十一章⑩
『はじめるわよ!!』マリンローズの鋭い檄に、生徒たちが一斉にときの声を上げる。
「イ、イメージしなくちゃ……鮮明に、正確に……!」
しかし、思いとは裏腹に焦るばかりだ。大魔法の行使には膨大な魔力量が必要になる。チャンスは一度切り、絶対に失敗できないというプレッシャーのせいで、上手くイメージが固まらない。泣きそうになっていると、驚くほど穏やかな声が降り落ちてきた。
「ーー大丈夫。君になら救えるよ。誰よりもこの世界のことを愛してきたのだからね。だからこそ、きっと、君はアンジェリカに代わる救世主として選ばれたのだ」
「シリウス兄様……」
アイスブルーの双眸が、ふいに、いたずらっぽく細まる。
スッ、と私の目の前に手のひらを差し伸べ、彼はまるでとっておきの呪文を唱えるように、こう言った。
「『さあ、ともに行こう。僕の愛しいプリンセス』」
「ーーっ!!」
その言葉に、輝くようなその笑顔に、それまで胸に立ち込めていた不安が晴れ、埋もれていた記憶が鮮やかに蘇った。
〝プリンス&プリンセス 〜恋からはじまる学園生活〟のオープニング映像がーーかつて孤独の中にいた私を、救ってくれた世界。何百回、何千回と見返した、生まれ変わっても決して忘れることのなかった記憶がーーそれこそが、マリンローズが指示した、この窮地を切り開く切り札だ。
深く息を吸い込んで、差し伸べられた手をしっかりと握りしめる。
「ーーはい!!」
同時に、手のひらを通じて凍るような冷気が流れこんできた。秘境の大地から魔王が吸収した魔素だ。こんこんと湧き出る湧水のように、魔素は私の中に惜しみなく注がれていく。
そして、胸の中心に集まった途端に、燃え上がるような熱ーー魔力に変わる。
(ーー今だ!)
想い描くのは、大きく開いた金色の扉だ。その向こうから、まるで朝日を直視するかのような眩い光が溢れ出す。
扉が消え去り、徐々に光の中から姿を現すのは、天空に描かれた巨大な魔法円の上で一心に祈りを捧げる伝説の聖女ーーいや、アンジェリカだ。
いつの間にか、私のイメージするオープニング映像は、現実の光景として眼前に広がっていた。アンジェリカの祈りとともに、その身から金色の光が迸り、生徒たちの魔力を極限まで高めていく。
天馬がいななき、金色に輝く聖獣たちは魔王めがけて一斉に飛びかかった。しかし、その牙が届く前に、魔王の身を守る魔障壁に阻まれてしまう。
ーーゴオォォォン!!
間髪入れず、轟音とともに放たれた一条の白雷がその壁を容易く消し飛ばした。私の知るオープニングでは、雷を放ったのは聖女とともに戦った竜人族の王子だ。
でもーーと、イメージ通りの展開に笑みが溢れる。
「やっぱり、雷といえば貴女よね、マリンローズ……!!」
『その調子よ、成海しずく! ーーさあ、貴方たち。最後の仕上げよ!!』
『まっかせて、マリンローズ先生!』
『天馬と聖獣たちの力で、魔王を浄化します!!』
双子が元気よく拳を突きあげる。生徒たちは鼓舞に応えるように、揃って呪文を詠唱した。聖獣の力を高める祈りの唄だ。古代語で唱えられるその唄は、オープニングで流れるプリプリのテーマソングそのものだった。
聖獣たちは眩い光を纏いながらふたたび魔王に飛びかかり、その牙で、その爪で、炎や風、吹雪を巻き起こしながら、魔王の身体を塵のように消しとばしていく。
反撃しようにも、内側ではシリウス兄様が魔素の流れを操っている。大魔法の行使で莫大な魔素を吸い取られてしまっているうえ、未熟なまま復活を遂げてしまった魔王に、もはや抵抗する力はなかった。
身を捩り、産声のような断末魔をあげながら。
地平に昇る太陽に、夜の闇がなすすべもなく消えていくように。
依代としていたシリウス兄様の身体だけを残して、魔王は聖女たちの光の前に消えていく。
最終決戦の決着は、驚くほどあっさりと着いたのだった。
魔王が消滅していくにともない、それまで私たちを閉じ込めていた空間にも亀裂が入った。剥離し、崩落していく空間を眺めていたら、シリウス兄様の腕がそっと私を包み込んだ。
「ーーさあ、おいで。マリンローズの身体に戻るまで、僕が君の器となろう」
「器、ですか……?」
