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9.結合

 ある日の正午。気持ち良く寝ていたコウジのスマートフォンに、電話が掛かってきた。

 ポンポロロンロンポンポロロン。

 甲高い音に起こされたコウジは、だるそうに画面を見た。見たことのない電話番号だ。

 誰だよ。まだ眠たいのに。変な奴だったらみっちり怒ってやろう。コウジは興味本位で電話に出てみた。

「はい。もしもし」

「もしもし。紫水コウジさんのお電話で、間違いないでしょうか。私、タケナカヒロコと申します」

 女性の声がした。

「はい。紫水です。合ってますよ。ところで、タケナカ、さん? すみません、どなたでしょうか」

「紫水さん。以前、交番に財布を届けられたと思うのですが、私、その持ち主です。おかげで無事に戻ってきました。その節は本当にありがとうございました」

「ああ、なるほど。その方だったんですね。いえいえ、どうも」

「それで、謝礼をお渡ししたいと考えているのですが、どこかで待ち合わせなどさせていただきたいのです。本当に助かりましたので、できれば直接お礼申し上げたいと思いまして。もし差し支えなければ、私の方から紫水さんのご自宅まで伺います。今日でも大丈夫です」

「あーそうですか。んー。じゃあ、はい。でしたら今からお願いします。住所、言いますね」

 外に出るのが面倒だったコウジは、家まで来てもらうことにした。ちょうど今日は予定もなく暇だったので、こういうことは早い内に済ませておこうと考え、すぐに招いた。

 30分後、インターホンが鳴った。

 ピンポーン。

 彼女が来たようだ。コウジは玄関のドアを開けた。

「どうもどうも。紫水です。わざわざありがとうございます」

「いえいえそんなとんでもない。恩人なのは紫水さんの方です。本当に助かりました」

「あはは。そんな大袈裟な」

「ではこちら、早速ですが」

 彼女は茶色い封筒を渡してきた。言葉遣い、態度、仕草。何事も丁寧で、しっかりとした人だ。コウジはそう思った。

「はい。では受け取っておきます。もう財布、落とさないでくださいね」

「はい。本当に気を付けます。見つけてくれたのが紫水さんのような方で、本当に良かったです」

「あはは。俺はただ、人の役に立ちたいなって思って、届けただけですよ」

 コウジが笑顔を見せると、彼女の表情が強張(こわば)り始めた。

「うっ。うぅっ。ぐっ、ひっ。ぐふっ」

 彼女が泣き始めた。

「ええ。大丈夫ですか、タケナカさん。どうかされましたか」

「うぅ。ぐっ。たっ。感動、してしまって。うっ。あなたに、はぁ、出会えて。ぐっ。ひっ。心が、あぁ、救われました」

「そんなそんな、いくらなんでも。ちょっと大丈夫ですか、ほんとに。一旦、中に入りましょう。少し休んでいってください」

 今日は夕方まで両親はいない。少しくらいなら大丈夫だろうと思い、コウジは彼女を支えながら家に入った。

 ただ、コウジは彼女を心配しながらも、違和感を抱いていた。こんなことで、泣くだろうか。大人の女性が? いや、おかしい。そう思ったコウジは、きっと彼女には何か訳があると思った。

 コウジは落ち着かない彼女に、温かいお茶とお菓子を出した。ダイニングテーブルで向かい合って座り、話を聞くことにした。

「あっ。ありがとうございます。家にまで入れてくださって」

 彼女はだんだんと冷静を取り戻していた。

「大丈夫ですよ。ゆっくりしていってください」

 すかさずコウジが優しく声を掛ける。

「ありがとうございます。………………この財布、とても大切で、私の宝物なんです。今年の母の日に、娘が初めて私にくれたプレゼントなんです」

 かなり落ち着いてきたのか、彼女の方から話し出してきた。

「……実は娘が小学生の頃、夫と離婚したんです。原因は夫の不倫で、相手には妊娠、出産までさせてたんです。養育費も既に、何年も払っていたそうです。娘は当然、私が引き取ることにしました」

「なるほど……。その娘さんからもらった、大切なものだったってことですね」

 思わずコウジは頷いた。

「でも当時の娘は、夫のことが大好きだったんです。絵に描いたようなパパっ子で。その上、顔までお父さん似の子なんです。離婚することになって、もう夫とほとんど会えなくなると知って相当悲しくなったのか、私にはずっと反抗的でした。でも2人で暮らしていくのに、こんな環境ではやっていけないと思い、私なりに、娘にはたくさん愛情を注いできました」

