come again
come again
あの方はオーラが違う。当時は肩までで、今はさらさらとロングみたいだけど、見間違える訳がない。
(行かなきゃ!)
「ママっ! ごめんなさい、今日帰るっ」
急いで財布とコートをひっ掴み、ドアを開けて走り出した。
「ちょっと。店どうするのよっ!」
(ごめん、聞こえない……)
※
二〇一〇年二月一四日、今日はバレンタインデー。私は何故か、新宿二丁目を徘徊している。
まあ次回作の下見、情報収集ね。新宿公園、ふむ。
私は普段、これでも指名ナンバーワン&リピート率百パーセントの凄腕リフレクソロジストをしてる。ほぼ、毎日通う仕事場、「Relaxer」――新宿地下のショッピングモールにある――は、アクセスの利便性や都会の割に穏やかなのが気に入っている。でもちょっとにおう、歌舞伎町の真下らしい、ビターな香り。
あれと似たような、よりハードにしたような空気感と空虚感。二丁目なんて、暇つぶしの長いお散歩をした数年前にうっかり迷い込んだきりだ。でも、あの時みたミリタリーショップと変わった本ばかり売ってそうな店は変わっていない。
私はこれでも、同人界では名のしれた「女王」サマで、現に友達のすみれ――パパ同士が仕事仲間で昔からノリがあう仲良しだ――と、さくら――見たまんま同人界のエンジェルで、しかも大型書店のお嬢様だ――のふたり以外からは、クイーン呼ばわりされてる。
(まぁ、こんなもんよね)
平和な十七時。そこらでほいほい同性愛しててほしいけど、さすがにそこまでは廃れてない。タイムボーイとかなんとか、怪しげな看板が多いだけ。気持ち男性の人口密度が高いだけだった。
(あら?)
可愛らしい女の子が重い立て看板をよいしょとセットしていた。目の保養ね。
夜は麻布に用事があった。二十七歳、バレンタインの夜にひとりで。まあ、もともと一匹タイプだから構わないけども。
(さっさと、行こう)
※
さっきからなんか、気配がしていた。
ぐー。
昨夜は遅くまでネットサーフィン、今日は優雅に起き出したから、お腹がすいていた。
ウィーン……
十番商店街のコンビニでチロルと豆乳を買い、商店街には沢山あるベンチで優雅に食べる。きなこ味の美味しさ。豆乳は、貫徹のお供だ。
(なんだか……)
iPodから流れるジャズ。気持ちの良い夜の始まりに、たまにはいい。普段はバリバリ、デジタルサウンドしか聴かないけれど。今日は久しぶりに、私の「神」のDJイベント《LAB&JOY》――laboratoryとloveとenjoyあたりをミックスしたらしい――ラブジョイが楽しみな、スペシャルホリデーだった。
(そろそろ)
開場よりもやや遅れて着いた。辺りに人は少ない。スタイリッシュな小型ライブハウスのClub Upstar――ここは、なんだか甘酸っぱそうな、私の思い出付きの場所だ。中に入らず、くるりと振り返り、宙に問う。
「あなた! バレバレの尾行、なーにかーしらっ?」
角から見覚えのある、私と張る位スレンダーな女の子が現れた。
「……さっきの子。二丁目で見かけた?」
ぺこりと挨拶された。
「はじめましてっ! 貴女のファンでエスユーエヌで、サンっていいますっ」
ややハスキーボイスの、本当に綺麗で可愛い子だった。普段キュートなすみれや、ふんわり乙女なさくらというレベルの高い女の子をみている私でも、はっとする程のプラチナガール。でも167ある私よりも、更に長身だ。
「ファン……マッドパイ★モジョの?」
私たちのサークル名だ。
「いえ、アップスターのアイドル時代からのファンです」
「……マジで?」
むかぁし昔、っても九年前。マスコミ関係の仕事をしているパパに、名前が花関連のあやめだってだけで、興味もないのに芸能界に放り込まれた。その時に四個下、長野在住のすみれにも出逢った。テレビ局移転後初のバレンタインプロモーションから母の日まで、flower palace協賛の四カ月限定アイドル。
「あの……、サインお願いします!」
ペンと紙だ。さらさらとサイン……おっと、うっかり下手なイラストまでいれそうになった。最近のクセで。代わりに、あやめの花みたいなのを描く。
(懐かしい……)
当時のサインだ。《フラワーズ》への局の力の入れようはハンパなかった。地方組四名は殆どポスターや記念日当日のみの参加だったが、関東近場組の私を含む四名はかなりハードな四カ月で、何故だかテーマソングのCDデビューまで果たした。
最近さくらのお陰で疑問が解けたが、協賛企業のflower palaceは大手フラワーショップで、さらに母体は全国展開のSAKURA書店も含むアルシージャ・コーポレイテッドだった――本気も本気、ただの宣伝用アイドルではなく、局からアイドル自体を生み出すつもりだったらしい。その割に、オーディションも無しだ、呆れる。
「できましたら、握手も……」
おずおずと、大和撫子よろしく片手を出された。かまわず、しっかり握る。もちろん両手で、あの頃徹底的に仕込まれた。
(――ん?)
