親父の決意
「珈琲でも飲みに行かないか?」
普段会話もほとんどしない親父がそう言ってきた。
「うん。じゃあ行こうか。」
最初は戸惑ったけど、親父を乗せて車で家を出た。
北国の一月は結構雪深い。その日は気温が高かったせいか、雨雪になっていて路上の雪はシャーベット状。ハンドルを取られるうえに、空からは大きな牡丹雪が降り続いていた。
車を走らせる道と言えば、北に向かう道か、南へ下る道かしか無い。天気があまり良い状態でもなかったから、走り慣れた南へ下る道を選んだ。親父は外をじっと見ている。そうか、何か二人で話したいことがあるから珈琲でも飲もうなんて言ったのかと、勘の鈍い僕は家から10キロほど離れたところでようやく気が付いた。
「父さん、何か話でもあるの?」
「まあ、とりあえずあそこの店まで行くべ。」
それから二人とも何も話さないまま、北国の雪景色を眺めながら30キロほど離れた商業施設の下にある喫茶店を目指した。
雪景色は悪くない。空も地面も何もかも一面真っ白にしか見えない景色の中、横殴りの吹雪にさらされるのも嫌いではない。寒い雪風の中に身を晒していると、自分自身というものを強く感じる。そして、暖かい家に帰ってくると、家の大切さや、帰ってくることが出来る場所があるという大切さが身に染みる。だから、僕の心と体は雪と寒さを欲しがることがある。それが、北国の人間の証かもしれない。
何も会話もないまま、駐車場に車を止め、喫茶店でコーヒーを注文した。寒かったせいか、親父は普段あまり暖かいコーヒーを飲むことのない人だったが、これから話す前に少し気持ちを落ち着ける意味もあって、ゆっくりとコーヒーを飲んでいた。
「あのな。」
カップをテーブルに置いた親父が言う。
「うん。」
僕もテーブルにカップを置く。
「母さんは、あと何年も生きられない。直ぐに亡くなってもおかしくない。」
「そうなんだ…。うん、分かった。」
肝臓を悪くして手術を何度か繰り返し、それを管理していたのは親父だったから間違いはない。だからこそ、あれこれ言うこともなく、落ち着いて親父の言葉を受け止めた。
「だからな、覚悟だけはしておけ。」
「うん。」
それだけだった。普段話さない親父が、頑張って僕に伝えたくて、何とか二人きりになりたくて、こうやってここに連れてきて大切な話をしようとしてくれたことがありがたかった。明るく元気でなんでもドンとこいという性格のお袋がいるからこそ、あまり話もせず、深く人に干渉しない我が家の男たちは家族という形を保っていた。だから、いつもお袋は大変だな、ほかの皆は身勝手にやっているからなと思っていたが、親父は親父で、兄貴は兄貴で、本当に家族を大切に思っていることがようやく伝わってきた。そう思えば、自分自身こそ、一番身勝手に生きている馬鹿野郎なのかもしれないと反省した。
「それだけだ。わりぃな、こんなところまで連れてってもらって。」
学生時代は、毎日のように酒癖の悪い親父とぶつかっては家を破壊したり、外で喧嘩をしては警察に世話になったりしていたが、大人になって親父が家族を一所懸命に背負って生きてきたのが分かるようになってから、ようやく親父の事が好きになった。
「お父さんもさ、体に気を付けて。母さんのことは、分かったから。」
それから、お袋は奇跡的に15年以上生きた。海外旅行にも行ったし、亡くなる30分前まで孫と電話で話し、
「お祖母ちゃんね、ちょっと調子悪いけど、正月には元気になるからね。」
なんて話をして、孫もまさか亡くなるとは思えないしっかり話をしていたというくらい、最後までしっかりと生き切った。いつもと変わらない、僕ら家族の生き方を変えずに、お袋のいいように暮らしてもらっていたことが良かったのかもしれない。
そんな親父も、お袋を見送って4年、ガンを患ったけど、ガンなのか老衰なのかわからないまま、お袋のところへ旅立った。
自分の親だから、そりゃ100歳でも200歳でも生きてほしいと思う気持ちは無くせはしない。コロナでお見舞いに行けず、ようやく状態が悪化して会えることになったが、話が出来るような状態ではないところまで来ていて、本当にコロナを恨んだが、面会に行った時の親父は僕のことを見て、ちゃんと意思の疎通が図れていることが分かったのは嬉しかった。
お袋にも親父にも何もしてやれないまま、今生の別れを迎えてしまった。僕が次に二人に会いに行くその時には、おっきなトランク一杯に土産話を詰め込んで、
「あれからさ、こんなことがあったんだよ。」
そうやって二人を驚かせてやれるような生き方をしたい。そうすれば、生きてるときに言ってもらうことのできなかった、
「そうか、よくやったな。」
という言葉がもらえると思う。
そして、もし、それでも失敗続きの人生で終わってしまったとしても、
「そうか、また頑張れ。」
たぶん、そういってくれるに違いない。
口下手で、人付き合いが苦手で、親子関係もぎくしゃくしていた僕らだったけど、そんな親父がお袋のために決意して僕にかけた言葉が、
「珈琲でも飲みに行かないか。」
だった。
だから、やっぱり珈琲というのは、そのものの美味しさや効能だけではなく、そうした人と人を繋げ合う不思議な力を持っている気がする。
僕も、そう、旅立ちのその日が来るまで、この珈琲の不思議な力を使っていこうと思う。
「珈琲でも一杯飲みませんか?」
そうやって誰かを笑顔にできたなら、きっと親父とお袋も笑顔でいてくれるような気がする。




