17話「コレットの初陣」
ラティファに何とか納得してもらったことを確認してからは姉妹の意識は奥でもがき続ける獣の方へと向いていた。
「姉さん。あの獣って…」
「うーん、私が捕らえたあの獣のお父さんといったところかしらね」
巨大な体躯に毛深い体皮、そして鋭い牙と爪を持った熊のような生物は少し前にフローラが氷漬けにしてきた獣とよく似ていた。以前に見たものよりも二回りほど大きいそれは、親としての風貌が感じられる。
「悪いけど、親子共々私たちの栄養になってもらいましょうか」
フローラはにこりと笑うと舌なめずりをする。
「コレット、ラティファちゃんと一緒に下がっていてね。私が直ぐに…」
「待って、姉さん!」
いつものように戦闘に秀でたフローラが片付けようと前に出ようとした瞬間、コレットの声が辺りに響いた。
フローラが視線を妹に戻すと、そこではコレットは俯き、何かを訴えるようにフローラの事をチラチラと見ていた。
「安心して、やられたりしないから」
フローラはその静止を自分の身を案じてくれる愛する妹の言葉として受け取った。
確かに相手は獰猛で、体躯だけを見ればフローラを軽く凌駕している。しかし、魔族となり膨大な力を得たフローラに負ける要素はない。むしろ戦闘といえるものになるのかすらわからないほど力量の差は存在していた。
それでも心配をしてくれる妹にフローラは優しく答えたのだが、コレットの表情は何かを言いたげに下を向いたまま変わらない。
「そうじゃなくて…今度は私が戦う!」
意を決したように顔を上げるコレットの顔を見てフローラは目を見開いた。そこには強い意志を空色の瞳に宿した少女の姿があったのだ。
「私だって何年もの間修行してきたんだもん。いつまでも姉さんに頼ってばかりじゃいられない…!」
真剣な眼差しで見つめてくる妹の姿を見てフローラは思わず頬を緩ませる。
フローラは少し前、人間から逃げ回っていた頃を思い出していた。頼れる者はどこにもおらず、常に自分の後ろに隠れ、裾をぎゅっと握りしめていた妹は時間と修行を経て成長し、脅威に自分から向かい合おうとしている。
その成長ぶりを目の当たりにして嬉しくないはずがなかった。
しかし、フローラにはコレットの変化が嬉しくもあり寂しかった。
フローラ自身、コレットに頼られていたことは嬉しかったし、自分が守ってあげることこそが自分の存在している意味だとすら感じていたからだ。
純粋で何色にも染まってしまう妹を傍で見守り、道を示す。それこそフローラが今は亡き父から受け継いだ意思だった。魔族となり途方もない寿命を手に入れたフローラは、早くもその使命の終わりを垣間見た気がしてどこか寂しさも感じていた。
しかし、そんな自分の理屈で妹の成長を妨げてしまうことはあってはならない。
そんなことは両親はおろかフローラ自身も望んでいることではないのだ。守られる子供から肩を並べる大人へと成長する妹を姉として、1番近い位置で目撃する。
同じ血を引いた者としてこの上ない誉だろう。
「…わかったわ、成長した妹を見守るのもお姉ちゃんの役目だものね」
フローラは真っ直ぐとこちらを見つめるコレットの頭に手を置き、そういうと後方へと下がっていった。
「ありがとう、姉さん」
コレットは人間の時と変わらない優しさを見せるフローラに感謝を示すと初めての実践へと気持ちを切り替える。
今の獣は動きが制限され、攻撃する絶好のチャンスと言える。
その条件が崩れないうちに仕留める。
そう判断したコレットは大地を大きく踏み、1歩で獣の足元へと急接近する。
それを知覚した獣は迎撃のために剛腕を振るうが、下半身が制限されているため、その狙いは限られる。
単純な軌道を描く攻撃をコレットは跳躍で回避すると、そのまま獣の顔に蹴りを入れた。
衝撃にひるんだ獣が再び力任せに腕を振るうが、コレットは大きく後ろに飛び、距離を空けたことで獣の攻撃は空を切る。
「硬い…!」
さすがの巨体と言うべきか、皮膚は硬質で殴打ではさほど効果はなさそうだった。
「…だったら!」
コレットは両手を突き出すと、先程のように冷気を発生させた。今度は拘束ではなく、攻撃のため氷の魔力を広範囲ではなく、一点に凝縮させる。
瞬く間に氷柱のような鋭利な氷塊が複数個形成されると、コレットはそれを一斉に放った。
獣は避けることもできず、氷の杭を体に受ける。
氷の杭が当たった部分は獣の皮膚を削っていき、その衝撃に獣はその身体をのけぞらせ、地面へと倒れた。
今度こそ確実にダメージを与えられたはずだ。
だが、コレットの予想に反して獣は倒れてもなお、コレットに襲いかかろうとしていた。全身に傷をおってなお立ち上がり、ようやく自由になった足でコレットへと猪突猛進してきている。
その姿に少なからず緊張感を覚えるコレットだったが、それでも冷静さは失わない。
緊張感に支配されることは戦闘を行う上では禁忌とされていると姉からは教わった。いかに相手の実力があろうとも、常に自分が優位に立っているつもりで考えることで、焦りや恐怖心から己を遠ざけることができるのだ。
だからコレットも姉から学んだことを忠実に実行する。
至って冷静に、迫りくる巨体に対して自分が取れる行動は何かを模索する。避ける、再び足を止める、迎え撃つ、多岐にわたる選択肢からコレットが選んだ行動は…
「これで!」
コレットが次に作り出した者は氷の盾だった。盾というよりも壁に近い氷の層はコレットを守るように前方に展開され、向かい来る巨体を受け止める。
しかし、重い衝撃を告げる音が響いても盾はびくともせず見事に獣の突進を止めてみせた。
そして、再びできた獣の隙をコレットは見逃さない。
「今度こそ、これで仕留める!」
素早く盾から身を乗り出し、懐にもぐりこんだコレットは手を頭上に構える。すると少し遅れてコレットの手に緑色に淡く光る剣が現れた。
風の魔力で構成されたその剣は実態はないものの、その強度は鋼よりも強く、鋭い。コレットは狙いを獣の腹部に定めると勢いよく振り下ろした。
緑色の閃光と共に獣の腹は深く切り裂かれ、鮮血をまき散らす。
しかし、それでも獣の動きは止まらず、最後の力を振り絞るようにコレットに掴みかかろうとする。
コレットは即座にその場から飛び退くと、獣の腕は虚しくも宙を掴んだ。その瞬間、ついに獣は地面に倒れ伏し、そのまま動かなくなった。
半魔であるコレットは魔族特有の身体能力は有していない。純粋な魔族となったフローラは異常なまでの身体能力を用いた格闘戦を主として戦うが、コレットには直ぐに限界が来てしまう。
そのため、コレットの戦い方はあくまでも人間の延長線上にあるものだ。魔族の身体能力や魔術に対抗するために人間は武器を使用した戦闘術を開発した。コレットはそれに魔力を織り交ぜることによって、戦闘に応じた武器の使い分けを可能にするといった戦闘スタイルを編み出したのだ。
コレットが生み出した緑の刃の剣は風を纏ったまま、空気中に霧散していく。
戦闘が終了したことを確認したコレットは息を整えながらフローラの方へと視線を向けた。
そこには普段の冷静沈着な様子とは違い、満面の笑顔を浮かべこちらへ手を振る姉の姿があった。
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