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7.現実

 コウジとヒヨリが付き合い始めてから2ヶ月が経過しようとしていた。もう5回ほどデートを重ねたが、その間に大きなトラブルや喧嘩はなかった。どこにでもいる普通のカップルのように、2人は仲を深めていた。

 ただヒヨリは正直、コウジに対してだんだんと疑問を抱き始めていた。思えば最初に遅刻されたあの日から、やはりおかしかったのかもしれない。あんなことを言うのは、この人だけなのかもしれない。しかし優しいときもある。笑わせてくれるときもある。そのときは本当に素敵な人に見えて、とても心が温まる。やっぱりこの人がいいと、そう思える。ただ、たまに変なことを言ったりする。その度に彼女の心は揺れていた。幸せと不安の狭間を、何度も往復していた。

 ある日。2人の休みが合ったため、今日はデートの約束をしていた。

 天気は雨。外出しにくいからと、この日は紫水家での家デートだった。ちょうどコウジの両親が夜まで外出しているので、それまで2人でゆっくり過ごそうと話していた。

 午後1時前。コウジは家でヒヨリを待っていた。

 ピンポーン。

 彼女が来た。玄関のドアを開けると、雨に濡れた彼女が入ってきた。

「おじゃましまーす。外、雨すごかった」

「結構濡れてるじゃん。着替え用意してないから、全裸だね」

「あはは。意地悪やめてよ」

 ヒヨリがシャワーを浴びたあと、2人はリビングのソファに座ってテレビを見ていた。温かいお茶を飲み、お菓子を食べながら、コウジが提案した。

「映画でも見よっか」

「いいね。ホラー系ある?」

 最初こそ2人は映画とやらを見ていたが、すぐに興味はなくなった。そう長くは持たなかった。

 2人は体を重ねた。お互い初体験だった。異性の肌に触れる興奮。好きな人と交わる幸福。初めて味わうとてつもない快感。胸がドキドキした。手探りで求め合った。


 事を終えた2人は、仰向けで体を寄せ合っていた。

「こんな感じなんだね。すっごい幸せ」

 ヒヨリの嬉しそうな声がした。

「うん。ヒヨリめっちゃ可愛かった。気持ち良かった」

 ふとヒヨリの顔を見た。うっとりとした顔でこちらを見ている。なんだか眠たそうにも見える。薄暗い部屋の中、2人の呼吸が重なる。そしてコウジは思った。

「おいしそうな団子鼻」

 行為中は興奮していてすっかり忘れていたが、コウジからしてヒヨリの1番の魅力は間違いなくそれだった。

 そして今、目の前にそれがある。表面は脂と汗で若干きらめき、滑らかな曲線で形作られている。丸くて柔らかそうな鼻。食べてみたい。抑えられるはずなどなかった。

 はむっ。

 コウジはヒヨリの鼻を咥えた。目を見開き、瞬間、勃起した。

 ぷにぷにしていて、歯応えもある。何とも気持ちがいい。咥えたまま、表面を舐め回した。

 ネロネロネロネロネロネロネロネロ。

 コウジの息が荒くなっていく。そして鼻の穴に舌を捻じり入れた。

 グニグニ、グリングリン。

 唾液で穴の中が濡れていく。彼女の鼻毛に擦れた鼻くそや鼻水が、舌に付着していく。少ししょっぱい味がした。コウジは激しく興奮した。

「や、めてっ」

 ヒヨリがコウジを力強く押し退けた。

「急になに。びっくりした。やめてよ、そんな」

 ヒヨリは息が切れていた。

「あまりにもおいしそうだったから。つい。びっくりさせたのは、ごめん」

 コウジが弱々しく謝る。

「…………」

「でも、おいしかった」

「え」

「おいしかったよ。俺、団子鼻好きなんだ。言ってなかったよね。ヒヨリのその鼻、すごく好きなんだ。初めて会ったときから思ってた。ずっと、食べてみたいなぁって。やっと叶った。これもヒヨリのおかげだよ。ありがとう。すごく感謝してる」

