身体は正直者
若い頃(小学生くらい)からコーヒーを飲み始めて、かなり長い時間が過ぎました。でも、よくよく考えてみれば、喫茶店通いをしたこともなければ、お気に入りのコーヒー豆があるわけでもありませんでした。
たまたま喫茶店に入ったときなんかは、ケニアだのコスタリカだのと、ああ、アフリカの国かなくらいは分かっても、こんな味みたいな表記が無ければよくわかりませんでした。
キリマンジャロとかモカとかブルーマウンテンとか。
あ、名前は聞いたことあるぞ!とは思うものの、「だからどうした、お前知らないじゃないか!」と、もう一人の自分が窘める始末。頑張って考えても知らないものは知らない。なんとなく、モカは酸味があるよくらいのざっくり知識で、モカシダモとかモカマタリとか書かれると、自分の知っているモカとは違うのかなとか思ってしまったり。
それくらい、「コーヒー飲みのコーヒー知らず」というのが自分を表すぴったりの言葉。
そんなもんで、いつも頼むのはブレンドだったりします。まあ、それはそれでお店の人が安くて美味しく飲めるように考えられたものだから、間違いではなかったのでしょうが、ようやく国ごとレベルのシングルを飲むようになったのは最近のこと。
言ってみれば、
「コーヒー味でカフェインが入っていればオッケー」
だったのかもしれません。それにそういう人がほとんどでしょう。何せ世界で水の次に飲まれている飲み物はコーヒーだということなのですから。
それからコーヒーの沼に自分から入り込んでいったのですが、毎日毎日色んなコーヒーを淹れて飲んでいました。ある日、たまたま仕事が忙しくてコーヒーを淹れることが出来そうにないと思い、以前良く飲んでいたペットボトルに入ったコーヒーを買っていくことに。仕事場について、すぐに猛烈に仕事に取り掛かり、ちょっと一息入れようとそのボトルコーヒーのキャップを開けて飲み始めました。
「あ、これ、飲めないや。」
あれほど毎日飲んでいたペットボトルのコーヒーが飲めなくなってしまったのです…。何が美味しくて、何が美味しくないという判定はまだまだできないのに、ただただ美味しくないということだけは分かるようになってしまっていました。
「ああ、あんなに飲んでいたのに、もう飲み込むのも辛い…。」
ちょっと悲しい気持ちで、泣く泣く台所に流してしまいました。今思えば、加糖するとかクリーム淹れるとかちょっとした工夫をすれば飲めたのでしょうけど、あの時は飲めなくなってしまった自分にショックを受けてそうするほかありませんでした。
良い珈琲を飲み続けた結果、まだ美味しさは何かとは分からないけど、美味しくないコーヒーというものに気が付くようになっていました。
身体は正直者ですね。
コーヒーが好きで、でもあまりコーヒーにお金を掛けたくないという方は、あまり良いコーヒーを飲まないことをお勧めします。喫茶店で安価なブレンドを飲んでいる人も缶コーヒーやボトルコーヒーが苦手という人も多いんじゃないかなと思います。それでも、缶コーヒーの中にも好みのものが探せることもありますので、何とか飲み比べるのもいいかと思います。
僕のお勧めは、タリーズのキリマンジャロです。
お口に合えば、幸いです。