8話「似たもの同士」
目覚めるまでに3年。さらにそこから姉との特訓に7年。
コレットが地上に戻ってくるのは実に10年ぶりのことだった。
人生の内の半分をあの谷底で過ごしていると考えるとなんだか感慨深いとまで感じてしまう。
姉との特訓の日々はとても大変で、そして、幸せであった。
逃げることしかできなかった10年前と違い、周りの視線を気にすることなく、魔族である姉とずっと一緒に居られる。国を築くという理想のための準備であるにも関わらず、いつまでもあの日々が続いていてほしいと心のどこかで思っていたのかもしれない。
しかし、コレットの心に10年前の出来事の破片が突き刺さったまま抜けないでいた。
コレットとフローラの二人の人生を大きく変えることとなった一件は今でも鮮明に思い出すことができる。
仮にそのまま谷底で暮らしたとしても、コレットは心から満足することはできなかっただろう。
特訓を終え、身体は以前とは比べ物にならない程強くなったとはいえ、その心の穴と、フードに隠した角は10年前と全く変わっていない。
友人が消えた理由。その真実を知りたいという気持ちもまた、変わらずにコレットを突き動かしていた。
「それで、コレットさんはどうしてここへ?」
対面する黒髪の少女、ラティファと名乗った人間の言葉でコレットは現実に引き戻される。
彼女は地上に上がってきて初めて出会った人物だった。
10年もの間話し相手は姉のフローラしかいなかったため、他の人とちゃんと話せるか初めは不安だったが、話しているうちにコツをつかんだのか、ラティファはコレットに心を開いてくれているようだった。
「私、少し前にこの辺りにある村に住んでいたんです。偶然近くに来たものですから、久しぶりに寄ってみようかと思いまして」
コレットは本来の理由とは少し異なったことを伝えた。ここにいるのは単なる偶然ではない。
友人を探すにはとにかく情報が必要であった。手がかりが得られる可能性が一番高いという理由で選んだに過ぎない。
「そうですか…でも、知らないのですか?」
そんなコレットの胸中に気づくこともなく、ラティファは驚きの表情を浮かべる。
「知らない…?何をですか?」
「10年前、この辺りに凶暴な魔族が出たそうです。直ちに討伐隊が派遣されましたが、結果は全滅。誰一人帰ってくることはありませんでした。」
ラティファは今では常識ともなった出来事の説明を始める。
「そんな魔族が近くに現れたれたともなれば、身の安全はないといっても過言ではありません。人々は次々と住むところを変えていき、今ではもぬけの殻ですよ。」
この辺りは度々魔族が現れることがあったが、10年前の事件はこれまでとは一線を画すものであった。
ここからかなり距離の離れた王都ですら、不安の声が絶えなかったのだから、事件が間近で起こったこの村の村人の恐怖はその比ではない。
その魔族の正体が村人の一人であったということも少なからず関係はしているのだろうか、とコレットは考える。
「そう…ですか…」
コレットは短く、そういうと肩を落とした。
住んでいた村が廃れてしまったことに対するものだとラティファは感じていたが、その奥に潜むコレットの感情をラティファは読み取ることができなかった。
「ひとつ、聞いてもいいですか?」
重苦しい空気の中、今度はコレットがラティファに向けて声を投げかけた。
「あなたは魔族の事をどう思っていますか?」
コレットの問いかけに、ラティファの瞳が揺れた気がした。
もしかしたらこの10年間で、魔族に対する風向きも変わっているかもしれない。そんな無いにも等しい希望を抱いてコレットは尋ねる。
「…私は戦う力を持っていません。襲われでもしたらなすすべもなく死んでしまうでしょう。無力な私たちにとっては魔族とはまさに恐怖の象徴です」
「それなら、どうしてあなたは夜遅くにこんな場所に?ここには魔族も現れるのでしょう?」
「…私は10年前の魔族を見つける必要があるからです」
一瞬の沈黙の後、ラティファは呟くように言った。その言葉はかろうじてコレットの耳に届くほどの大きさだったにもかかわらず、大きな気持ちがこもっていたように感じられた。
「それが私にとっての最後の希望でもありますから」
ラティファの表情には見覚えがあった。何かに怯えているような、切羽詰まった表情。コレットが幼いときにしていた表情そのものだ。
「ラティファさん…」
コレットは目の前の少女に親近感を覚えていた。無力であるがゆえに残酷な運命から逃れることのできない少女はまるで自分を見ているかのようにコレットの目に映る。
「あ…すみません。変な答えをしてしまって…」
「いいえ、聞いたのはこっちですから」
慌てて、謝るラティファにコレットは優しく微笑みかける。
気づけば真っ暗だった空はほんのりと明るみを帯びており、木々も早朝の風に揺られていた。
「もうこんな時間…私はもうそろそろ行きますね。お話に付き合ってくれてありがとうございました」
コレットはラティファに一礼をすると対岸の森へと歩き出した。
「あの、留守番なのではなかったのですか?」
ラティファの声が後方から響いた。
「そろそろ姉さんが戻ってくる時間です。私が他の方と一緒にいるところを見たら、きっとびっくりしてしまうでしょうから。場所を変えようかと思いまして」
姉譲りの柔和な笑顔がラティファに向けられる。不思議な魅力の帯びた笑みにラティファは思わず胸が高鳴るのを感じた。
夜明けとともに少しずつ鮮明になっていくラティファの顔はうっすらと赤みを帯びていた。
「それでは…また近いうちに会いましょうね」
コレットは小さく手を振り、やがてその姿は。森の中へと消えていった。
(不思議な人でした…)
静けさを取り戻した川辺でラティファはコレットの消えていった森をぼんやりと眺める、
(コレットさんもあの魔族を追っているのでしょうか…)
コレットの残した「また会える」という言葉にどこか、期待をしつつラティファもまた、帰路に就くのだった。
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