微かな違和感。
「ねえ、特別にハグはいかが?」
「え……いいんですか?」
(いいですとも)
だって気になるから。手を広げる私。
「さあどーぞ!」
ぬくもる。
(やっぱり!)
※
低音、重低音、音の洪水。耳より先に、体に響く。辺りは人々で溢れ、VJのやる気を表す映像美に、目が響く。
「カシオレっ!」
「同じものを」
(面白いファン、拾っちゃった!)
SUN――古賀太陽クン、二十四歳、職業は二丁目唯一の女装バーのナンバーワン。私と似たような感じね!
「うるさいとこ、つき合わせてごめんね。ちょっと時間だったからさ」
「いえ、あやめさんとなら」
流石にナンバーワン。めっちゃ女の子。触るまで、分からなかった。さっきの話では、顔や仕草は天然で、胸は偽物、下もまだらしい。考え中なのだそうな。
下の階は、盛り上がっていた。昔からよく知る、二階のやや静かなソファエリアで話してみたいことが色々あった。
「チョコばかりあんなに食べるの、良くないですよ?」
どうやら本当に、ストーキングされていたようだ。久しぶりに不思議な高揚感。
「だって、脳に効くしっ。私ふとらないほうだし、家でもあまり作らないから、チョコよく食べるわよっ」
「それでも……。ワタ……っ僕が家族なら、いろいろ作って差し上げるのに」
「いいわよ? ワタシ、で」
思わず笑いながら、ありがとーって呟いちゃう。癒し系。
「今日のお洋服も、素敵でお似合いですね」
「サロメのよ。私、自作かここのしか着ないから」
この店、レディライクな黒服を多数ラインナップしている。
「お洋服、作られるんですか?」
興味アリ。嬉しい。
「本当は、早くアパレルでブランド立ち上げたいのよ。でも親は、アイドル以外に金は貸さないとか訳わかんない拒否するしっ」
小さな頃からデザイナーになりたかった。黒が好きで、いろんな黒が着たかったから。ちゃんと四年間、同人もやりつつ、あらゆる服飾に触れた。モードよりも素敵なものには、巡り会えなかったけれど。私が好きな分野は、個性が強すぎて日本にはあまり無かった。
しかし想定外の誤算はふたつ。資金面と、私の力量不足だ。だから五年もズルズル他の仕事をしているし、同人も続けてる。昔は小説書きだったが、デザイン画の練習がてらイラストに手を出し始めたら、相乗効果でバカ売れサークルになった。不思議な世界だ。
「多才なんですね、あやめさん。あの頃もアーバンカルテットの中で一番華があったのに、リミットが来たら一番に辞めてしまった」
「……だって、アイドルなんて興味ないもん」
ちょっとむすりとしちゃう質。
「それでも、未だ私の友達もあやめさんのファンです。あなたの影響力は大きかった。私もあなたみたいに綺麗になりたくて、頑張りました」
フフっとたおやかに笑うサンの方が、キレイなのに……って思う。こんな癒し系なら、早くお嫁にいけたかしら?