 疲れた。ヒヨリはもう、疲れていた。

 今日コウジとセックスできたことは、本当に、心の底から嬉しかった。2人の仲がまた格段に深まった気がしたからだ。

 ただ、いきなり鼻を食べられたこと、そしてそのあとのコウジの発言。もうそれを考えることも、考えようとするだけでもドッと疲れが出てくる。今日はもう帰ろう。彼女はそう思った。

 時刻は午後7時過ぎ。

「私、もう帰るね。ご家族、たしか8時には帰ってくるんだよね。そろそろ出なきゃだから。ありがとう。じゃあ、またね」

「あぁ、うん。じゃまた」

 その日はそれで終わった。コウジはヒヨリが帰ったあとも、しばらく鼻を食べたときのことを思い出して興奮していた。それほど衝撃的で、刺激的な記憶だった。

 一方ヒヨリは、あまり考えないようにしていた。コウジの変な部分を考えると、疲れてしまう。それが自分の愛する人の一部だと、かけがえのない人の一部だと認めてしまうと、自分の中で何かが壊れてしまうような気がしたからだ。現実逃避に近かったのかもしれない。

 それから2人は定期的にセックスをした。交わる度、愛を確かめ合った。


 2人が付き合って3ヶ月が経とうとしていたある日のこと。今日は泊まりでの家デートだった。コウジの両親は旅行していて、2〜3日は帰ってこない。

 午後九時半。2人は晩ご飯を食べ終え、くつろいでいた。

「ちょっと風呂入ってくるわ」

 コウジが部屋を出た。扉がバタンと閉まり、階段を降りる足音が遠のいていく。

 ヒヨリは1人、彼氏の部屋に残された。ゾクゾクとした。緊張と興奮が混ざったような感情に体が襲われた。

 見てみたい。色々と、見てみたい。興味が湧いてきた。ヒヨリは部屋を見渡した。

 クッション、テレビ、ベッド、机、クローゼット、タンス。彼の生活が詰まっている。それはとても興味があるものだ。ヒヨリは目的もなく、部屋を物色し始めた。

 基本的に、物が少ない部屋だった。衣類、書籍、日用品などはあるが、1人で使うにしても少なく感じた。あまり生活感のないような部屋だった。

 そんな中、机だけには、物が集まっていた。小中学生時代の教科書やノート、図鑑、文房具、おもちゃなどが置いてあった。ふと引き出しを開けてみた。その中も、教科書やノートでいっぱいだった。

 ヒヨリは何か、悪いことをしているように感じた。他人のプライベートを勝手に覗いている感じがした。しかしその反面、安心感もあった。ヒヨリはコウジが変な言動を取る度に心配をしていた。この人はずっとこうだったのだろうか。今までどのように人と関わってきたのだろうか。そんなことを考えていた。ただ勉強机を見る限り、心配するほど変な人生を送ってきたわけではなさそうだ。普通の小学生として普通に勉強し、普通の中学生として普通に勉強してきていたようだ。彼も根まで特殊なわけじゃない。結局は他と変わらない、普通の人間なんだ。ただ少し、これだけは譲れないという考え方がいくつかあって、たまにそれが表に出てきてしまうのだ。ヒヨリは1人、そんなことを考えていた。

 勉強机の1番下にある、大きめの引き出しを開けてみた。

 ガラガラガラ。

 簡単に開いた。軽かった。中に物はあまり入っていないようだ。そう思い覗き込むと、ポツンとひとつ、小型カメラが置いてあった。

 なんだこれは。明らかに変だと感じた。もしかして、この中に彼の秘密があったりするのだろうか。引き出しの中に、小型カメラだけを入れておくなんて、きっと何かあるに違いない。胸騒ぎがした。

 ヒヨリはカメラとスマートフォンを連動させ、データを見ることにした。頭の中では見てはいけないものだとわかっていながら、自分の手を止めることはできなかった。

 そこには20本ほどの動画が入っていた。サムネイルには、女の子のお尻らしきものが写っている。

「まさか」

 彼女の鼓動は早く、大きくなった。

 動画を再生した。場所は駅構内、エスカレーターで女子高生の後ろに立った撮影者は、スカートの内側を十数秒に渡って撮影している。

 盗撮だ。このカメラには、女の子のお尻を盗撮した映像が残っている。

 ヒヨリは言葉が出なかった。絶望した。ほぼ確実に、自分の彼氏が何度も盗撮をしていたことになる。その証拠が今、ここにある。問い詰めなければならない。彼氏が犯罪者という可能性がある以上、今日ここで、問い詰めなければならない。その役目は今、確実に、私にある。

