6話「始動」
「それにしても、これからどうしようかしらねぇ」
姉妹の抱擁が解かれると、すっかりといつもの調子を取り戻した姉が腕を組む。
「ごめんなさい!私のせいでもう人間としては…」
姉の姿を見たコレットは咄嗟に謝罪の言葉を述べた。
「やっぱり優しいのね、貴女は。でも言ったでしょう?『貴女のおかげ』って。貴女を守り切ることができなかった弱い私を変えて、チャンスをくれた。そのことにとっても感謝しているの。」
フローラは今の状況に満足していた。それを否定するものが愛する妹であってもその事実は決して揺らぎはしない。
「それに、私も、貴女も、もう謝るのはやめにしましょ。」
姉はコレットの口にわざとらしく、人差し指で触れた。
「どんな事があったとしても今私たちがここで生きているのは紛れもない事実なんだから」
どんな辛いことがあり、どれだけ苦しんできたとしても、フローラは窮地を脱し、コレットは目覚めた。今、二人を苦しめる者は一人として存在していない。
「…うん!」
コレットは元気にうなずいた。見るべきは過去ではなく未来。姉の言葉はコレットを鼓舞するようだった。
「でも、このままここで暮らすのは…難しそうね」
近辺の魔物はフローラが殲滅済みだ。しかし、ここに住むとなると、いつ魔物が現れるか、わかったものではない。それに日の光もわずかしか届かず、気分転換に遊ぶことすらできない。
すでに3年間過ごしてきたフローラはこんな場所に妹を住まわせることはできないと思っていた。
「あなたはどうしたい?」
といっても姉妹に存在する選択肢は多くはない。人間の村ではすでに正体を知られてしまっているし、魔族の大陸はフローラは問題ないだろうが、コレットが安全に暮らすことができない。魔族の感覚は非常に優れているため、コレットの正体に気づく可能性が人間よりも遥かに高い。
考えるコレットの脳裏には夢でクララに何度も言ったことが浮かんでいた。
コレットが物心ついたときから変わらず願い続けてきた小さく、単純な夢。
「私は…姉さんとずっと一緒に暮らせる所、私達だけの国を作りたい」
普通なら冗談の域でしかないその言葉だったが、コレットの眼差しはいつになく本気で、それを聞くフローラもまた真剣であった。
「ふふっ…」
少しの間をおいて、フローラから発せられたのは小さな笑みだった。だが、その笑いの声にコレットの言葉を否定する要素はない。
「なら、私は貴女に全てを捧げるわ。愛しい姫様」
それがフローラの答えだった。
「私たちの楽園を作りましょう。誰にも邪魔されることのない理想の国を」
まるで本物の王女の誕生の儀式でもしているかのように、フローラはコレットの前に跪き、そっと妹の手の甲に口付けをする。
「ちょっと姉さん…!」
寸劇とはいえ、急に感じた柔らかい感触にコレットは顔を赤らめる。
これで目覚めてから3度目の感触だというのに一向になれる気配はなく、姉の唇を感じるたびにコレットの胸の鼓動は高まっていく一方だ。
しかし、コレットの胸の内には恥ずかしさとはまた違った高揚感もまた、芽生えていた。
「それと…これは私のわがままだけど、クララも探し出したい」
コレットは夢の宣言にそう付け加える。こうなる原因ともなった唯一の友人のことを忘れてしまいたいという気持ちもあった。
しかし、それ以上になぜ急にいなくなってしまったのか、それは本人の意思なのか、さらに言えば、生きているのかすらもわからない。コレットには、あの時の真実を知りたいという気持ちが大きく渦巻いていた。
「ええ、わかったわ。貴女が望むのなら」
嬉々としてそう答えるフローラにコレットは驚いた。フローラは直接的なクララとの交流はほとんどない。今となってはコレットを危機にさらしたという悪印象しか残っていないはずだと思っていたが、姉はそんな人間を探すことに賛成している。
「嫌じゃないの…?」
コレットは恐る恐る姉に尋ねる。
「クララの事?確かに私たちがこうなった原因ではあるけど…」
フローラはクララの事をよく知らない。直接話したことはないし、彼女の事を聞くのはコレットの口からだけだった。
それでもフローラはクララにはある種、感謝のような気持ちを抱いていた。
「貴女がクララのことを話してるときはとっても楽しそうだったから」
人間と深く関わることが危険な行為であったことはフローラも重々理解していた。本来なら無理やりにでも止めるべきことであったのだが、妹が見せる充実感に満たされた表情がフローラは好きだった。
クララと会うことで妹に再びあの笑顔が戻るのならば、もう一度会い、可能であれば一緒にいさせてやりたい。
「でも…見つけたらたっぷりとお仕置きはさせてもらうけどね」
そう言うフローラにはようやく魔族らしい不敵な笑みが表れていた。
「あの子のせいで、こっちは色々と大変だったんだから」
「あまり酷いことはしないでね…」
結果的に変に姉をたきつけてしまったコレットは、心の中で友人に向けて謝罪をするのだった。
***
「何をするにしても、まずは仲間を増やす必要があるわね」
"おしおき"の内容の吟味を終えたらしく、不敵な笑みを引っ込めた姉は、切り替えるようにそういった。
「でも…どうやって?」
姉の提案にコレットの頭には不可能という単語が浮かんでいた。
正体を隠して生活するだけでも困難を極めたというのに、仲間ということは己の全てを打ち明け、受け入れてくれる相手を見つけなければならない。
半人半魔というどちらの種族からも嫌われるであろうコレットを受け入れてくれる者など果たして現れるのだろうか。
そんなコレットの気持ちを読み取ったかのようにフローラは口を開く。
「貴女のその能力を使うのよ」
姉から発せられた言葉は意外なものだった。
「私の能力…?」
そんなのは初耳だ。生まれてから自分には特別な力があったような記憶はない。唯一心当たりがあるとすれば、姉が魔族化したことだが、コレットにとってはそんなつもりでとった行動ではなく、自分の力だといわれても腑に落ちてはいなかった。
「おそらくだけど貴女は人間を魔族にすることができるのだと思うわ」
だが、姉は確信をもってそう言う。
「でも、本当にできるのかな…」
「分からないわ。私もまだ、仮説でしかないからね。」
フローラの尻尾はフリフリと左右に揺れている。これが感情を表しているのならフローラは楽しんでいるのだろうか。心なしかその言葉もはしゃいでいるもののようにも聞こえる。
コレットはそんな姉を頼もしくも、不安にも思えた。
「でも、すぐには動くことはできないわ」
しかし、そんなコレットの不安を裏切るようにフローラは慎重であった。
「貴女は眠っている間に随分と弱ってしまっているから、まずはその快復が先決」
そう言われ、コレットは自分の身体に意識を向ける。
驚きの連続で忘れていたのか、一気に疲労感が現れたかのように身体が重く感じる。
このまま地上に出たとしても、移動するだけで精いっぱいになるだろうことは容易に想像がつく。
「それに私達だけでもある程度は戦えるようにならないとね」
幸いこの谷底には際限なく魔物が現れる。偶然にも戦闘訓練にはもってこいの場所だった。
「…うん!」
何年後になるかはわからない。
ただ、今度は姉を守ってあげられるように、そして、ずっと隣で笑っていられるようにコレットもまた、姉に誓いを立てるのだった。
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