22話「変わるために、一歩」
今回は少し長めです!
「さて…お寝坊さん二人が起きたのであれば、私は席を外そうかしら」
コレットとラティファの長い抱擁が解かれると、その様子を見届けたフローラは部屋の扉へと歩き出した。
「あれ…?姉さん、もう行っちゃうの?」
「ええ、ラティファちゃんを迎え入れる準備のようなものよ。直ぐに戻るから心配しないで」
そういうとフローラは返事を待たず、二人を残して部屋を出ていってしまった。
「行っちゃった…」
コレットはフローラが出ていったドアをしばらく見つめていたが、一方のラティファは先ほどのフローラの発言を反芻していた。
「私を…迎える…」
「ごめんね…?私も時々姉さんが何を考えているのか、想像がつかないこともあるの」
コレットはラティファの呟きをフローラが何をしようとしているのかについての事だと思い、ラティファに声をかける。
だが、ラティファはその言葉に首を横に振って否定した。
「私を受け入れてくれるのですか…?」
フローラが当然のように言った"迎え入れる"という言葉がラティファにとっては衝撃だった。自分は二人に対して大きな愚行を取った。それは許されざることであり、このまま立ち去れと言われても当然のことだ。しかし、ラティファに対する二人の態度は温かく、それはまるで家族に向けられるようなものだった。
ラティファの問いかけにコレットはきょとんとした表情を見せる。
しかし、ラティファの真剣な眼差しを見て何を言いたいかを察すると、満面の笑みを浮かべて答えた。
「当然だよ!ラティファさんは自分の信念に従っただけ。それは誰にも文句を言われるべきことじゃないし、ラティファさんが後悔する必要もないよ。それに、言ったでしょ?私はいつでもラティファさんの味方だって…!」
コレットの純粋な笑顔にラティファはかつての母の面影を重ねていた。ずっと求めていた言葉、温もり、そして愛、その全てが満たされたような気がして、ラティファは再び泣き出しそうになるも、どうにか堪え、頭を下げる。
その行動には今までの感謝や謝罪などが同時に詰め込まれた言葉にできない気持ちが込められてい
た。
少しの間、部屋に沈黙が訪れる。深々と頭を下げるラティファとそれを見つめるコレット。二人は言葉を交わすことはなかったが、ラティファは不思議と心地の良い沈黙だと感じていた。母に報告するときの背筋が凍るような張りつめた空気ではなく、心が安らぎ、穏やかな気分になれる空間。
そんな沈黙は少しして顔を上げたラティファの言葉によって終わりを告げる。
「一つ…我儘を言ってもいでしょうか?」
「うん、私にできることなら」
二つ返事で答えるコレットにラティファは勇気を振り絞って言葉を続ける。
「私を…魔族にしてもらえませんか?」
コレットは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに元の真面目な表情に戻るとラティファの言葉を待った。
「私は…何もできない自分が大嫌いです。お母様が変わってから、どれだけ頑張っても才能のない私では母様を失望させるだけでした。私にできたことはお母様の心が変わるようにただ祈るだけ。言いつけを守り、いつかは振り向いてくれると、与えられた任務を必死にこなしてきた私が行き着いた先は体のいい道具だった…。何年たっても道具は道具…結局私はお母様の心に触れることさえできませんでした」
…そして全てを失った。ラティファは言葉を紡ぐたびに声色に怒りと悲しみが混ざり合うようになる。それでもラティファは話を止めることはなく、語り続ける。
「私は大切なものを守り、失ったものを取り戻せる力が欲しい…。自分で運命を変えられるような、そんな力が…!」
ラティファの脳裏に浮かぶのはフローラの姿だった。10年前、絶体絶命で死を待つ運命だった彼女は魔族となり、その運命を捻じ曲げ、最愛のコレットを守りきった。圧倒的な力を持ち、どんな困難にも立ち向かえる彼女のようになりたい。ラティファはそう思うようになっていた。
そこまで言うとラティファはハッとして目を伏せる。
「身勝手…ですよね」
自分のために他人を使う。今まで自分がされてきたことを今度はコレットにしようとしている。それがどれほど卑怯なことなのか、ラティファもわかっていた。
