僕には珈琲の味がわからない
「今日は雨か…。」
窓の外に見える白っぽいグレーの空を見ながら呟いた。
「そうだな、こんな日は明るい珈琲にするか。」
半分以上コーヒー豆が占拠している冷凍庫を開ける。色んな種類のコーヒー豆が小分けにされて二重にジップロックに入れられていた。飲んでいるうちに少しずつ減ってゆき、あと一回分くらいになると、どうしても惜しくなって色んな種類のコーヒー豆が一回分を残してたまっていったりする。まあ、飲みきるまでの間にそのおいしさがなかなかわからなかったりした豆は、何種類かを集めてブレンドして飲んでみたりする。それがまた驚きのおいしさになったりするから面白い。そんな時に限って、何をどのくらい配合したかをメモし忘れてしまって、幻のブレンドになってしまったりする。
今日のお目当ての豆の封を開けて匂いを嗅ぐ。
「…、うん。良い匂い。」
計量器の上で30グラム分の豆を量る。料理と一緒で、毎回同じ味を楽しみたいのであれば、きっちりと図らなければならない。豆の量、ミルで挽く時の粉の大きさ、湯温、湯量、ドリップする時間などなど、揃えられるところはきっちりとそろえなければ美味しいときのレシピを再現できない。
そのうえ、同じ産地の豆でも時期によって違ったり、生産者によって違ったり、鮮度、焙煎士の焙煎度など、気を使わなければいけないところが多い。
お湯を沸かしながら豆の分量を量り、豆を挽く。ゴリゴリとコーヒーミルを回すのだが、毎日のことだから少し面倒だったりする。だから、コーヒー豆を挽く時は今日やるべき仕事のことを考えたりしてその時間をやり過ごす。お湯が沸いたら、ドリッパーにペーパーをセットしてお湯をかける。熱いお湯が下のサーバーにも落ちてゆき、器具全体を温める。コーヒーカップも同様に温めたら、計量器に乗せて重さをリセットする。
さあ、抽出。
一投目は、粉全体にお湯を回しかける。粉を十分に湿らせ、コーヒーが抽出されやすいようにする。よく言う蒸らしの時間。昔はめんどくさそうに良くわからずやっていたが、毎日コーヒーを淹れるようになった今も本当は良くわかっていない。でも、なんとなく豆を少しずつ湿らせて効率的にコーヒー成分を抽出するためなのかなとは思っている。
ポタッ、ポタッと最初の一番濃いめのコーヒーがサーバーに落ちていく。コーヒー用の計量器にはストップウォッチが付いていて30秒になったことを教えてくれる。蒸らしの準備が終わったので、二投目のお湯をかける。
今日は酸味のあるコーヒーなので、湯温は高めの93度。やかんに湯温計を突っ込んで測ればいいのだけど、今の電子ケトルは狙った温度をキープしてくれる。浅煎りの豆だけど一投目でぷっくりと豆が膨らんでいた。新鮮な豆は、内部にしっかりとガスを包含し、鮮度とともに放出されていく。コーヒー豆を挽いて粉にすると、約二時間ほどでガスを放出してしまうらしい。そのガスには、コーヒーの香り成分がたくさん含まれているので、それを逃す手はない。だから、コーヒー店やコーヒー好きの人は、その都度、豆を自分で挽く。
ドーム状に膨らんだ豆に二投目、三投目とお湯をかけていく。サーバーには、オレンジ掛かったコーヒーの液体がたまっていき、部屋全体にコーヒーの香りが充満する。
最後、五投目のお湯をかけ終わり、抽出が終わるのを待つ。湯面の泡が沈み、豆が顔を出す。ストップウォッチは3分を指している。湯が落ちきる前に、ドリッパーをサーバーから外した。最後の液体には雑味があるとか、抽出時間を掛けすぎると過抽出になり、雑味が増してしまうとかいうが、これも蒸らし同様、なんとなくそう言われているからやっている。
抽出したてのコーヒーを厚手の小さなグラスに入れ、色と濃度を見る。
「うん、良い感じの色。」
匂いを嗅ぐと、春に咲く黄色い花の香りのような匂い。口に含んでみると、まるで珈琲とは思えないような華やかな香りが広がっていく。
「やっぱ、良い香りだなぁ。」
エチオピア イルガチェフェ コンガG1ナチュラル
何やら呪文のようだけど、エチオピア産のオロミア州イルガチェフェ地区のコンガ農協に集められナチュラルプロセスという手法で作られたコーヒーということだったりする。お米で言えば、日本の中部地方新潟県の魚沼地区の塩沢町のお米という感じ。そこまで生産者を追跡できるものがいわゆるスペシャルティコーヒーと言われる上質のコーヒーだったりする。日本のお米というのと、魚沼産のお米といわれたのでは価値が大きく変わってくる。よく喫茶店のメニューにある国名、コロンビアとかブラジルだとかいう名前のコーヒーとは、そういう大雑把な分け方で、その国の色んな生産者の豆が混ぜられたお米で言うところのブレンド米だと思ってもいいだろう。もしそれが、スペシャルティコーヒーだったとしたら、さっきのような農協名や生産農園名まで書いているはずだ。
兎も角、春の花のような華やかな香りを嗅いでいると、すこし雨で暗くなりがちな気持ちが明るくなった気がする。
これが美味しい珈琲なのかどうかは正直わからない。
僕には珈琲の味がわからない
でも、この小さなグラスに入った茶色い液体の元になったコーヒー豆が、赤道ちかくのエチオピアで沢山の日を浴びて、赤い大地に根を生やし、2000mにも近い高い産地で朝晩は急激に冷やされてその実に糖分を蓄え、手作業で一生懸命に摘まれてはるばる日本までやってきたのだ。エチオピアの地で育まれた天と地と人々のエッセンスが、少し寒い雨の日のこの部屋の陰鬱さを一変させる力を持っていることは分かる。
この香り、この甘味、この苦みは、多分、エチオピアの土地からやってきて、そのエネルギーを抽出することで、この液体となって再び解放されたような、そんな気がするのだ。
そう、あの国の人たちと、僕はどこかでつながっている。
そんな気持ちがする。
だから、味はまだ僕にはわからないけど、出来るだけおいしく上手に抽出して、ああ、このコーヒー美味しいなって思って飲むことが、産地の人たちの笑顔にもつながっていくのかなと思ったりもする。
よかった。
今日は上手に淹れられた。
ありがとう。今日はエチオピアの大地と太陽のエネルギーをもらえたから、何とか一日頑張れそうだ。さっきと同じ窓の外の景色だけど、さっきより華やいだ気持ちで一日を始められる。
さあ、珈琲を一杯、いかがですか?