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8.豪運

 ある金曜日の夕方。紫水家ではコウジとその父、母が3人で夕食を取っていた。

 白飯をもぐもぐと食べながら、こもった声でコウジが話す。

「この焼肉のタレ、まじでうまいんだよね。もはや肉なしでいい。これでご飯食べれる」

「ははは。食費の節約になっていいじゃない」

 母が笑いながら返すと、茶を注ぎながら父も会話に入る。

「お金の代わりに体が犠牲になりそうだけどな」

 今日もくだらない話をしながら、家族は団欒の時を過ごしていた。

 するとインターホンの音が鳴り響いた。

 ピンポーン。

「誰? こんな時間に」

 コウジが外の様子を伺いにモニターを見にいく。するとそこに映っていたのは、紫水家の長女、紫水ユカリの姿だった。

「姉ちゃん!? 姉ちゃんじゃん!」

 コウジの声を聞いた母が驚いて箸を止めた。

「嘘、ユカリ? 急に? コウジ、すぐ玄関開けてあげて」

 ユカリは数年前に就職し、実家から電車で1時間ほどの街で1人暮らしをしている。元々1〜2ヶ月に1回ほどのペースで帰ってきてはいたのだが、事前に連絡がなかったのは今回が初めてのことだった。3人は突然の意外な訪問者に戸惑いつつも、とりあえず中に入れて話をすることした。


 しかし彼女の様子が何かおかしい。3人の声にも反応しない。床のどこか一点を見つめたまま震えていて、喋ろうとしない。今の季節は冬。確かに外は寒いが、この震えは、そのせいだけではない何か別の意味も含んでいるように見えた。

 数十秒の間、沈黙に時間を預けていると、ついに彼女が口を開いた。

「私。宝くじで1000万円当たった」

「えぇ!?」

 3人は目を丸くして数秒見つめ合った。今の状況を整理しようとした。

 母が落ち着いて問いかける。

「ええっと、ユカリ? ちょっとあまりわからないけど、宝くじが当たって、その、それを、伝えにきたってわけ?」

 ユカリが震えながらゆっくりと首を横に振る。

「違うの。今日帰ってきたのはそれだけじゃない。困ってるの。怖いの。あいつが。あいつをどうにかしたくて。何とか。でもどうしたら。お母さん、お父さん、コウジ。助けて、お願い」

 泣き出しそうな娘を母が優しくなだめる。

「大丈夫だから。ゆっくり話してみて。一体何があったの?」

 一呼吸置くと、ユカリが話しはじめた。

「3ヶ月くらい前のことなんだけど。友達とお昼ご飯食べ終わったあと、解散して1人で帰ってたとき。駅前でおっさんと思いっきりぶつかったの。歩きスマホしてた私も悪いんだけど、相手結構ガタイ良くて、そのまま突き飛ばされて尻もちついたの。痛がってたらおっさん見向きもしないで無言のまま早歩きで行っちゃったの。まあそれはもういいし、ただのキッカケに過ぎないんだけど、なんか嫌な感じって思ってたら通りかかった若い男の人が『大丈夫ですか?』って声かけてくれて。それが高校時代の元彼だった」

「わーお。すごい偶然」

 真剣に話すユカリの間に、力の抜けたコウジの声がした。

「それで、付き合ってたのなんてもう何年も前のことだし、久しぶりって感じで、5分くらい立ち話してたの。そしたら、相手大学生だし、今からバイトってことで会話は終わるんだけど、たまたまそのバイト先が目の前にあった宝くじ売り場だったの。話の流れでせっかくだしってなって、そこで宝くじ1枚だけ買ったら、1000万円当たった…………」

「さすがに嘘でしょ? 何かドッキリしてる? いきなり帰ってきて、もう十分驚いたよ」

 あまりのできすぎた話に、母が疑いの目を向ける。

 するとユカリは何やらカバンをゴソゴソと漁り出し、中から通帳を取り出した。開いて見せられたページには、1000万円が振り込まれた明細が確かに記帳されていた。

「いっ!? やばっ! まじじゃん!! 姉ちゃん! すんご!!」

 コウジが思わず大声を出す。

「宝くじ当たったら、なるだけ人には言わない方がいいと思ってたから。だからみんなにも黙ってた」

 3人は嘘のようなその事実に驚きを隠せなかった。するとユカリは表情を変えないまま、静かに話し出す。

「ここからが本題なの。1000万円当たってから何週間かして、そのことをどうやって知ったのかはわからないけど、元彼がめちゃくちゃしつこく連絡してき始めたの。『付き合ってたときに貢いだ分返してくれ』とか、『お前が原因で別れたんだし俺は満足してなかった』とか、とにかく近づこうとしてくるの。ずっと受け流してたんだけど、その内家まで特定してきて、宅配業者装って中まで押し入ってきたときもあった」