しかし。
「ううん。私はそうは思わないよ」
コレットはラティファの言葉を否定した。
「私も人間として暮らしていた頃は何もできなかったから…。私がまだ小さかった頃、正体がばれないかが怖くて怯えていた私を姉さんはずっと守っていてくれた。村に住んでいるときは休む暇もなく、周りの人たちの様子を観察して、少しでも怪しまれたら直ぐに私を次の場所に連れて行ってくれた。移動をしている時も私をずっと庇って、傷ついて…弱い私はそんな姉さんの後ろでただ見ていることしかできなくて、自分が情けなかった…」
コレットの顔が悲痛で歪む。当時の事を思い出しているのか、コレットの声色は暗く、沈んでいた。コレットもラティファと同じく、無力であることの苦しさは痛いほど理解している。
「だから…ラティファさんの気持ちは少しはわかるつもり」
もう自分を庇って姉が傷ついていくのを見ていたくない。いつかは隣に立ち、一緒に歩いていきたい。成長と共にそう思うようになっていたコレットは、目の前にいるラティファから、自分と同じ気持ちを感じ取っていた。
「コレットさん…」
「私がラティファさんの背中を押せるのなら……私に協力させて?」
今のコレットはラティファに力を与えることができる。そしてラティファもそれを望んでいる。ならば拒否する必要はないとコレットは考えていた。なぜなら10年前のコレットに、もしもそんな存在が現れていたら喜んで受け入れていただろうから。
「ありがとう…ございます…」
ラティファはコレットの返事を聞いて何度目かもわからない涙を流す。
「でも…ラティファさん。魔族になるってことはもう人間に戻ることはできないよ?私と姉さんみたいに人間からは隠れて過ごさなきゃいけないし、危険な目にあうかもしれない……それでもいいの?」
コレットの確認にラティファは静かに首を縦に振る。ラティファはコレットの目を見つめ、はっきりとした口調で答えた。
「お母様から逃げ出して家を飛び出した時、私は一度死んだも同然です。人間としての私にもう残っているものはありません。変わる覚悟はできています」
「…わかった。ラティファさんの気持ち、受け取ったよ」
ラティファの目は涙で潤んでいたが、そこには確かな意思が宿っているように感じられた。
***
「じゃあ、これからラティファさんを魔族化させるけど……それでね、えっと…お願いなんだけど…」
突如、歯切れが悪そうに言葉を紡ぐコレットにラティファは首をかしげる。心なしかコレットの頬は赤らみ、視線はせわしなくラティファと床を行ったり来たりしていた。
「これから何が起こっても…抵抗しないでね…?」
「はい。どんな痛みも受け入れる覚悟はできています」
恥じらうコレットの態度とは別に、真剣な眼差しでコレットを待つラティファにコレットは内心で頭を抱える。
「そういうことじゃないんだけど…」
コレットの能力についてはコレット自身も完全に理解しているわけではない。フローラの時は完全なる偶然によって成功したが、魔族化を引き起こす明確な引き金が何なのかは不明なのだ。それならフローラにした行動をそのまま取ればいいのだが…
「じゃあ、行くね?」
コレットはラティファの手を取って目を閉じる。もし、コレットの対内にある魔力を相手に流し込むことが引き金となっているなら、これでも魔族化はできるはずだ。ゆっくりと息を吐きながら、コレットは全身に流れる魔力を手先へと集中させ、その流れをラティファの手へと伝えていく。つないだ手からラティファの全身までを自分の身体の一部だとイメージすることで、魔力の循環を繋ぐ―――
「ど、どう?」
「いえ、まだ特に変化はない…と思います」
ラティファ自身は特に変わった様子はなく来る変化に備えているといった様子だ。その様子を見てコレットは内心で頭を抱える。
この方法ではラティファを魔族化させることはできない。だとすればきっかけとなる行動は魔力を渡すことではない。
(もしかしたら私の能力ってキスをしないと発動できないんじゃ……)
コレットはフローラが魔族になった時の話を思い返す。あの時はキスをしてすぐにフローラの魔族化が始まったらしい。コレットは魔力の受け渡しの事など微塵も考えておらず、そもそも魔力のコントロールもろくにできていなかった。
