ハレの珈琲、ケの珈琲
「あ、ちょっとコーヒー飲みたいな。」
そう思って、車通りの少ない峠道にポツンとあった自動販売機の前にバイクを止める。それほど通る人も多くない山のてっぺん近くでも、こうやって自動販売機があり、アイスでもホットでもコーヒーが飲めるのは本当に助かる。グローブを外して、小銭入れからこの時のための百円と十円を数枚取り出し、ちょっと考えて微糖のアイスラテを買った。
んぐ、んぐ、っはぁ。生き返った。
いくら風を受けて走るバイクでも、7月半ばの11時頃の強い日差しで知らず知らずのうちに汗をかいてしまう。のどの渇きをいやすなら、アイスティーでも、お茶でも、水でもいい。ランニングや山登りなどで本当に汗を大量にかいている時は水が一番だし、ご飯と一緒ならお茶がいい。ちょっといい香りを感じたいときはコーヒーでもいいけど、紅茶の方が素敵な香りだなと思うこともある。そうやって考えると、一番自分に身近な飲み物はコーヒーなのかもしれない。何かの理由が無ければ、普段の飲み物はほとんどコーヒーだったりする。
やっぱ、飲みすぎかもなぁ。
ドッドッドッというエンジンの鼓動で振動するバイクに向かって、「お前どう思う?」というような気持ちでつぶやいた。「まあ、いつもの事じゃないか、気にすんなよ。」なんてバイクが言っているようにも聞こえてきたりする。
ブラックならタリーズの缶。ラテならボスのペットボトルと、自分の飲みたい銘柄は決まっていたりするから、その自動販売機が見つからないときは、見つかるまで何件かハシゴしてみたりする。でも、夏の暑い日ののどが渇いている日に限って売り切れだったりするから、僕と同じような嗜好の人は多いのかもしれない。
一気に半分くらい飲んだところで、ようやくのどの渇きが満たされた。ペットボトルのキャップを閉めて、サドルバッグに取り付けたボトルケースに放り込む。これだとサッと取り出せるので、信号待ちや渋滞の時でも気軽に飲めるのが良いところ。
「明るいベリー系の酸味がうんぬんかんぬん、チョコレートのようなカカオフレーバーがなんだかんだ」とコーヒーの味を表現することがあるけど、僕にとって毎日飲むコーヒーにそんなことを考えたことはない。何となく飲みやすいな、何となく好みの味だなとか、そのくらいの気持ちでしか考えていない。だって、何も考えずに飲む水は、ある程度浄水してあればおいしく飲めるし、「この水は甘みがあって」とか、「あのフランスの水しか飲めないざます」なんて言うのも興ざめだ。一時期はやった一本800円もする生食パンブームも、パンが好きな自分にしてみれば、たまに食べるにはいいかもしれないけど、毎日食べる日用品としては馬鹿みたいな金額だなと冷ややかに見ていた。
だから、まあ、僕にはコーヒーの味なんか分かってやいない。
家でじっくり淹れるコーヒーもいいけれど、僕にとって子供の頃から毎日飲んできたコーヒーというのは、そういう気兼ねしないけどなくてはならない存在なんじゃないかと思う。
スマホのナビは、この先の麓の市街地にある目的地まであと10キロと表示している。ネットで調べた頑固そうな店主のいるコーヒーロースター。本当は毎日こんな風なコーヒーを飲んでいるなんて言ったらどう思われるだろうか?「そんなまずいコーヒーなんか飲んでいるのか?」と蘊蓄を垂れるような店主だったら嫌だな。どうせなら、「ああ、俺も結構好きだよ、あれなかなかうまいよね」、なんて屈託のない人だったらいいな、なんて考えながらバイクに乗り込んだ。
高級なスペシャルティコーヒーなら、探せばごまんと見つけられる。
でも、僕が本当に探しているのは、毎日おいしく飲める日用品としてのコモディティレベルのコーヒー豆を出す焙煎士さんだ。ウマいものにちょっと手を加えて出すことよりも、そこそこのものをいかに美味しくするかに力を入れる人からコーヒーを買いたい気がする。
そんなコーヒーロースターを探しに行くのも、楽しい休日の過ごし方かもしれない。
「じゃあ、行きますか。」
もう一度、ボトルコーヒーを一口飲んで、遠くに見える麓の街へバイクを走らせた。