4.接触
ある日。母親におつかいを頼まれていたコウジは、近所の家電量販店に行った。
すると、例の男の社員がいた。気付いたコウジは、迷わず男に話しかけた。
「すみません」
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
「電子レンジ、買いにきたんです。何かいいのってありますかね」
すると、男もコウジに気付いた。
「え、えーとですね、はい。ご案内します」
気まずいのか、戸惑っているのか。落ち着かない接客だった。どちらにしろ、コウジのことはハッキリと覚えているようだ。
「こちら、電子レンジのコーナーです。只今まとめ買いキャンペーン中でして、あちらの加湿器、電気ケトル、炊飯器のいずれかと一緒にご購入いただいたお客様には10%の割引をしています」
「そうですか」
「はい」
「……」
「……」
数秒の沈黙のあと、コウジが口を開いた。
「1人暮らしですか?」
「え、あ、私が? まあはい。そうですね」
「……あれ。じゃあもうひとつ。犬、飼ってますか?」
「いえ、飼ってませんが」
「んん。で、これとあれをまとめ買いしたら10%オフと?」
「はい。ただ、今月末までのキャンペーンとなっております」
「ふーん。で、結局どれ」
「え?」
「いや、そんなことどうでもいいのですが。聞いてないですし。俺、最初に『何かいいのありますかね』って聞いたはずなんです。そしたらキャンペーンの話をされたもんで。ああ、質問に適した受け答えができない人なんだなって。そう思っちゃいました。別にしっかり答えられるじゃないですか。最初の質問だけ無視されたので、変な人だなぁって思ってましたよ」
男はきょとんとしていた。そして半開きになっていた口から、急に返事をした。
「ああ、す、すみません」
コウジはゆっくりと1回瞬きし、冷静に続けた。
「あなた、ここで働いているんですよね?」
「は、はい。もちろん」
「だったらちゃんと仕事しないと。もっと高い意識持たないと。お店で働くってことは、ただ商品を売ればいいってことじゃないんですよ。接客するんだったら、客の満足度を直接上げられるチャンスを任されているってことですよね。今電子レンジを買って帰っても、俺の満足度は低いままですよ。だって、要求に応えてもらえなかったんだもん。悲しかったです。せっかくここまで、新しい電子レンジとの出会いを求めて、楽しみにしてきていたのに。あなた、自分の置かれた立場ってものを最大限に有効活用できていないんじゃないですか? それって、『切符は持ってるのに改札の通り方がわからない』みたいに、とても無意味でもったいないことだと思うのですが」
男はコウジと初めて会ったときから、「こいつは普通じゃない」と思っていた。できるだけ同じ世界にいたくないと感じていた。
今回は客が求める答えを出せなかった自分も悪い。しかしそれは、ただのキッカケにすぎない。男は、コウジとは何か「波長の違い」のようなものを感じていた。
人間味を感じない。他の人とは何か違う。それも、優秀や拙劣などの良い悪いに分類される特別さではない。彼にはまた別の、異様な雰囲気が漂っていたのだ。
まともな話し合いなんてできないんじゃないか。物事の考え方や捉え方、常識や価値観。こいつとは何もかも根本的に違っているのではないか。そう思っていた。
そういった印象から、コウジのような人間とは関わらないことが適切だと本能的に感じていた。
「し、失礼いたしました。では、ご案内します」
男は汗ばみながらも可能な限りの冷静を保ち、異に対する接客をやり遂げた。
コウジは買い物を済ませたあと、すぐに店を出た。紹介してもらった電子レンジは、後日家まで配送してもらうことになった。
帰路に就いたコウジは、とても良い気分だった。満足感と優越感に浸っていた。あの男に、商売とは何か、働くとは何かということを教えることができたからである。
きっと男は今頃、俺の言葉に感謝しているだろう。俺のことを恩人だと思っているだろう。そうやって気付いていけばいいんだ。今日学んだなら、これから役立てていけばいいんだ。人が成長していくというのは、そういうことを言うんだ。彼はそんなことを考えていた。
今までの彼は、正義だとか善意だとか、そんなものは個人の自己満足に過ぎないものであって、エネルギーの無駄使いだと考えていた。だがそんなことはないのかもしれない。人の役に立つことって、案外気持ちが良いものなのかもしれない。
見返りを求めない良質な教育による社会の改善。礼を言われる間もなく速やかに場を去った自分の姿。
考えるほど肯定される自身の偉大さと美しさに、コウジは思わずニヤついた。