「コレットさん…?どうかしましたか?」
あれこれ考えているとラティファから心配そうな声がかけられる。
せっかく決意を固めたラティファを待たせてしまうのもなんだか気が引けるような気がしてコレットも覚悟を決める。
「ううん。ごめんね、じゃあ今度こそ始めるよ」
「…はい」
コレットはラティファの手を握り直し、薄紅色の唇をラティファに近づけていく。
その距離は徐々に縮まり、お互いの吐く息が混ざり合う。
そしてついに二人の唇は触れ合い、わずかな水音が発せられた。
「ん…」
まだ成長途中のラティファの肌は柔らかく、唇越しに伝わってくる温かさも相まって、コレットの集中力をかき乱していく。
ラティファは突然のコレットの行為に驚き、身体を強張らせたが、抵抗の素振りを見せることはなかった。
コレットは密着したラティファの瞳を見つめる。自分の年と大して変わらない少女の瞳は夜空のように黒く、そこには白昼の空のように青い自分の瞳が反射して映っていた。ラティファの瞳は今まで彼女が経験してきた不条理を宿しているようにも思える。純粋で無垢なラティファはこれまでに多くの理不尽を経験し、その小さな身体でずっと耐えてきた。彼女の瞳はその人生を反映したものなのかもしれない。
コレットは一歩近づき、唇だけでなく身体も密着させた。今まで辛かった分もこれからは幸せになって欲しい。そんな気持ちからコレットは儀式であるはずのキスに友人として、血は繋がらないが家族として、愛を乗せ、包み込む。
ラティファの瞳は閉じられていた。
ラティファは長い間触れていなかった愛というものを味わうかのようにコレットの体温を享受している。
何倍にも引き延ばされた時間の中で二人は互いの存在を感じ取り、目を閉じて深く浸っていた。
すると、先ほどの失敗は嘘のように、コレットの魔力がラティファに流れていくのが今度ははっきりと感じられた。
張りつめた風船に穴が開いたように、コレットの魔力は唇から漏れ出し、ラティファという空っぽの器に注がれていく。魔力が失われたことによる急激な脱力感にコレットは視界が歪むが、口付けを中断することはなかった。
ラティファの身体に変化が起こったのは直ぐだった。
「んぐっ…!?」
塞がれたラティファの口から苦しそうな音が発せられる。
ラティファの身体を魔力でできた霧が包み込み、肉体の変質が始まったのだ。
つないだ手からは焼けるような熱を感じ、ラティファの細い体を覆いつくすように魔力の霧は広がり続け、身体の内部には魔力の幕が急速に取り込まれていき、ラティファの新たな魔力器官として動き始める。
恥ずかしさから染まっていたラティファの頬には冷や汗が浮かび上がり、立っているのもやっとの状態だった。
苦しそうに呻くラティファの手をコレットは握り、指を絡める。ラティファの口を塞ぐ唇の代わりに"大丈夫"と安心させるように、ラティファの手を強く握り、ラティファの苦しみを和らげていた。
魔力の霧が全てラティファの体内に入り込むのにそう時間はかからなかった。
魔力の吸収が終わり、コレットが唇を離すと、ラティファは糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
「大丈夫?ラティファさん?」
肩で息をするラティファは息を整えるのにしばらくの時間を有したが、最後に大きく一息を付くと目を開きコレットに微笑みを返す
「はい、大丈夫です。今はむしろ気分がいいとさえ思えます。私を救ってくださりありがとうございます。"コレット様"」
ラティファの身体にはフローラのような大きな翼や美しい尻尾などは生えていなく、外見だけを見れば普通の人間と何ら変わりないと言える。
ただ一つ、開かれたラティファの目の瞳は紅く、結膜が黒くなっっていたことが彼女が魔族になったことを証明していた。
ようやくコレット達に一人お仲魔が増えました!
ラティファちゃんが魔族化するのにほぼ半年かかってたんですね…
大変お待たせしました…!(土下座)
次回は一章のエピローグ的なものになります。ラティファちゃんの変化を見せられるように筆者、頑張ります!
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