1話 死んで異世界
現在29歳で、明日には三十路を迎えるというのにいつもと変わらず22時まで仕事をこなし帰路をゆっくり歩く俺、日雲 煉央。
帰ったら祝ってくれる彼女が居るわけでもなく、両親も居ないので親からのお祝いメッセージがあるわけでもなく、一人虚しい家が待っているだけ。
孤児院でお世話になった院長も何年か前に亡くなった。この上ない天涯孤独な訳だ。今更もう慣れっこだが、やはり少し寂しさというものはある。
帰ったら、買ってあるビールとつまみと自分で買っておいた小さなケーキを0時回ったら食べよう…なんて考えながら横断歩道を渡る。
《おいで………》
「………?」
今、誰かの声が聞こえた…?
《…ておいで…》
か細いが余りに声が近く辺りをキョロキョロ見回すが、時間帯が時間帯なので人は少ない。疲れているから幻聴でも聞こえてしまったんだろうか。幽霊とかは信じないタチなので自分は気のせいだと思い足を進める。…しかし、ふとどこかで聞いた事があるような声のような気がして、横断歩道の途中という事も忘れて立ち止まった。懐かしさを思わせるさっきの声…どこで聞いたんだ…。
するとププー――!!!!と勢いあるクラクションが聞こえ、ハッと横を見ると大型トラックがすぐそこにブレーキを踏みながら来ている事に気付く。その瞬間―――
《帰っておいで》
はっきり声が聞こえた。
そこからは全身激しい痛みと、朦朧する意識の中で自分から生暖かい赤い液体が流れているのを感じた。周りの慌てる音や、救急車を呼ぶ大きな声が遠くに聞こえる。
俺…死ぬのかな…こんなつまんない人生で、結婚もできず…というか好きな子も出来た事なく童貞のまま死んでしまうのか……。
そんな思いで涙を流しながら俺は目を閉じた。そしてあの声は誰だったんだろうか…。
――――――
―――――
―—―
薄っすらと目を開けるとそこは、暖かくて淡い光に包まれた空間に居る事を把握する。そうか…一応天国には来れたのか俺。ゆっくり起き上がり辺りをキョロキョロ見渡すと少し長めの黒髪がファサァと触る。
「…………え?」
俺は黒髪だったが結構短かったぞ…?なんでこんな長…
そこでハッとする。起き上がっての視界の低さ。髪を触るのは少年のような手。全体的に若く聞こえる自分の声。気のせいでなければ、大人の姿ではなく少年の姿になっているのではないか?
「目が覚めたか。」
不意に後ろから声が聞こえバッと振り向くと、黒髪長髪の美形な男がこの何もない空間で一つ置いてあるソファのようなクッションに腰掛け俺を見ていた。
「……誰!?」
「一言で言えば、お前の父親だ。」
茫然とその男を見て、『父親だ』の部分がエコーで俺の頭の中に流れる。父親って…お父さんって意味か…?俺に親父なんて居ないはずだけど…?あれ、天国だから天国の父?
「俺に父は居ませんけど…。」
「そう思うのも無理はない。お前は生まれて直ぐ違う世界へ転生させたから。」
「転生…?」
話が全然見えない。違う世界って何だ?地球の事?確かに目の前の男は俺の知ってる世界の服装では無いけれど…。
「お前は元々私達の世界で生まれたが、事態が急変してお前を急遽逃がす形で別世界へ魂だけ転生させた。勝手だとは思うがそうするしかなかったんだ。お前の命が狙われていたからな。」
男の口調からは嘘を言っているようには聞こえない。しかし、どれも信じがたい話ばかりだ。自分がグルグルと頭を混乱させていると目の前の自称父親は目元を柔らかく小さく笑った。
「…何ですか。」
「いや…成長した姿がリーエに似ているなと。」
「リーエ?」
「お前の母さんだよ。」
「………!」
母さん…この人は俺の母親を知っているのか…じゃあ、本当にこの人が父親なのか…?
「これ…夢とか、俺の妄想とかじゃないよな…?」
「安心しなさい。すべて現実だ。」
「…それで、転生させられた俺がどうしてここに?」
「それは、俺が死んだからだ。」
「………はっ!?いきなり父親と言ったり、転生だの言ったりしておいて急に自分が死んだって!?」
「まあ、女神の呪いでな。できる限り生きたが私の魔法でも無理だった。そこで、私の唯一の後継者であるお前が呼び戻されたのだ。」
魔法?呼び戻された?益々話の流れが理解できない。しかもあっさり死んだと言う自称父親に怒りなど無く呆れが先にやってきた。
「あまり話している時間もない。簡潔に言うと、私はこの世界で『冥王』をやっている。詳しい内容は部下に説明するよう頼んであるから気にしなくていい。」
「え?冥王?」
「私のたった一人の血縁であるお前の肉体は私の宝物殿で厳重に守られている。次に目を覚ました時はそこで起きるだろう。」
「何?俺の肉体?」
「冥王が死んだと知られるわけにはいかない為に、お前を呼び戻し後継者として引き継いでもらいたいのだ。」
「ちょっと待て!簡潔すぎだろ!」
「一応私も死んではいるが、暫くはお前の中に魂の欠片を入れ呼ばれた時は出てこよう。」
「話を進めるな!」
こんなんが俺の父親って…!受け入れそうになっていたけど、やはり無理かもしれない!