 ユカリの元彼は、その性格に重たい部分があり、特に男女交際となると顕著にそれが現れる人間だった。

 交際当時、ユカリからの連絡が少し遅れると激しく怒ってきたり、ユカリが友達と遊びに行くときには、誰と、どこで、何をするかなど、細かく知りたがった。そんな毎日に嫌気が差したユカリは彼を避け始め、連絡もしなくなり、そのまま2週間ほど経ったところで一方的に別れを告げた。彼はそのことに対して不満を持っていたのかもしれない。別れたあとも隙があればユカリに近づいては話しかけてきた。

 しかし高校を卒業してからは、そんなことはパッタリとなくなった。解放されたユカリは平和な日常を取り戻し、そんな彼のことも忘れてきていた。そんなときに起こったことだった。ユカリはまたあの頃と同じ恐怖に怯え、今度は殺されてしまうのではないかなどと考えていた。何より、彼のひどいストーカー気質な性格は、ユカリ自身がよく知っていた。

「警察には、相談したのか?」

 父が心配そうに尋ねる。

「できない。そんなことしたらもっと恨みを買って、事が落ち着いてきたときに何してくるかわからない。もう怖い。私1人じゃとても我慢できなくて、それで帰ってきたの」

 ユカリは神経を擦り減らし、かなり悩んでいる様子だった。そのまま逃げるように実家に帰ってきていたようだ。だから連絡する余裕もなく、突然のことになってしまったのだ。

 数分の間、両親はユカリの側で肩を摩りながら慰めていた。とりあえず、ユカリの精神を回復させるために今できることはそれくらいだった。こんなとき、どうすればいいのだろうか。何か平和に解決できる方法はないのだろうか。全員がそのようなことに考えを巡らせ、未だ結論が出ないままでいた。

 そのとき、不意にコウジの声が響いた。

「俺にいい考えがある」

「え?」

 全員が期待の目でコウジを見る。

「騙されたフリをするんだ。姉ちゃんが詐欺に遭うんだよ。わざと。それでお金がなくなったことをアピールすれば、それどころではないと相手に思わせることができれば、お金目当ての人間は諦めるんじゃないかな。どう?」

 3人が一瞬言葉を失う。父が聞いた。

「えぇっと、つまりどういうことだ?」

「俺が詐欺師役をやるよ。相手がしつこく求めてくるんなら、執着心が強い奴なんだったら、徹底的にやろう。電話を掛けて、騙されて、お金を振り込むところまで。全部の証拠を残しておけば、相手も嘘だと責めにくくなる。『本当に詐欺に遭ったんだ』と思わせることが大切だ」

「なるほど。その考えはなかった。確かに求めるお金がないのなら、相手は諦めやすいかもな」

 父が納得する。

「詐欺の電話は、また俺から掛けるよ。新しい銀行口座も用意するから、少し時間がかかるかもしれないけど、準備できたらまた連絡する。とにかく姉ちゃんはこの土日、ここでゆっくり過ごして」

 全員が良い解決策を見出せない状況であったため、3人はコウジの案に頼ることにした。少し変わったやり方ではあるが、うまくいけば平和に終わらせることができそうだ。そんな期待を胸に、その日は数ヶ月振りに家族4人で就寝した。


 日曜日の昼。紫水家では父と母は外出していて、コウジも朝からアルバイトのため家を出ていた。ユカリは明日から仕事があるため、1人で身支度をしていた。

 そんなとき、ユカリのスマートフォンに電話が掛かってきた。

 ピロリラリンリン、ピロリラリン。

 非通知だった。ユカリは咄嗟に思い出した。2日前、家族で話したことを。

 きっとコウジだ。コウジが電話を掛けてきているのだ。今はアルバイトの休憩中か何かはわからないが、こんなときに非通知で掛けてくるのはコウジしかいない。ユカリはそう信じ、録音して電話に出た。

「もしもし。突然のお電話恐れ入ります。私、金融庁職員のイワタと申します。紫水様でお間違いないでしょうか」

 男の声がした。明らかにコウジの声ではなかったが、今の時代は何でも加工することができる。きっと何かしらの方法で音声を操作し、電話を掛けてきているのだろう。

「はい。そうですけど。どうかされました?」

 そのまま男は妙に落ち着いた声で、ゆっくりと、かつ巧みに話を進めた。そして300万円を指定の口座に振り込むことを要求してきた。

 高すぎないか? いくら詐欺に遭うフリをするにしても、そんな大金を移動させる必要はあるのか? 家族間だとわかっていても、不安になる金額だ。

 だがこれも、弟が私のために考えてくれた作戦。従うよりほかはない。それに、大金を盗まれて弱った私を見せた方が、元彼もお金を求める気が失せるかもしれない。ユカリはそう考えた。