「それは大変でしたね。娘さん、何か変化はあったんですか?」

「はい。休日は2人でピクニックに行ったり、娘が好きなので、映画館にもよく行きました。娘が昔の映画を見たいと言ったときはレンタルショップで借りてきて、家で2人で一緒に観ました。学校の勉強も、わからないところは必ず一緒にやっていました。そのうち娘の方からたくさん笑顔を見せてくれるようになりました」

「すごい。娘さん、ちゃんと気付いてくれたんですね」

「でも娘が中学生になってから、また距離感は離れていきました。本当の反抗期なんですかね。会話も減っていきました。何か悩み事があるなら、相談しなよとは言っていたのですが、娘は何も言いませんでした。考えすぎなのかもしれませんが、学校で何かあったのかもしれないと、毎日心配でした」

「ただの反抗期ならまだしも、中学生になった途端となると環境の変化もありますし、たしかに心配にはなりますね」

「でも高校に入学してから、娘の表情が明るくなったように感じました。毎日楽しそうに登校するようになりました。やっぱり中学で何かあったのかなぁとか、それとも、単に高校という場所に恵まれたのかなぁとか、考えたりしました。でもそのときの娘は本当に楽しそうで、もうあまり暗いことは聞かないでおこうと思いました」

「そうですね。今が楽しいなら、それが1番ですもんね」

「そんなとき、高2になった娘が今年の母の日にこの財布をプレゼントしてくれたんです。手紙も添えられていました。たしか内容はこんな感じだったと思います」



お母さんへ


 大好きです。今までいっぱい迷惑かけちゃっててごめんね。特にお父さんがいなくなったばかりのときの、あんな私、嫌だったと思います。それなのに毎日笑顔で、いっぱい愛してくれて、私はとっても幸せ者です。

 おかげで私はここまで大きくなれました。どれも全部、お母さんのおかげです。

 いつも仕事で疲れてるのに、ずっと私を優先してくれて、とても感謝してるし、尊敬もしてます。ご飯だって超美味しいよ。小さいときは、お母さんのありがたみにあまり気付けなかったけど、私も家事をするようになって、今となってはお母さんの偉大さを身に染みて感じています。

 こんな私ですが、これからも仲良くしてください。プレゼントは、私からの感謝の気持ちです。きっと似合うと思います。お母さん、ずっと大好きです。



「すごくいい娘さんですね。そりゃあその財布、宝物のはずですよ。間違いない。もうすっかり、仲良し最強親子って感じですね」

「娘はもうこの世にいません」

「え」

「3ヶ月ほど前に、自殺しました。駅のホームから飛び降りたんです」

 あの子だ。3ヶ月前、駅のホーム、飛び降り自殺、女子高生。こいつはあの子の母親だ。俺が毎日盗撮をしていた女子高生。その実の母親だ。コウジはそう確信した。

「そうでしたか。お悔やみ申し上げます」

「今思えば、あれが関係してたのかなぁって。思うことがあるんです。母の日のあとのことです。高校生になってずっと楽しそうにしていた娘が、ある夜、泣きじゃくりながら帰ってきたことがあったんです。その日は何を聞いても答えてくれませんでした。ただあとから他の子に聞いた話によれば、その日は中学校の元クラスメイトとの集まりだったらしいんです」

「ほう」

「その日から娘は、元気のない状態で帰ってくることが多くなってきたんです。結局、最初に泣いて帰ってきた日から2ヶ月ほど経ったある日、自殺したんです。絶対に、絶対に何かあると思うんです。やっぱり中学時代が怪しいんです。娘がいなくなってから、学校や警察にも相談しましたが、証拠もないし事件性もないので、何もわからない、と。そのまま時間だけが過ぎてしまいました」

