アンと紅茶10
妹と二人、土曜の夕方に駅へアンを迎えに行く。駅の出口は夕日が逆光になっていて、横断歩道の反対側からはアンがもう到着しているかどうかがわからなかった。
「アンもう着いてるかな?」
妹がそうつぶやいたとき、歩行者用信号の緑のランプがつき、僕らは駅の入り口に近づいて行った。
「あ、アン!」
アンを見つけた妹が僕を置いて走りかけていった。遅れてちょっとすり切れた白黒の横断歩道を渡っていくと、リボンナポリンのようなオレンジ色の夕日を背中に、輝く金髪をなびかせたアンが立っていた。
「あれ?いつもと雰囲気が違うよ。」
丸眼鏡をしていない。たぶんコンタクトにしているのだろう。動きやすいいつものパンツルックと違って、細身のワンピースを着たアンはいつもと違って見えて、そこだけまるで外国かのようで周りの景色から少し浮いているようにも見えていた。
「さ、お肉買いに行こう!」
まあ、黙っていたら近寄り難いけど、口を開けばいつものアン。少しがっかりしたような気持にもなったけど、でもどこかほっとした気持ちになっている自分もいる。まあ、ハッとするようなモデルさんにお近づきになりたいわけじゃなく、僕と妹が好きな一人の友人と会いたいという気持ちなのだ。
近くのスーパーで食材を買い、お肉だけはお肉屋さんですき焼き肉を吟味。ここはお財布に厳しいけど良いお肉を奮発しようと思っていたら、
「このお肉を200gと、こっちのお肉を200g。あ、あとこの挽肉を下さい。」
と、なにやら色んな計算が速やかに行われて、後はお願いとお金を払うだけとなった。
「贅沢すれば良いんじゃなくて、一番最適な選択をしないと駄目!」
とのことだった。なんとなくイギリス人気質のイメージそのままの考え方で、日本人の気質にもよく合う気がする。そういえば、アンがティータイムに使っているマグは、年季の入った使いこまれたもので、中学生のころからずっと使っているということだった。
家に帰って三人でワイワイとすき焼きを作った。しばらくすると、さっき買った冷凍のパイ生地と挽肉でアンが何やら作り出す。
「これもお祖母ちゃんにつくってもらってたの。」
「あ、ミートパイ!私好きなんだ!」
アンが作っていたのは素朴なミートパイだった。イタリアンのようにトマトソースが入るでもなく、フレンチのように凝ったものでもなく、ちょっと香辛料の入っただけのミートパイ。すき焼きのお肉を最初に焼いて食べるときに出た肉汁を別のフライパンに入れ、バターとワインで味を調える。
「これがグレイビーソース?」
「うん、イギリス人にとってグレイビーソースは紅茶と同じくらい大切。」
とりあえずアンの楽しみにしていたすき焼きを食べ、その間に焼きあがったミートパイをオーブンから取り出す。熱々のパイにグレイビーソースで食べると、素朴な味が重なり合って、何とも言えない深みのある味がした。
「これがアンの家の味なんだね。」
「うん。二人に食べてほしかったの。」
ただ美味しい料理を食べるだけ。
楽しい仲間と美味しい料理を食べ、一時みんなで語らい、ビールを飲み、ワイワイと楽しむ。そんなことが、これほど楽しいものなのかと驚いた。イギリスのパブ文化、スペインのバル文化もそういうものなのかもしれない。色んなアミューズメントやら流行りのおしゃれなスポットにわざわざ出かける事は無いのだ。ただ、大切な人と楽しい時間を過ごす。それこそが、人生においての大切な時間の過ごし方なのだと分かった気がした。
「アン、ご馳走様。本当に美味しかったよ。」
「本当!じゃあお父さんに電話する!」
そういうと財布からプリペイドカードを取り出し、当時はまだまだ高かった国際電話を携帯でかける。英語で興奮しながら両親と話すアンは当然英語で話をしていて、そこだけ見ているとやはり急に外国人に見えてくる。その会話を聞きながら、妹は一緒になって笑っていた。なんだ、どうせ英語があまり得意ではない僕にはわからないよ。でも、妹もアンも、そして電話の向こうから聞こえてくるアンの両親の声も楽しそうな声だったから、僕もなんだか嬉しくなった。
「お父さんがね、今度イギリスに来たら一緒にパブ巡りしようだって。」
「お酒あんまり強くないからお手柔らかにって言っておいて…。」
それを伝えると、ワハハと笑い声が聞こえてきた。うん、でも海の向こうに僕をもてなしてあげたいって思ってくれる人がいるのは嬉しいことだ。世界が少しだけ身近に感じられる。遠くに会ってみたいと思える人がいて、その人に会いに行くというのも楽しそうだ。アンにとって、僕もまた、異国の中で自分が頼れる人だと思ってもらっているのだろうか?そうだったとしたら、それも本当に嬉しい。
「じゃあ、ちょっと早いけどお風呂に入って寝ましょ!お兄ちゃんお休み!明日は私忙しいから、二人でドライブ行ってらっしゃい!」
お風呂に入って、三人で紅茶を飲む。少し話をして、じゃあもう少し話があるからと二人は妹の部屋に入っていった。その部屋からは楽しそうな声が聞こえてくる。妹もまた、アンにとって大切な友達になったのかもしれないし、妹にとってもアンはお姉さんのような存在なのかもしれない。本当に何気ない夜だったけど、今も忘れることのできない楽しい夜だった。
明日はどこへ行こう?アンはどこへ行きたいのだろう?ちょっと見たいものがあるって言ってたと妹が言っていたけど、明日の朝教えてくれるだろう。少し、二人きりでドライブと思うと、緊張する思いがしたけど、なぜかその気持ちはすぐに消え、一緒に時間を過ごせるのかと思うと、とても心暖かいような安心できるようなそんな気持ちになった。
ちょっと楽しみだな、そう思うと僕はすぐに眠りに落ちてしまった。




