5話「谷底の誓い」
「お母さん…?」
夢うつつの状態のコレットは、眼前の全てを包み込んでくれそうな柔らかい雰囲気を纏う女性を失った母だと錯覚した。
内側に大きくうねった角は自分のものとは全く違う存在感を放ったおり、長い前髪から除く真紅の瞳は我が子を見つめるようにこちらを見つめている。
「あら、嬉しい。お母様に似ているだなんて」
女性がにこやかな顔つきでそう返すと、コレットの頭が撫でられる。
幼いころからの聞きなれた声が眠っていた頭を覚醒させる。ずっと一緒にいて、ずっと守っていてくれた、心地の良い声。
顔が異なっていてもその声だけで女性が誰なのか、はっきりとわかる。それと同時にコレットの表情は驚きのものへと変化していった。
「ね、姉さん!?」
記憶とは全く異なっている姉の姿に思わず飛び起き、立ち上がったコレットだったが、体に力が入らず、尻もちをついてしまう。
「大丈夫?3年も眠っていたのだから体が弱っているのかもね、まだ立ち上がらない方がいいわ」
驚きに打たれているコレットに、正反対の落ち着いた声が投げかけられる。「3年も眠っていた」というとんでもない言葉が聞こえた気がしたが、それよりもコレットにとっては姉の変化の方が重要だった。
「姉さん…その姿は…」
「これ?貴女のおかげで私は変われたの」
「私の…?」
フローラは再び聖母のように微笑み、続ける。
「貴女が眠る前、貴女とキスをした瞬間に何か不思議な感覚を感じたの。温かいような、冷たいような、どちらともいえる感覚。まるで貴女の心がそのまま流れ込んできたような感じだったわ。それが収まったときにはこの姿になっていたの。」
3年前のあの時を思い返すかのようにフローラは成熟した自分の角に触れる。
「それにね、この姿になってから力がすっごく湧いてくるようで、悪い奴らはみんなお姉ちゃんがやっつけちゃった」
簡潔に経緯を説明するフローラだったが、コレットの頭は驚きの連続だった。あの絶体絶命の状況からの打開をまるで些細なトラブルであったかのように話している。姉が並みの魔族くらいの力であるならば付け焼刃にしかなっていなかったであろう戦力差だったはずなのだが、姉の話し方ではまるで苦戦をしなかったと言っているようだった。
「ねぇ、コレット…」
突如、フローラの表情に不敵な笑みが浮かんだ。理性か、本能か、コレットの身体に悪寒が走る。上目遣いでコレットを見つめるフローラは妖艶で、獲物を見つけた獣のようでもある。少し視線を下ろすと、フローラに新たに生えた細長い尻尾がコレットを逃がさないように腕に巻き付いてきていた。
「な、何…姉さん?」
長い眠りの影響でまともに立つこともできないコレットは、姉のされるがままに腕に抱きとめられてしまう。
3年前とは違い、フローラは海のように蒼く長い髪を後ろで一つにまとめ、それを肩から前に出している。どことなく色気を感じさせるその髪型も艶やかで、コレットの嫌な予感を増長させる。
「『私にキスをして?』」
言葉とどちらが先か、フローラの瞳から空色の光がコレットに向けられる。
「ぁ…」
状況が理解できないコレットは吸い込まれるように姉の瞳を見てしまう。
怪しく揺らめく光はコレットの視線を捉えて逸らすことを許容しない。
空色の光にくぎ付けになっていると、脳からコレットの体に指令を出すかのように、コレットの唇は言葉通り、フローラへと向かっていった。
意識ははっきりとしている。しかし、体は言うことを聞かない。何が起こったのかがわからないまま、コレットはフローラの唇を受け入れていく。
育ち盛りのコレットは眠っている間にも生育を遂げていた。特徴的な肩まで伸びていた空色の長髪は、腰辺りまで伸びている。体つきも柔らかい肌を保ちつつ、女性らしいものへと姿を変えている。胸部に携えた双丘も控えめではあるがその存在をはっきりと感じさせている。そんなコレットの成長も姉妹の行為をより扇情的なものにしていた。
コレットの記憶ではついさっき感じた姉の温もり、しかし、実際には3年ぶりでもあるその感覚はコレットの悪夢の余韻をことごとく払拭するようだった。
そんな安心する感覚に、自然とコレットは身体だけでなく、心でも姉の感触を求めるようになっていた。
「これがお姉ちゃんの『相手の心に介入する』力なの。心に介入してコレットの代わりに身体に指示を出してあげれば一時的に操ることだってできちゃう」
長い口付けが終わり、フローラが能力の使用をやめると、コレットの身体も自由が利くようになった。
しかし、コレットは姉から離れようとはしなかった。
「でもね…」
フローラはポツリとつぶやく。短く発せられたその言葉は震えていた。
「この力で人間の悪い奴らをやっつけた後、そのままあなたを連れて"断裂層"に飛び込んだの。でも、貴女が目覚めることはなかった。回復に要したこの3年間、こんなにも空虚な時間を過ごしたのは初めてだったわ」
姉は心の穴を埋めるかのように自身の胸に手を当てる。
「つらい現実から逃げるように眠った先でも、貴女は悪夢に囚われていた。それはわかっていたのに私の力ではどうすることもできなかった…」
気づけば、フローラの目からは涙があふれていた。ずっと我慢していたものが溢れるように。どれだけ辛くても弱音を吐かなかった姉がこんなに寂しそうな表情を見せるのは初めてだった。
「迎えに行けなくてごめんなさい…」
圧倒的な力を得た魔族のフローラは涙を浮かべ半人半魔の少女に懺悔していた。
「ううん、姉さんはずっと私を守っていてくれたよ。」
溢れる涙がコレットの小さい手に拭われる。
「夢の中でもずっと傍にいてくれて、手を握っててくれてた。その感覚ははっきりと覚えてる。どれだけ夢が続いてても、最後には姉さんが私を連れて逃げ出してくれた。だから私は頑張れたの。」
コレットは夢でしてくれたように姉の手を握り、微笑む。
「私が起きられたのもきっと、姉さんのおかげ。だから…」
フローラの能力とは関係なく、もう一度、今度は自分の意志でコレットはキスをする。
「ただいま、姉さん!」
精一杯の笑顔を向けるコレットをフローラは優しく、だが、力強く抱きしめる。
待つことしかできなかったことを肯定してくれる妹は、3年にわたって蝕んでいた姉の心の靄を解きほぐしていった。
「…おかえり、コレット」
もうフローラには涙はなく、いつもの慈愛に満ちた目が戻っていた。
その心ではもう二度とコレットを手放さないと強く誓うのだった。
良かったら評価してやってください!