5話 限定空間。
5話 限定空間。
目に入れても痛くない大事な大事な自分の娘を、何が何でも守りたいという強烈な父性が、紙野の奥底から、ふつふつと沸いて出てくる。
――だから、少しだけ冷静になれた。
もし、トコがいなかったら、もっと、無様に困惑していただろうが、『トコを守りたい』という爆発的感情が、トコの存在によって加速した紙野の混乱を、強制的に沈下させる。
――紙野は、そこから、
「……夢……っぽいけど……そうじゃないなら……どういう状況だ? 『限定空間』の中みたいな場所で目覚めて……隣でトコが寝ていて……」
必死になって頭をまわした。
とにかく現状を理解すること。
そのために、全神経を集中させる。
『限定空間』という魔法の効果やエフェクトは、自分で設定した。
だから、今、自分が、限定空間内にいると反射で理解できた。
「限定空間だ……この独特の青み……完全なホワイトじゃなくて、スノーホワイト……俺が設定した通りの魔法……初期設定じゃない……」
『知識』が連鎖していく。
プロにはなれなかったが、『登竜門の前であがいてきた経験』は本物。
地獄のカマの底で茹でられてきた悪夢を血肉に変えて生きてきた人生。
鉄火場での『もがき方』なら知っている。
頭が豪速で回転する。
その結果、紙野は、ある推測をたてる。
「これ、まさか……九十九神化……?」
ソレは、『チクタクダンス』に登録されている『シナリオ』の一つ。
「気づけば自分が作った世界に迷い込んでいる……同じだ……九十九神シナリオの導入と同じ……オリジナルの台本だと、街中に放り出される流れだけど……導入はいくらでもいじれる……限定空間スタートだったとしても、なんらおかしくはない……」
愕然とする。
ヒザから崩れ落ちる。
理解できているからだ。
この後の運命。
この先に待ち受けている苦難。
//実際のところは、紙野は、クロートによって強制召喚されただけで、九十九神シナリオに巻き込まれたわけではないのだが、しかし、そんなこと、今の紙野に分かるわけがない//
「……九十九神化は、誰かの陰謀や悪戯なんかじゃなく、単なる現象だ」
紙野は、頭を抱える。
紙野がつぶやいた通り、九十九神化は現象に過ぎない。
現状は、決して、九十九神シナリオではないのだが、
しかし、今の紙野にとっては、それ以外の想像には届かない。
それなりに賢い頭脳を持ってはいるが、
未知を既知にするタイプではなく、
『答えが存在する知識パズル』の『高速攻略』にのみ特化している。
「戻る方法はない……助けてくれる誰かもいない……九十九神シナリオとは、そういうもの……不条理の権化……その地獄の中で苦しむさまを楽しむシナリオ……見ている分にはいいけど、自分が経験したら最悪の地獄……」
頭を抱えてその場でうずくまる。
気づけば涙があふれていた。
理解力の分だけ苦しむ。
「うぅ……うぅうううううう……どうしよう……どうしよう……」
頭の中が黒いモヤモヤで埋め尽くされる。
心が砕けそうになる。
だが、そこで、紙野は、
「……」
自分の横で眠っている『娘』の顔をチラ見する。
先ほどと同じく、彼女に対する庇護欲が、
紙野の、弱り切ったメンタルを支えてくれた。
――子供が欲しいと思ったことは一度もなかったが、
もし、子供がいたら、ただそれだけで、こんなにも勇気が沸き上がるのか、
と、異世界に転移することで、初めて気づく紙野。
「……ぐっ……」
奥歯をかみしめる。
あらかた、状況を理解した上で、
紙野は、まっすぐ、前を向いて、
「――ゴミみたいな人生だった……だから、『あっちでの生活がなくなること』は……最悪、別にいい……」
吐き捨てる。
グっと奥歯をかみ締めながら、自分に言い聞かせる。
「ニコトピアを投稿して、リスナーに喜んでもらう……それが、永遠にできなくなることだけは残念だが……それだけだ……夢破れた底辺のドクズ……その人生を全うしたところで、何にもならねぇ……」