お一人様ラブな私だって、可愛い赤ちゃんは欲しい。人並みに結婚がしたかった。急に、閃いた。
「サンは今日、誰かにチョコあげるの?」
「いえ? あやめさんは」
あまり気にした風もなくサラリと答えた。
「うちのパパだけ。気になる人もいなくて……。サンこそ本当に、彼氏も彼女もいないの?」
いろんな興味。
「いません。……そもそも、自分のタイプが曖昧なんですね、私」
そしてやっと、少し哀しみが見えた。私のどこかに征服感もあった。
「綺麗なモノが好きだから、努力した。女の子を九年かけて極めたつもりです。はっきりいって自信もあります。魅力的な男性に数多く口説かれました。でも、何か違う。見た目で選ばれて、嬉しい筈なのに……私は子供が好きですから、出来たら家庭が欲しかったからかもしれません」
私の逃げ延び九年。サンは見た目の性別をパーフェクトに換えた。
「……そうね。踊ろうよ?」
懐かしの我が家。柱の裏なら、まだまだ隙間があると思った。
※
結局ラブジョイ後半は、サンとクタクタになるまでエンジョイした。久しぶりに人混みで疲れた。
「大丈夫ですか? あやめさん」
けやき坂、ライトアップが輝く。辺りにちらほらとカップルがいた。立ち止まる。そういえばもうすぐ終わる今日は、バレンタインなのだ。麻布のカップルはエレガントだから、あまり気にならない。
「私、なんなんだろ」
私なりに妥協せずに勉強し続けた結果。最近また想うところがあり色々細々と調べていた、が、踏ん切りはつかなかった。眠れないし、あまり食べたくない。
「……あやめさんは、ちゃんといつもパーフェクトを目指している。それに気づいて下さい。これは妥協ではなく、必要なリラックスですよ」
(――あ)
神様、やっと私の番か、と思う。
「あやめさんの十年。タレントだって、小説だって、十分やっていけた。でもまだまだ挑戦し続ける。ごめんなさい。これからも私、あやめさんを見続けても良いですか?」
これは貴方のいう、リラックスシンキングタイムにおける、最終案だよ。
「ごめん」
一瞬サンの顔色が変わる。それに同化するように、悲しみを感じる私。良い傾向だ。
「――ごめん、今からワガママ言う。きっとサンは、優しいから私に巻き込まれてくれる。ごめんなさい!」
必死だった。
「ちょっと、あやめさん落ちついて……」
サンのきれいな眉が、心配気にさがる。
(ありがとう……)
「パパからまたモデルやらないかって、友達のさくらの会社から大型オファーが来たって。私、九年ぶりなんて、自信ない」
「え……ステキじゃないですかっ。またあやめさんの存在を感じられるだけで、あの頃のファンは絶対的にあなたの味方ですよ。私からも、是非お願いします!」
「……どっちにしろ、断れそうにないの。友達が私にとって、良かれとくれたギフトだから」
「……ならどうして、何が不安なんですか?」
この世の全てともいえるかも。
「さくらの偶に身内に向ける厳しさも、呑気なパパも、パパに付随するママも、仕事も、原稿も、社会も、自分も、オール……」
さくら程、安定感のある女性もあまりいないだろう。
「私もう一度……いいえ、デザイナーになる為のアグレッシブなプロモーションとして、モデルをやるわ」
「あやめさん」
サンに全神経を注ぐ。貴方の全てに一目惚れよ、私を好きになって――。
「私の傍に、いて」
「あやめさん。仰る通りに」
サンに、軽くキスされた。その頬を思わず抑える。
(――あっつい……)
ふんわりと華やかな、これはなんの香りだったかしら?
prism
(――この「イタリア」って曲)
使って白鳥の湖やくるみ割りよろしく、世界の熊川みたいなイケメンダンサーがバレエやれば「●タリア」で腐女子ホイホイなのに。
「何考えているんですか?」
「……」
エスケープしたくて、こんなくだらないこと考えてたなんて、あんまりいいたくない。
(――だって!)
