48話 たどり着いたのは、軽妙洒脱なウザさ。
48話 たどり着いたのは、軽妙洒脱なウザさ。
――『蝉原勇吾』は、もがき続けていた。しばらくの間、なかなか、殻を破れずにいたのだが、1兆年を超えて、少し経ったところで、ついに、蝉原にも革命が起こる。
「ん?」
それは、『真に積み重ねた者』の耳にだけ届くファンファーレ。
「み、見えるぞ……全部が……見えるっ!」
『蝉原の成長に合わせて強くなり続ける、破壊衝動カスタムの弟子たち』と殴り合いをしている途中、蝉原は、彼・彼女らの動きが点でとらえることはもちろん、線でとらえることも、円でとらえることもできた。
今まで、蝉原はノリと雰囲気だけで殴り合いをやっていた。
だが、今、蝉原は、確かな、己の理論を軸にして、弟子たちに攻撃をしかける。
「カンファレンスコール」
静かに、穏やかに、緩やかに、
蝉原は『得意としている必殺技』をはなつ。
蝉原の周囲に浮かぶ黒い玉からレーザーが発射された。
弟子たちは、それを、避ける事すらなく、雑に受け止めながら、途切れることなく、蝉原の動きを目で追っている。
膨れ上がった今の弟子たちからすれば、蝉原のカンファレンスコールは、『節分の豆まき』と変わらない。
低火力の豆鉄砲など、避ける価値もなし、
と、ナメた対応を見せてくる弟子たちを、
蝉原は、
「そりゃ、悪手じゃろ、ありんこ」
と、センエースを模したテンプレファントムトークで、嘲笑していく。
センエースに深く遠く焦がれたゆえに身についてしまった悪癖。
蝉原が放った今回のカンファレンスコールは、レーザーによるダメージを目的とはしていなかった。
黒い玉から放たれたレーザーは、まるで、『ゴムの性質をあわせ持つバンジーなガム』のように、強い粘着性と弾力をもって、弟子たちにからみつく。
弟子たちは、完全に絡みつかれてから、
この技の本当のヤバさに気づいたが、
しかし、当然、もう遅い。
「俺のカンファレンスコールは、呪縛と封印、両方の性質を併せ持つ」
なおもテンプレではしゃいでいくスタイルの蝉原。
センエースの悪い部分だけを模倣していくという、なんとも程度の低いヤンキースタイル。
しかし、その、『精度の高い、程度の低さ』は、蝉原の真骨頂ともいうべき無上の財産。
軽やかに、跳ねるように、ぞんざいに、
蝉原は、弟子たちを転がしていく。
「ははははは」
『戦術』の領域においては、『軽さ』も強力な武器になる。
『泥臭さ』と、とことんまで向き合い続けた結果としての軽妙洒脱。
『軽い指し手』は、『相手の防御をぶっ飛ばせる破壊力』こそないが、『速度のある攻め』なので、敵の陣形を崩したり、対応策を制限したりすることには長けている。
そうやって、軽く、速く、相手の嫌がることを徹底するというスタイルを遵守する。
それが、蝉原勇吾という概念が、もっとも活きる道である――と、蝉原は自分で勝手にそう判断した。
理解なのか、判断なのか、この辺は、所説あるところだが、それはそれで、自分らしく風流で良きかな、良きかな――などとも思いつつ、蝉原は、弟子たちの陣形を軽やかに崩していく。