「今の君は魂だけの状態だからね。このまま魔王の深層意識が消滅してしまったら、君も一緒に消えてしまう。僕が一時的に器となって、マリンローズのもとに送り届けてあげるよ」
「……帰らなければ、いけませんか?」
思わず口に出てしまった問いに、シリウス兄様は怪訝な顔をした。
「嫌なのかい?」
「……実は、ずっと考えていたんです。私という存在は、シリウス兄様とマリンローズーー二人の邪魔になってしまうんじゃないかって。シリウス兄様が愛していたのは前世の私ではないでしょう? さっきは怒っていないと仰ってましたけど、私は彼女であるふりをしながら貴方に近づいて、騙していたんです。そのことは、なにを言い訳にしても変わりません」
「……」
「もちろん、最初は恋愛感情があったわけじゃなくて、人生初の推しに出会えたことに感動して、興奮していただけだったんですけど……その、い、今は、それだけじゃないので……っ」
ぽろぽろと、どうしようもなくなった心が涙になって溢れ出していく。
止められなかった。
嗚咽も、言葉も、彼への気持ちも、なにもかも。
馬鹿だと思われるかもしれないが、私は自分の来世であるマリンローズに、醜い嫉妬心さえ抱いてしまっていた。
こんな歪んだ思いを抱えたまま、彼女の身体に戻っていいはずがない。
「ーーっ、つ、らい、です。こんな気持ちを抱えたまま、二人の側にいるのは……ずっと、叶わない片思いを、してるみたいじゃないですか。だから、わたしはこのままーー」
消えてしまったほうがいい。
そう口にする前に、シリウス兄様の腕に力が込められた。
「君がマリンローズの半身であり、マリンローズは君の半身だ。君が認識していなかっただけで、君という人格は彼女が生まれたときからいたのだよ。どちらが欠けても、僕の愛した彼女ではなくなってしまう。なにも思い悩むことはない」
「で、でも、シリウス兄様はーー」
「まだわからないのかい? 僕は君を愛しているよ。ーーしずく」
艶やかな低音に名を紡がれ、ゆっくりと、唇に彼の体温が重なった。
そのあまりの衝撃に、全身が沸騰しそうになる。
(え……っ!? えっ!? ええっ!? な、なにがどうなってるの……?? こ、これって、キ、キキキ……っ!?)
あまりの混乱に思考がふっとんでしまったのだろう。ふと浮かんだのは〝エモーショナリーボイスシステム〟という単語だった。
ーー新プリの攻略キャラクターたちは、プレイヤーの名前をボイスつきで呼んでくれるだけに留まらず、親しくなるにつれて呼び方が苗字からあだ名へ、最終的には名前呼びへと変化していく。
しずく、と、彼は私を呼んでくれた。
(じ、実名万歳……っ!! 恥を忍ぼうがなんだろうが、やっぱりこういうものは実名で登録するべきよ……!! ああーーっ!! いますぐリロードしたいっ!! スマホに録画して一日中聴き続けていたい……!!)
身が震えるほどの喜びととめに、そんな思いまで伝わってしまったのだろう、シリウス兄様はクスクスと笑いながら唇を離した。
「そんなことをしなくても、君が望むなら一晩中呼び続けてあげるよ。ーーちなみに、君の記憶をもとに考察するに、君とマリンローズの人格が分かれてしまったのは、抱く感情があまりにも違いすぎたからだ。教師という職業や、生徒たち、僕に対する気持ちもね。でも、数々の葛藤と合意をくり返すうちに、君たちは互いに共感し、抱く感情も同じになりつつある。きっと、あるべき形に戻れるだろう」
おいで、とふたたび抱き寄せられる。
「愛しいしずく。君の望む幸せを叶えるために、僕はここにいるのだ。〝みんなで一緒に、幸せな卒業式を迎えよう〟」
「ーーはい!」
シリウス兄様の腕の中に抱き込まれると同時に、それまであった彼の輪郭線がふいに無くなった。いや、輪郭が無くなったのは私の方で、身体はいつの間にか透けていて、すでに半分ほどが彼の身に溶け込んでいる。
不思議と、恐怖はなかった。
かわりに胸を満たしたのは、これ以上ないほどの幸福感だ。
温んだ波に身を浸すように、優しく境界を侵食されていく。体温と身体が交わって、ゆっくりと一つになっていく感覚は、母親の腕に抱かれて眠る赤子にでもなったかのようだった。
意識はしだいに、穏やかな眠りの中に溶けていく。私はそっと瞼をとじて、その不思議な安堵感に身をあずけた。