ギャグかよ? ってくらいの勢いで、普段のサンはbeautifulだったのだ。この普通の広さなのに、昼間なら陽のあたる場所の代名詞になりそうな程、洗練された温かみのある部屋に似ている。すっぴんでも美人。胸も女装もナシ、ジーンズにシャツ姿でもイケてる。
今日はお休みだとの事で、約一週間ぶりにして初めて、サンの家――高田馬場、大学生の頃から住んでいるらしい――に、お夕飯を貰いに来た。私は仕事場の友人の男女問わず、いろんな人からご飯を食べさせて貰っている。作るのは出来るけど、面倒臭いからやらない。徹底的に。たまには、お寿司や焼き肉でお返しする。
約二年前にパリに行っちゃった、「Relaxer」の永久アイドル、ハル君の普段着フレンチは絶品だった。こないだ六本木の店をチラ見したけど、こちらもちょっと洗練されていた……。また押し掛ければ、ゴハンくれるかな?
この、私の五年以上のゴハン歴史を語ったら、サンが超やる気をだした。さっきまでのフルコース、女装バー止まりじゃ勿体無い。小料理屋でも十分なレベルの和洋折衷だった。
「あやめさん?」
「……メンデルスゾーン、いけてる」
「私、ロマン派が好きなんです」
「チャイコフスキーは?」
「チャイコフスキーも大好きですよ」
(あ~!)
かっこ良すぎて恥ずかしいから、あんま笑いかけないでっ!
サンは無意識だから、質が悪い。
タタタターン……
今度は、結婚式の披露宴でメジャーな曲だった。
(結婚かぁ……)
サンはクラシックファンらしく、手引き書がわかりやすいのも置いてあったから、勝手に見ている私。サンはお片づけしてる。
(次のクリスマス位には、結婚とかそういう話がひとことでもでるかな?)
そもそも、そういうレベルまで付き合いが発展するのか、疑問だ。かなり。
「いつかメンデルスゾーンやゲーテのルーツを訪ねたいんです」
「……へぇ? ロマンチックね」
(――サンらしい)
「実際に、メルヘン街道や、ロマンティック街道もあるんです」
「へぇぇ。いーなぁ!」
女の子らしいのは、好きだ。
「隣の国のプラハは、あやめさんも好きなミュシャの美術館がありますよ」
「ミュシャ! 行きたいなぁー」
「行きましょうよ、春になったら」
(――わ)
「――春ね。GWよりも前なら、まだコレクションの予定入ってないから……」
行けます! が、行きたいが、うまく返せない。
「よかった。独りで行くのはあやめさんに逢えなくて淋しいから、嬉しいです」 サンが、またほわほわと微笑う。幸せな光景。
「また、次の休みにでも、スマイル・トラベル行きましょっ」
それだけ言って、また手引きを眺める私。サンの好きなメンデルスゾーンを知りたい。なんだかあったかい。周りがキラキラと粒子で溢れる。ミラクルサンの部屋だからかしら。 心穏やかな歌の翼に、ハイネの詞。早く春がくればいいのに。私もきっと彼――フェリックスのファンになる。
(――ん?)
「あやめさん、アッサムをどうぞ」
きめ細やかなサン。何故かハーゲンダッツのアイスまである。
「わ。ハーゲン? 半分こする?」
私がいつも友達と雑魚ディナーするときは、適当に回し食べだった。
「え……、よろしいんですか」
妙に新鮮な反応だった。片手には同じフレーバーがもう一個あった。ほわほわする。
「今度からは、違うの二個買って、半分こしようねっ」
(カワイすぎる、この子)
パーフェクトな天才フェリックス、彼は残念ながら若くして1847年の11月4日に亡くなったそう。彼を愛する貴方と、同じ日に生まれた神を愛する私。
うまくいかない、訳がないだろう――。