─後日①─
蛇足と思われてしまわないか不安ですが、ちょっとした後日談追加しました。またもあっさりとした終わりではあります。
「はあ…」
「どうしたの、溜息なんてついて」
放課後、学校の教室でクロエは友人のジゼルと机を挟んで向かい合って座っていた。机に両肘をつき、軽く項垂れて額の前で手を組み、眉間に皺を寄せるクロエは、ジゼルの問いかけにパッと顔を上げた。
「不満だわ」
ジゼルはそんなクロエの言葉に、きょとんとする。
つい昨日まで、姉の代わりという形で婚約が決まったが、「君でよかった」と言ってもらえたと、とても優しくて良い人だと、毎週末には一緒に出かけているのだと。嬉しそうに同じ話を何度も何度も繰り返して、よくもまあ飽きもしないなと、こちらが呆れてしまうまで聞かせてきたではないか。
「あんなに惚気ていたのに?」
「のっ!?惚気なんて…。わたくし、そんなに浮かれていたかしら?」
額の前で組んでいた手を外し、クロエは少し熱くなった頬に手を添えた。
その様子はなんとも可愛らしい。が、クロエの自覚のなさに、ジゼルはジトッと目を細める。
「ええ、とても。そのまま空へでも飛んでいけそうなくらいね。なんなら飛んでいってほしかったくらいだわ」
「それはごめんなさい」
ジゼルの嫌味にクロエが素直に謝ると、ジゼルは淑女らしくもなく机に片肘を乗せ頬杖をつき「まあ、いいわ。それより何が不満なの?」と、先程クロエがこぼした言葉の続きを促した。
「お顔?」
「いいえ。最初こそ驚きはしたものの、今では黒子と同じような彼のチャームポイントだと思ってるわ。それに、みんな痣にばかり気を取られていて気がついていないけれど、彼はそれなりに整ったお顔よ?」
「性格?」
「いいえ。穏やかで、優しい方だわ。こちらが不義理を働いたにも関わらず、わたくしにとても良くしてくださるの。この前なんてね─「わかった。性格についてはもういいわ」
また始まってしまいそうな惚気話をジゼルは強制的に止めた。ほんとにどこか飛んでいってくれないかしら、と溜息を飲み込みながら質問を続ける。
「お金?」
「いいえ。お金遣いが荒いことも、極度の節約家ということもないわ。わたくしが最初ポロッとこぼしてしまったからか、部屋の内装をわたくし好みに変えようとしてくれたときは、さすがに止めたけれど」
「匂い?」
「いいえ。柑橘系で爽やかないい香りがするわ。最初香水なのかもと思って尋ねたの。そしたら石鹸だって言うから、わたくしもお願いして使ってる石鹸を彼のと同じものに変えたわ。どう?いい香りでしょ?」
腕を差し出すクロエの匂いをそっと嗅ぐ。確かにいい香りだ。きっと婚約者の商会経由のものだろう。今度どこのお店のを使っているのか聞こう。ジゼルはそう決めた。
いや、そんなことよりも続きだ。
「センス?」
「いいえ。商会に携わってるだけあって、とてもセンスがいいわ。このリボンもね、彼がくれたの。可愛いでしょう?」
クロエはくるっと上半身を捻り、ハーフアップにまとめている髪をくくっているリボンをジゼルに見せた。
クロエの淡い栗色の髪の毛に、赤橙色のリボンがよく似合っている。
「じゃあ、何が不満なのよ」
ひとつの質問につき、ひとつは惚気が返ってくることに対してジゼルはうんざりし、結論を焦いた。
「わたくしは彼に何もできてないの!」
思わず、顎を支えていた手がガクッと外れた。
「そ、そんなこと…」
「そんなことじゃないわ!学生の内はって、お仕事のお手伝いもさせてくれないし、贈り物だって、わたくし個人のお金なんてないし…」
クロエは肩を落とし落ち込んだ。
彼からしたら、上位貴族との繋がりを目的として結んだ婚約だ。だから少しでも力になれたらと申し出たのだが、学生で在る内はそんなことしなくていいと断られてしまった。
例えば彼がリボンを贈ってくれたように、贈り物だって考えた。しかし、お小遣いという制度もなく、学生のクロエには個人で使えるようなお金はなかった。
そんなこと、と言ったジゼルだが、思い悩む友人の力になってあげたいとは思っている。
ふむ、と少しだけ考えを巡らせ、提案した。
「手伝いは、あなたがごねて転げ回っても婚約者様が許可を出さないだろうから、仕方ないとして…。
贈り物については、なにもお金をかければいいってものじゃないわ」
「どういうこと?」
「ハンカチーフに刺繍を入れてプレゼントしたらいいじゃない。侯爵家だもの。それなら揃ってるでしょ?」
ジゼルの提案に、クロエは思わず渋い顔をする。
何せ、クロエは壊滅的に不器用であった。だから、真っ先に候補から削除したのだ。
「でも、わたくしの刺繍は─「ど下手くそよ」
ジゼルはクロエの幼少期からの友人である。クロエに改めて言われなくても、それくらい知っている。
「あなたの婚約者様は、あなたがど下手くそなものを贈って気分を害するような方なの?」
「いいえ、そんなことないわ」
クロエは首を横に振り、否定した。
マティアスとはまだ短い付き合いだが、そのような人間ではないことは分かっているつもりだ。
手を上げ、走り回るようなはしゃいだ喜び方はしないものの、温かな笑みを浮かべる彼は安易に想像できる。
クロエはうん、と頷き、「わたくし頑張るわ」と胸の前で両手を握りしめた。
「ジゼルも手伝ってね」
「嫌よ」
「えっ!?」
まさか断られるとは思わず、クロエは素っ頓狂な声を上げるが、その後始まったふたりの小さな攻防は、結局ジゼルが折れる形で決着が着くのであった。