「…すまない。こうして漸く会えたのに傍に居る事が出来ず。違う世界でも寂しい思いをさせただろう。」
自分の頬を慈しむように優しく触れてくる自称父親。その様子は、本当に申し訳ないのが表情で見てとれ、自分は少しだけ心がギュッと締め付けられるような感覚になった。
「…別に、施設の人達もいい人ばかりだし…両親が居ないからって気にしたことは無いです…。」
「そうか…。そちらの世界での名前は何というんだ?」
「日雲 煉央…。」
「ヒクモ レオ…良い響きだ。」
すると男の体が少しずつ光となって消え始めた。
「えっ…それ…。」
「ああ、もう持たないか…。」
「…なあ、こっちでの俺の名前ってあるのか?」
自分がそう聞くと驚いたように自分を見下ろす自称父親。もうこれが夢でも何でもいいと思ってきた。この人が嘘を付いてないことは分かるし、自分を大事に思ってくれている事も伝わってきた。正直俺は、両親が居なくてよっぽど両親に嫌われていたんだろうと思っていたから考えないようにもしたし、居なくても平気だと思い込むようにしていた。
だから、こうして自称父親を名乗り親として話してくれてるのが伝わってくるこの感じが少なからず嬉しいんだ。
「タオハ…私とリーエで一生懸命考えて名付けた名だ。それが『タオハ』。」
二人が俺に付けてくれた名前が『タオハ』…。不思議としっくりきたし、胸にストンと落ちる。そこで、俺は本当にこちらの世界の住人だった事を直感的に感じた。
「だが、あちらの世界の名前の方が慣れているだろうからそっちを名乗ると良い。」
「…いや、二人が考えてくれた名前が…俺の名前だし…。」
なんだか恥ずかしくなってきた…。思えばこうやって誰かに気持ちを出すのとかも初めてだから妙な緊張が…。
「タオハ…有難う。」
そう言って俺を優しく抱きしめてきた。なんだかこの姿だと本当に親子みたいだ…この人からしたらそうなんだろうけど。
「目が覚めたらシリウスという男を頼りなさい。お前の世話を全て任せている。まあ…程々にとも伝えているから…。」
何だ…?最後を濁すあたり不安しかないのだが…?
「…大丈夫。私とリーエは常に見守っているから。本当はお前の周りが平穏に過ごせるようにしてから呼び戻したがったが…不甲斐ない父親だ。それにしても、あいつ…無理やり呼び戻すとは…癪に障る…。」
穏やかだった顔が怖くなりどうしたというのだろうか。何者かに対して怒っているのは分かるのだが、ここは深く聞いてはいけない気がしてタオハは苦い顔して黙った。
「まさかお前を向こうの世界で死なせてから呼び戻すとは思わなかった。」
「え…知ってるんだ。」
「当然だ。お前の父親なのだから。」
ちょいちょい『父親』というワードを挟んでくるの慣れないから恥ずかしいんだけど…。
少し照れていると、突然目の前がガンッとふらついてとてつもない睡魔に襲われる。俺の体を支えてくれている自称父親の体もほとんどが透明だ。この眠気は何だ…。もう目が閉じる…。
「ああ…お前の魂と肉体が元に戻りつつあるせいだ。そのまま眠ってしまいなさい。起きたらお前は自分本来の肉体で目覚めるから。」
「そ…な…。」
視界がボヤボヤで目の前の自称父親の姿をしっかり捉える事が出来ない。そしてタオハは言われるまま目を閉じて眠った。最後に『また会おう、タオハ。』と父親の言葉だけが聞こえたのだった。
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冥界の最奥にある古城に、莫大なエネルギーの光の柱が出現した。
力ある者は新たな力の生誕を感じ取り、ある者たちは歓喜や興味、畏怖を抱く者たちが居た。
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徐々に意識が浮上してくると、手足の感覚も分かるようになってきた。しかし身動きは取れない。ゆっくりと目を開ける事に成功すると水晶のような中に居るのを薄っすら確認する。すると、パリ――ンと音を立てて砕け散り、俺はそのまま地面へ着地した。
意外に頭ははっきりしており、直ぐに現状を把握しようとする思考が働いた。まず、自分の手を見ると先程まで一応自称な父親と話している時の少年くらいの手だ。
辺りを見回すと壁から水が静かに流れる音が聞こえ、全体がグレーで統一された綺麗な空間。真ん中には豪華な赤い絨毯が真っすぐ縦長に敷かれていた。そして、全ての石壁に光る宝石のような石が綺麗に光を放っていた。
ここが言っていた宝物殿…?
「お目覚め、おめでとうございます。」
ふと声が聞こえ、右下に視線を移すと赤い絨毯の横にハイグレーの髪をした顔の良い青年が黒い燕尾服を着てニッコリとこちらを見ていた。
「えっと…どちら様?」
「…俺はシリウスと申します。心よりお待ち申し上げておりましたタオハ様。我らの主人、新たな冥王様。」
1話 終