前は、そういう者とは違う」
そう言って、小さく首を横に振った。
「……」
「少なくとも、私はそう感じた」
続けて、深綠は自身の意見を述べた。お前は私とは違うだろうと、寧ろ良い意味でそれを告げていた。
「……──」
それを受けて、白無は考え直しているようだった。しかし、その考えを直せるだけの経験が、彼女にはまだないようでもあり。
「……そうか。……よくわからないが、貴方が言うなら『違う』のだろう。と、思う」
最終的に白無が出した結論は、結論と呼ぶには大袈裟で、曖昧なモノだった。
けれど。それで話は終わりだと、それで良いと、白無は思っているようだ。
彼女は、本当に話を切り上げて、有栖と深綠をぐるりと見回す。
「なるべく『殺させない』ように、二人の様子を見に来た、それだけだった。……多少は元気になったようで、良かったと思う」
そして、淡々と、締めくくりのように、纏めるように話す。
それだけで用事は終わりだと、白無は扉へと向かって行く。
「それじゃあ。……行こう」
「え? ま、待ってよっ」
相変わらず素早い歩きに、千夏は慌てて着いて行く。千夏としても、白無へ思うところは色々あったが、まだよく言語化はできなかった。
次いで、白無が扉を開けた後、彼女はふと、後ろを向いた。それによって、彼女は深綠と目が合った。
「……」
「……」
白無と深綠は、互いに見つめ合い、けれど沈黙したままだった。
「何かあったら……借りは返すつもりだ」
「……そう」
やっと深綠が放った言葉に、白無は頷きだけを返した。
そしてまた、今度こそ、白無は扉の外へ向かって行く。
「二人とも、さようならっ」
千夏の声を最後として、白無も千夏も、この部屋から去って行った。
▽
その後の二人は、また廊下を歩いていた。ごく自然に早歩きをする白無に、千夏も着いて行っていた。千夏が「どこに行くの?」と聞いてみれば、「……セーフハウスに帰る」とのことらしかった。
早歩きにもちょっとは慣れてきた様子で、千夏は話を切り出してみる。
「あ。そういえば結局、あの部屋って何の部屋だったんだろ?」
「……ただの、空き部屋。」
返ってきたのは、白無による単純な答え。
「ああ。だから、特に名前がなかったんだ」
すぐに千夏は納得して、手をポン、と叩いてみせた。よってその会話は、短くそこで区切りがついた。
そんでもってその後すぐに、千夏は次の話を切り出す。
「あの二人……有栖と深綠は、どうなるのかな?」
スクエアの中にいて、つまりは捕まったも同然な状態の殺し屋が、どうなるのか。千夏は少々心配していた。
それに対して白無は、先程よりも長めに答える。
「『スクエア』で迎える、と、そういう目標を掲げている。……主に先生が言い出して、先生が主導で。スクエアは、国家機密の情報機関としては──かなり変な部類らしい。そう聞いているし、私もそう思う」
「おお。あの人っぽい目標だね……」
千夏は、感心するような声を返した。ならば安心だろうと、そう思った。
殺し屋を迎えるなんて、確かに変わった組織であると、白無の言葉に納得もした。
「良く言えば、温かい組織。悪く言えば……緩い組織」
「……はは」
続く白無の言葉には、千夏は苦笑いで返した。
それから二人は、無言で歩いた。
それからさらに、しばらくまた無言で歩いて、その後。次なる話題を繰り出すのは、珍しいことに白無であった。
「……一つ、聞きたいことがある」
「うん? 白無が私に? 勿論良いけど、どんな質問?」
千夏は意外さを露わにしながらも、嫌なわけもなくそう返す。
対する白無は、少々言い淀むことはしながらも、話すと決めたようだった。そして、静かに語り出す。
「私は……決まったルールの上で生きているわけでは、ないのだろうか。『殺されない、殺させない』と、ルールを決めていたはずなのに。……違うのかな」
彼女にしてはやはり珍しく、迷いが窺える声をしていた。その迷いを晴らすことに協力したいと、千夏は思った。
だから千夏は、真面目に考えて答えようと思った。
「うーん……なんとなくだけどね。白無のそれは、決まったルールと言うより、『決めているルール』って感じるかもなあ」
断定しきることはできなかったが。それでも千夏は意見を告げた。
しかし、対する白無の様子に、あまり変わりが見えはしない。
「……やはり、よくわからない」
「うーん……そっかあ」
さて、どうしようか。次の意見を考えながら、千夏は軽めに相槌を打つ。白無のためにも、何か助言をしたいと思った。
「つまり、白無はルールを自分から意識している……って、私はそう感じているのかも。決まったルールで動くんじゃなくて、決めたルールで自分から動いているんじゃないかなあ……っていうか。私のことを心配してくれているのは、『殺させない』っていうルールの元、とかじゃなくて、白無自身の思いなんだなって、そう感じる」
やがて、感じていたことをさらに噛み砕くように、千夏は続けた。またもや曖昧な口調になってしまったが、先程よりはわかりやすいと言えるだろう。
よって白無の方も、千夏の言いたいことがわかった様子であり、
「……そう、なのかな」
曖昧ながら、意見を受け取るように呟きをこぼした。そして、自分の言葉を少しずつ続ける。
「なんとなく、わかった、とは思う。けれどまだ……うまく理解できない。……自分のことが、少し気になる」
もう、迷っているようには見えない。寧ろ、自身に向けて興味を持っているという、少し変わった状態だった。
その状態は、少なくとも千夏にとっては、悪いものには決して見えない。
「まあ。それで良いんじゃないかな」
だから千夏は、安心した様子で賛成を告げた。
「……そう」
白無は短くそれだけを答えて、再び、沈黙を続けた。千夏も静かになって、二人してまた黙ったままで、廊下を歩いた。
そろそろ、出口のような扉が見えてきた。想像していた大きな出口ではなく、普通のサイズの扉。白無が目指していたのは、非常口であった。
それを、二人して順番に通りながら、ふと、千夏は思う。
──彼女はここから、少しずつ変わっていくのだろうか? 自分に興味を持って、どうなっていくのだろうか?
そう感じても、千夏はどこか安心していた。
白無は白無のままであると、それだけは確実なのだから。




