0話 神の創造。
0話 神の創造。
《 十行のプロローグ 》
5歳の夏に母が死んだ。
7歳の冬に父が壊れた。
高校を出るまで棋院で命を削り、プロを諦めてからは堅実な仕事を目指した。
7回受けた公務員採用試験、すべて二次で落ちた。
アルカディア新南七番館。その707号室が俺の家。
家族三人で、綺麗なマンションに住む。
それが母の夢だった。
父は、母が死ぬ直前に、その夢を叶えてあげた。
代償は多額の借金。
夢破れ、定職にもつけず、空っぽの城を守る毎日に埋もれる。
そんな俺の名前は、紙野創蔵。
――どうしようもない、出来損ないの唄を聞いてくれてありがとう。
//【無粋な捕捉】――紙野は、大器晩成型で、25歳を超えてから才能が開花する遅咲きタイプだった。だが、『23歳までの開花』が求められる囲碁の世界において、紙野は『プロになるためには何かが足りない微妙な器』という地位から抜け出すことはできなかった。無粋な話だが、ポテンシャルだけで言えば、彼の資質は、ぶっちぎりの歴代最高。もし、諦めることなく粘り続けていたら、そして、プロの年齢制限が23ではなく25だったら、彼は、当たりの前のようにプロとなり、以降、『死ぬまで無敗』で在り続けることも不可能ではなかった。
――これは、そんな、ここから開花するツボミの物語。
1話 ウジ虫の朝。
「おつかれさまでした」
深々と頭を下げてから、紙野創蔵は帰路につく。
時刻は朝の九時半。
深夜帯のバイトは体力的にも精神的にもキツい。
街のど真ん中の駅近にあるネットカフェ。
深夜だからといって人の数が少ないということもない。
寝にくるだけならいくらでもウェルカムだが、夜食を注文する輩の多い事多い事。
夜の間にやっておかなければいけない調整の仕事が山ほどあるのに、昼間とほぼ変わらない基礎業務内容。
七年もやっているので、流石に色々と慣れたが、寿命は確実に縮んでいる。
(あー、疲れたぁ……あのクソババァ、仕込み・納品・帳簿を夜勤に丸投げすんじゃねぇよ。蛍光灯も変えてなかったし。いい加減にしろ)
『仕事はできないくせに態度だけは大きい御局』に、いいように使われ、やらなくてもいい仕事を押し付けられるクソみたいな毎日。
(つぅか、『旭日』の野郎、なんで、ため口で命令してきてんだ。年もバイト歴も五年以上後輩だってのに。死ね、クソ野郎。マジで地獄に落ちろ。豪快に事故れ)
サボる事しかできないカスのくせに、なぜか誰よりも偉そうな、『どうして雇ったのか』と店長に問い詰めたいヤンキーの後輩に、心の中で呪詛を吐く。
――人生、基本的に、イヤな事ばかり。
思い通りにいかない事だらけ。
(まあ、でも、人生ってのは、どんなにしんどくても、楽しみがあればやっていける。早く帰って、結果をみよう。五桁を超えていると嬉しいけど……どうだろう)
店から歩いて二十分の所に、彼の家がある。
高額だったくせに、やたらとくたびれるのが早い中流マンション。
「ただいま」
返事はない。
父は既に役所。
父は鬱になったが、公務員なので、首は切られず、むしろ、高待遇を受けた。
「おかしな話だよな。バリバリ働ける俺が働かせてもらせず、まともじゃない父は養護されるんだから……ま、もう、どうでもいいけど。役所なんて肥溜めみたいなもんだ。むしろ、受からなくて助かったってもんだ。はーん」
ただただ辛いだけの人生。
紙野はすっかりヤサぐれてしまった。
「へっ。どうせ終わった人生だ。どんな理不尽も無味無臭だぜ」
吐き捨てながら、自室に入り、パソコンを起こす。
「さあ、頼むぞ……俺にはこれしかないんだ。せめて、これくらいは――」
懇願するように、とあるサイトを開く。
そして、唯一の趣味の結果を目の当たりにすると、
「……は、ははっ」
紙野は歓喜の声を漏らした。
「バイト行く前にあげたばっかなのに……もう六桁。ははっ……すげぇ、すげぇ」
紙野創蔵唯一の趣味。それは『うぷ主』。
『モキュ』という名前で、とあるPCゲームの動画を、五年前から投稿し続けている。
「ゴミみたいな俺が……こんなに……望まれて……ぁぁ……」
歓喜の声が嗚咽に変わる。途切れる事なく流れ続けるコメントが、彼の心に流れこむ。
『やべぇ、出遅れた』
『もきゅううう!!』
『うぽつ! この動画を見るためだけに生きてます』
『失踪すんな、マジで』
『二日で追いついた。www』
『これヤベぇ。面白すぎんだろww』
『151話マダー?』
『うぷ主、無理すんな。自分のペースで』
彼の動画のファンは推定十万人。
狂信的、熱狂的なファンも多い。
ファンの熱量はハンパなく、20話ごとに、新しいオープニング・エンディングの支援動画が投稿されるほど。
『うぷ主は俺の神』
「ははは。神とまでいわれると照れを通りこして、申し訳なくなるな。俺なんて、チクタクダンスがないと、何もないただの蛆虫なのに」