 コウジは2日前に、「徹底的に、そして全部の証拠を残しておこう」と言っていた。300万円も、実際に振り込むということだ。そうすることによって、いざというときに、元彼に物的証拠として偽りの事実を提示することができる。

 ユカリはスマートフォンを操作し、インターネットバンキングを利用してすぐに300万円を振り込んだ。これで履歴が残る。大切なのは、実際に詐欺に遭ったということをどれだけ再現できるかということなのだ。口座もコウジが準備してくれたもの。全てはこの地獄から抜け出すためだ。そう願い、電話を切った。


 夕方までに帰宅してきた両親に、今日コウジから電話が掛かってきたことを話した。全ての証拠を残し、作戦は上手く遂行されたことも話した。これであとは元彼に詐欺に遭ったことをアピールするだけ。そして離れてもらおう。もう大丈夫だ。そんなことを話していた。

 もうすっかり夜になった。コウジの帰りを待つ前に、ユカリが自宅へ帰ろうとしていたときだった。

 ガチャリ。

 玄関の扉が開く音がした。コウジだ。アルバイトから帰ってきたのだ。

「ただいまー」

 すぐにユカリが玄関へ向かう。

「おかえり! お昼はありがと! バイトもあっただろうに。けど早めに行動してくれて助かった!」

 靴を脱ぎかけたコウジは動きを止め、不思議そうな顔をした。

「え? あぁ。どうも。今日はあんまり忙しくなかったから楽だったや」

「300万円。思ったより大金でびっくりしちゃった。まあでも、それも作戦のためだよね」

「いや、なに? どうした? 姉ちゃん、とうとう壊れた? あはは」

 コウジが呆れたように話す。

「ん、言ってた詐欺の電話のことだよ。今日振り込んだじゃん」

「あぁー。そのことね。はいはい。うん。え、で、何。振り込んだ? 気、早くない? どこに?」

「今日電話で話したじゃん。コウジが準備してくれた口座」

 少しの間で、家が静まり返る。

「ん。俺、今日誰とも電話なんてしてないけど。しかもまだ口座作れてないんだよね。なかなか時間取れなくてさ。明日には作りにいくよ」

 ユカリの背筋が凍った。一瞬、理解に苦しんだ。何が起きているのだ。コウジはふざけているのか? すぐにユカリが聞き返す。

「え、何。どういうこと。今日電話したじゃん。それで、振り込んだよ? コウジ言ったじゃん、この口座に振り込んでって。まあ、電話上は詐欺師として、だったけど」

「え」

 コウジの顔が固まる。

「何。怖い顔しないでよ。指示通り動いたよ? 私」

「姉ちゃん」

「…………なに」

「姉ちゃん、それ、本物の詐欺だよ」

 コウジがユカリの目を凝視した。リビングから廊下越しに2人の会話を聞いていた父と母もこちらを見た。

「姉ちゃん! しっかりしてよ! 俺電話なんてしてないって! 今日はずっとバイトって言ってたじゃん! たまたまだよ! たまたま今日、詐欺の電話が掛かってきたんだよ! 第一、準備できたらまた連絡するって言ってたじゃん! 俺まだ連絡してないよ!」

 とても演技とは思えない弟の表情と声色に全てを悟り、ユカリは膝から崩れ落ちた。

 ユカリは、宝くじの当選によってとてつもない幸運を手にしたあと、信じられない不幸に見舞われていたのだ。それは、偶然が生み出した必然の物語であった。全てが重なり合ってしまった。タイミングが悪すぎたのだ。

 元彼との再会、ユカリの高額当選、ストーカー被害、コウジの作戦、詐欺師からの電話。そのどれが欠けても、このような結果には至らなかった。

 ただ、ユカリはどちらにしろ大きな得をしていることに変わりはない。しかし元々なかったお金であったとしても、大金を失ってしまったショックは大きい。

 家族に助けを求めたユカリ。思い切った作戦を提案したコウジ。それに賛成した父と母。決して誰も悪くはなかった。全員が、目の前の問題を協力して解決しようと努力した結果、こうなってしまったのだ。

 過ぎてしまった過去には戻れない。それがこの世の条理である。一家は高い勉強代を払ったと思って、ただ事実と向き合い、深く反省することしかできなかった。


 こうしてコウジは誰にもバレることなく300万円を手に入れることに成功した。

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