 ガチャ。

 コウジが入ってきた。

「さっぱりしたぁ。新しい入浴剤、めっちゃ良い匂いだったわ。ハチミツフルーツの香りだって。ハチミツなのにフルーツって変だよね。ははは」

 よほど風呂に満足したのか、とても上機嫌だ。

 微笑むコウジに向かって、ヒヨリが静かに質問した。

「これ、どういうこと」

「ん、なになに。どれのこと」

「これだって! この盗撮みたいな映像、どういうことって言ってんの!」

 ヒヨリの勢いが強くなった。

「え、勝手に見たんだ。ちょっとショック。まあ、コレクション? そんな感じ」

「じゃあコウジが盗撮したってことで、間違いないの」

「盗撮って言われると聞こえ悪いけどぉ。うん、そうだよ。俺が撮った。たまたま出会って一目惚れした日から、毎朝他に用もないのに駅行って電車乗って、大変だったな〜。でも誰にもバレてないし、迷惑も掛けてないからいいでしょ? 今日ヒヨリにはバレちゃったけどね。はは」

 のんびり話すコウジのあとに、ヒヨリが震えた声を出す。

「どんな頭してんの」

「え?」

「バレなかったらとか、迷惑掛けてないからとか、そんな問題じゃないよ! そんなの通用しない! 普通じゃないよ! 何したかわかってるの! 犯罪なんだよ! 犯罪! 自分が犯したこととか、この子にしてしまったこととか、そんなのは考えないの!? 私の気持ちも考えてよ! そんな人と付き合ってたってわかった、私の気持ちも考えてよ!」

 ヒヨリは涙目になりながらコウジを睨み、怒りを露わにした。

「そんな、気持ち考えてって言われても。そっちが勝手に見つけて勝手に怒ってるんじゃん。普通、人の物漁らないでしょ。そんなこと言うなら、俺だけのコレクション、宝物でもあるよ? それを無許可で見られた人の気持ちにもなってよ。『俺しか知らない』ってところに特別感あったのにぃ」

 そのとき、ヒヨリの中で何かが壊れた。今まで我慢してきたこと、逃げていたこと、疑問に思っていたこと。全ての記憶や感情が一気に込み上げてきた。こいつはだめだ。何を言っても、もうだめだ。思えば、当然のことじゃないか。こいつとは、()()()()()()()()のだから。コミュニケーションというのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだから。そう思った。

「もう、罪悪感とかもないんだね。自分が良ければいいんだね。人の気持ちなんて、考えたことないんだね。人間じゃないみたい」

 もうヒヨリの感情は無に近かった。

「罪悪感? 別にないかなぁ。『苦しい〜』とか『痛い〜』とか、そんな思いさせたわけでもないんだし。てかそいつ、死んだよ」

「え?」

「ほんとほんと。目の前でホームから飛び降りたの。そのまま電車に轢かれちゃった。でも聞いてよ。その日、ちょうどそのカメラ家に忘れちゃっててさ。まさに結果オーライってなって、何か運命感じたよ。あれは奇跡だったなー。そのあともずーっとテンション上がっちゃって。思い出してきたわー、あの感じ」

「…………」

「どしたの? あ、ご飯食べる? 下に肉じゃがあるけど」

「別れよっか」

「え、別れる? 別れるの?」

「そう。別れよ。私、もうコウジさんのこと、好きじゃなくなったみたい」

 そう言うとヒヨリは、早足で家を出ていった。これでコウジとヒヨリの関係は終わった。

 一瞬のことだった。人間関係というのは、築くことは難しく時間が掛かるというのに、壊れる瞬間は驚くほど(もろ)く、呆気ないものなのだ。


 時計の秒針だけが鳴り響く部屋で、1人(たたず)むコウジは思った。

「今日はマヨネーズでいこうと思ってたのに。あーあ。また新しい団子鼻、探さなくちゃか」

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