 彼女は深刻そうな顔で、少し(うつむ)きながら話し終えた。

「プフッ」

 コウジが吹き出した。

「……え?」

「プフフッ。フッ。はっはっはっはっは。あーはっはっは。ひー。面白い。いひひっ」

 コウジが狂ったように笑い出した。

「え、と。ちょ。なんですか、急に」

 彼女が動揺する。

「だから娘さん、死んじゃったのかな」

「え」

「いや、あなたがそんなんだから。そのときに本気で何とかしようとせずに、あとからあとから行動するんだもん。だから娘さん、死んじゃったのかなって。思っただけですよ」

「…………」

 彼女は苦いものでも食べたような顔でコウジを見つめる。

「え、まだわからない? 自覚症状なし? それは重症だなぁ。診断結果、後回し症候群。なんつって。いっひっ。いっひひひひひひひひ」

「どういう、つもり、ですか」

 彼女の沈んだ声がした。

「だってタケナカさん、思ってるだけで本気で行動しないんだもん。中学のとき、娘さんの様子が変だったんですよね? それなのに悩み事があったら言ってねって。そう言って放っておいてたんでしょ? 何であなたが受け身なんですか。子どもの悩み事は、大人が探っていかないと。高校のときも、結局娘さんが元気になったからって安心したんでしょ? それこそ聞けるチャンスだったんじゃないですか? もっと前の話でも、小学生の娘さんとピクニック、映画館、お勉強って。そんなの母親として当たり前のことなんじゃないんですか? それを何か、自分は人一倍頑張ったみたいに言ってぇ。そんなのただの自己満足ですよ? 娘さん、きっといじめられてたんですよ。中学の頃から。それが一旦、高校に入ってなくなりはしたけど、またいじめっ子と会う機会ができて、そこから再発した。考えればわかるじゃないですか。それに今はSNSってものがあるんです。学校が違っても、距離が離れていても関係ないんです。スクリーンに乗せた言葉で人を殺せる時代なんです。結局、死んでから学校だの警察だのって。はぁーあ。そりゃ死ぬよ。だって遅いんだもん。本気じゃないんだもん。いいですか? 行動っていうのは、基本的に遅れれば遅れるほど損をします。なぜなら、人生の時間は限られているからです。これを今日から胸に刻んで生きていけば、ちょっとはマシな人生、送れるんじゃないですか」

「な、ちょ、ど。で、でも、自分でも色々調べたりしました。もしいじめが発覚した場合、相手を処罰することはできるのか、だとか、損害賠償はどう求めるのか、だとか。私ができることは、やったつもりです」

「いきなり割り算から学ぼうとする人がどこにいるんですか。だからだめなんですよ。足して、引いて、掛けて、割って、少しずつ難しくしていくから身に付くんです。役に立つんです。勉強だってスポーツだって、簡単なことから始めるから成長するんです。いいですか? 成果を得るためには、守るべき順番ってものがあるんです。あなたは何もわかっていない。タケナカさんはそのやり方で、本当に娘さんのためになると思ったんですか? ややこしい法律のことなんて調べる前に、もっとやるべきことがあったはずですって言ってるんです」

「あぁ、はぁ、は、はい。はぁ」

 確信を突かれ、後悔に襲われる言葉の数々に、彼女は正気を失っていた。

「ん、そういえば。タ、ケ、ナ、カ? タケナカ? あなた、タケナカさんって言うんですよね」

「は、はい」

「それってどんな漢字ですか?」

「あ、ああ、ちょっと変わってるんです。植物の『竹』じゃなくって、その、あの、長さの単位の『丈』って書くんです、はい。大丈夫の、丈、です。それで、丈中です。は、はい」

 丈中ヒヨリ。偶然か? そんなことがあるのか?

 もし、こいつの元夫が不倫してできた子どもが丈中ヒヨリだったとしたら。そしてこいつはこいつで離婚したあとも、パパっ子でまだ幼かったあの娘さんのために丈中の姓を変えず、そのまま今に至ったのだとすれば…………。

 たしか娘さんの顔はお父さん似。そして丸い団子鼻。丈中ヒヨリも、あの子によく似た団子鼻だった。ヒヨリとあの子は腹違いの姉妹だった……。

 そういうことだと考えた方が自然か。だとすると、ものすごい運命を感じる。


 とてつもない繋がりと、奇跡的な出会いの連続。そして偶然の数々。人生というのは意識していないだけで、実はそんなもので溢れているのかもしれない。

 息を荒らしながら足早に去っていったヒロコの背中を見ながら、1人全てを知ったコウジは思った。

「今日はなんだかツイてる気がする。駅前の宝くじでも買いにいこうかな」

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