89話 私は空(くう)であり、空(くう)もまた私なのだ。
89話 私は空であり、空もまた私なのだ。
ハスターの問いにセンは『泰然とした静かな笑み』を浮かべるだけにとどめる。
そのまま、静かな時間が流れた。
センの雰囲気の異質さに、ハスターは戸惑いを隠せない。
静かな時間の果てに、天才がひょっこりと顔を出して、
「タイムリープ、どうやった? うまいこと、いけた? いい感じに殺された?」
と、軽やかな言葉を投げかけてきた。
そんなトウシの問いかけに対し、
センは、泰然とした態度をわずかも変えずに、
「時間は今しか存在しない」
「ん?」
「田中トウシ、お前はまだ蜃気楼の中にいる。真なる涅槃の前では、時間跳躍の回数など、何の意味も持たぬ。私は天と一致し、天もまた私と調和を果たした。私は空であり、空もまた私なのだ」
「あかん、やばい。壊れとる。どないしよ。昔のテレビみたいに、どつき回したら直るかな」
「田中トウシ。気づけ。今のお前はコスモゾーンに囚われている。それではいつまで経っても、運命に縛られたまま。我を解き放て。お前という空は、実のところ、最初から自由なのだ」
「あかんわ。完全にキマってもうてる。もう目がヤバいもん」
と、雑な感想を述べつつ、
田中は、ヨグに視線を向けて、
「これ、大丈夫なん? いや、まあ、大丈夫ちゃうとは思うけど」
「……『3周目の初め』ぐらいまでは、ギリギリ正気を保っていたんだが、今では、ご覧の有様だ」
「3……周目? え、ループ3回目ってこと? いや、そんなわけないよな? たかが3回やそこらで、ハスターがここまで強くなるわけがない。ハスターの強さ もはや理解できんとこまで来とる。ぶっちゃけ、もうようわからんレベル。下手したら500億回を超えて、2周目に入っとる可能性も……ん……3周目……2周……え……まさか」
所詮、『常識の中』に生きている田中にとって、センエースという奇行種は予測の範囲外。
だから、『まさか、そんなことありえない』などと言うトンチンカンな領域で彷徨うハメになる。
センエースを常識で捉えようとしてはいけない。
点や線や円や面でとらえるのではなく、閃でとらえないといけない。
センエースは必ず、最悪の想定の斜め下を潜っていく。
「今は、3周目の290億回目だ。正確にトータルの数字をいうのであれば、1298億5567万3590回目。時間にすると2兆年以上。だから、まあ、壊れても仕方がないと言える」
「――な、なんで3周目に突入しとんの? ワシの想定では、2周目をクリアできるかどうかが鬼門やったんやけど」
「2周目は、案外、サックリとクリアしてたな。もちろん、何回かは壊れたが、どうにかこうにか踏ん張って、普通に走り切った。3周目も途中までは順調だったんだが、疲労骨折のように、積もりに積もった負荷に耐えきれなくなった感じだ。とはいえ、本当にぶっ壊れたわけではない。今のセンは心を殺して、自分を保っているといったところ。ほぼ無我の極致と言ってもいい。心を殺し、無意識に身を任せ、滅私を貫いている。これは、かつてのセンがソウルゲートの後半戦でもやっていたことだな。あの時は、堕ちただけだが、今のセンは自力で、『空』の状態に入り込んでいる。これは大きな成長だ。さすが、『完全なる自力のみで2兆年を詰んだ男』は格が違った。面構えのケタが違う」




