アイスコーヒーと笑顔
ブラックのアイスコーヒー。飲むといつも思い出す。あの暑い夏の日の夕方。
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急いでいた。そんな時に限って、何かをしでかしてしまう。
「ガリッ」
駐車場、右隣の車のフロントバンパー。綺麗なブルーメタリックの塗装が、白く剥げてしまっている。おそらくまだ購入してそれほど時間はたっていない。美しい車体を見ると、自分のやってしまった事への罪悪感がこみあげてくる。
「あ、ごめん。俺だけど、ちょっと仕事に間に合わないや。車もぶつけちゃったし。」
「ケガはないの?あとは任せて。」そういう同僚の言葉はとても頼りがいがあって、本当に助けられる。その電話を切ると、警察に電話。しばらくして、自転車に乗ったお巡りさんがやってきて、いろいろと調書を取る。
「敷地内の事故だから、あとはこの車の所有者の人とお話ししてください。」
肩口についた無線で本部とやり取りして、その車の所有者の連絡先をナンバーから調べてくれた。今では個人情報がうるさい時代だから、どうやって連絡をつけることができるのかわからないが、その時はすんなり連絡がついて助かった。
「こんにちは、○○です。」
その日の夕方、仕事から帰ったお隣さんと会うことができた。
「ごめんなさい!こんなまだ綺麗な車に傷をつけてしまって!」
そう平謝りするしか無かった。
「いいんですよ。私運転下手だから、直ぐにも傷つけちゃうって思ってたから。」
僕より少し年下のその女性はそう言って笑ってくれた。
馴染みの保険屋さんと連絡を取ると、そのくらいの傷なら保険を使わないほうがいいかもね、とのことだったので、今回は自費で直すことにした。お隣さんもディーラーさんに連絡を取り、早急に見積もりを取ってくれるとのことで落ち着いた。
夕暮れ時とは言えども、まだまだ暑い8月の終わりころ、緊張感と外の暑さの両方で額から汗が噴き出してくる。涼し気な白いワンピースを着たお隣さんも前髪をかき分け掌で顔を仰ぐ。少し赤くなった顔を見れば、彼女も外にずっと立っているのは大変だろう。
「あの、こんなこと言うのも何ですが…、何か冷たいものでも飲みに行きませんか?」
今思えば何を言っているのだろうと思う。でも、あの暑さの中にずっと立たせておくことも出来ないし、だからと言って近くにある自宅へ招くのももっとおかしい話だ。そういえば、通りに出たところにジョナサンがあったのを思い出し、苦肉の策でそう言ってみた。
「あ、暑いですもんね、じゃあ行きましょう!」
すみませんご足労いただいて、と謝りながら100メートル先のジョナサンへ行く。
僕はアイスコーヒー、彼女はアイスカフェラテ。二人とも半分近くまで一気に飲んでのどの渇きを癒す。
「はぁー、生き返った。本当は私暑いの苦手だったんです。」
新車に傷をつけられた相手にそういって屈託のない笑顔を見せる彼女は、なんて明るくてポジティブな人なのだろうかと驚かされた。それから事故の状況、今後の修理と支払いについての事を話し、自分は何者でどんなことをやっているかを話した。
「毎日遅くまで大変。だからあまり会わなかったんですね。」
隣同士、数年前からその駐車場を借りていたのに、お互いに顔を合せなかったのは、二人とも車に乗るタイミングが全然違ったからだと分かった。
「私、今論文書いている真っ最中なんですよー。」
大学の事、卒論の事、就職の事、家族の事、初対面の車をぶつけた男相手に沢山話をしてくれて、本当はきまずい時間になるはずだったのに、なんだか楽しいひと時になった。
「コーヒーごちそうさまでした。」
「あ、本当にすみませんでした。」
もういいんですよ、って笑いながら手を振って、じゃあとお互い反対方向へ歩いていった。
僕は運がいい。
怒られずに済んだ上に、お互いを知り、ひと時楽しい時間まで過ごすことができた。冷たいアイスコーヒーとアイスカフェラテ。もしかしたら、珈琲にはそんな問題を抱える人間たちの関係も良くする効能があるのかもしれない。
あれから、彼女も大学を卒業し、就職して、数か月に一回顔を合わせるくらいだった。来ている服も私服からスーツに代わり、大人の女性になっていくのを感じたけど、会うたびに見せてくれたあの笑顔は、初めて会った時と変わらない、人を幸せにする笑顔だった。
あれから、20年は経っただろうか?
暑い夏に、キンキンに冷えたストレートのアイスコーヒーを飲むと、彼女の笑顔を思い出す。
きっと、今もあの笑顔で誰かを幸せにしているに違いない。
あの笑顔を思い出すと、僕も誰かを笑顔にしてあげなきゃと思わされる。
「よし、俺も頑張ろう!」
そういって、ズズズッとアイスコーヒーを一気に飲み干した。




