10.プリクエル・シークエル〈1〉
あれは七年前の、七月十九日の記憶だった。一日中晴れていて、陽も照っていて、一日中特に暑かった。
その日のことは、今でも鮮明に記憶している。
朝っぱらから『先生』が、らしくもなく真剣な顔をしていたのを覚えている。そのままの様子で呼び出されたから、七年くらい前の私でも、少し不思議だなと感情を抱いた。
『この子の護衛、頼まれてくれない? 護衛対象にはなるべくバレないように、お願いしたいんだけれど』
『狙われている理由は。護衛期間は。……詳細を』
先生の頼みに対して、私は冷静に要求した。
その要求に返ってきた詳細は、少し難しい事情だった。けれども、仕事を断るという選択肢は、私の知識にはないことだった。
それを承諾した私は、私が住んでいる東京から、護衛対象の住んでいる神奈川まで、足で移動をすることになった。
神奈川で、護衛対象を見つけた。隠れて、それを尾行した。
護衛対象は、十歳くらいの女の子だった。両親と呼ぶのだろう存在と一緒に、料理店で夕食をとっていた。
料理店の近くにあった茂みの、その陰に隠れた。
女の子が笑うと、両親は笑った。両親が笑っても、逆に女の子が笑った。そういう仕組みなのだろうかと考えて、多分違うだろうと思い直した。
自分にはないモノがある護衛対象なのだと、そう結論づけた。
私がその日から始めたことは、その女の子の護衛だった。先生の要求通りの、『なるべくバレない』護衛であった。
その料理店の二百メートル程先に、狙撃手がいる。そんな大事な情報が、先生から入ってきた。
狙撃手がいる場所へ、襲撃を仕掛けることにした。
人気のない橋の上にいた狙撃手へと、隠れて近づいていった。そして、包丁の柄で後ろから殴って、一発の打撃で気絶させた。
狙撃手は、後で先生たちに回収された。
女の子の護衛任務での、最初の撃退相手は、その狙撃手だった。富豪に雇われた殺し屋だと、後からそんな情報を知った。
事を終えた私が料理店に戻ると、女の子はまだ笑っていた。
オムライスを食べながら、笑っていた。つまり『美味しい』ということなのだろうと、だから笑ったのだろうと、そこは普通に予測できた。
両親と一緒に料理店から出ても、女の子はずっと、笑っていた。『暑い』なんて言いながらも、何故か表情は笑顔だった。私は尾行を続けるため、今度は赤いポストの陰に隠れて、女の子の近くへと移動した。
暑いのなら、何故笑うのだろうか? そんなに笑って、飽きないのだろうか? 表情筋が疲れないのだろうか? 先生などへも思うことだが、笑うという行為、それ事態が不思議だった。
私は女の子の真似をして、少しだけ口角を上げてみる。──やはり、よくわからない上に難しかった。
私の表情筋は、特別動きにくいのだろうと、今度はそう結論づけた。
その後も、女の子の護衛は続いた。
数日に何回も狙われる時もあれば、一週間に一度も狙われない時もあった。
どんな時でも、私たちの存在は一回もバレることはなく、その女の子を護り続けた。
こちらは何年も見てきて、ずっと知っているけれど、女の子の方は何にも知らない。
そういう関係の護衛を、仕事として続けていた。
──もし私を見つけたとしたら、あの子はどう思うのだろうか?
ふと湧いてきた考えを、私は打ち消した。
先生との約束は守らねばと、そう思い直した。
ちょうど七年後、先生との要求は、不可抗力で破られてしまった。
昨日、七月十九日のことを、私は絶対に忘れない。
あの子が私を、見つけてしまった。──見つけてくれた。
私と接する時も、あの子は全然変わらなかった。
隠れて見てきた時と同じ。私が特に不思議に思う、そんな種類の人間だった。
あの笑顔が無くなったら、多分その時、私は『悲しい』と思うのだ。
胸が張り裂けそうな感覚が『悲しい』だと、私は知識として知っていた。
それをやっと、感覚としても理解した。
あの子に早く起きてほしいと、そう思った。
怪我は大丈夫だと言われても、やはり何処となく落ち着かなかった。
これが多分『心配』なのだと、そう思った。
「……千夏」
ベッドの上のあの子を見て、私は独り言を呟いた。
その声は誰にも聞かれずに、空気の中に消えていった。




