十一章⑨
「君は……」
絹の上着にしがみつき、必死に懇願する私に、シリウス兄様は冴えたアイスブルーの瞳を細めた。
「本当に優しいね。ーーそして、とても怖がりだ。君が自分自身の幸せを望めないのは、ご両親との別れが原因なのだろう。とても苦しく、悲しい記憶だね」
「あ……」
こちらを見つめる蒼の中に、私の記憶の一部が映りこんでいる。
それは、幼い私が抱えるにはあまりに辛く、遠い昔に心の奥底に封じ込めたはずの記憶だった。
ーー高速道路で大破した車から、瀕死の私が助け出されている。両親は即死。事故の原因は運転手の居眠りだった。遊園地からの帰り道、車を運転していた父はとても疲れていたのだ。仕事が忙しく、小学生の私にろくに構うこともできなかった両親に、誕生日だから、と一度だけわがままを言った。
三人で、一緒に遊園地に行きたいと。
両親が死んだのは私のせいだ。
わがままを言ったばかりに、自分の幸せを望んだばかりに、大切な人達を失ってしまった。
だから、私はもう二度と、同じ過ちを繰り返したくはない。
「ご両親のことは、君のせいでは決してないよ」
「やめて……」
「親に放っておかれた子供が、寂しさを感じるのは当然だ。幸せな思い出を望むのも、なにも間違っていないよ」
「違う、違うわ……! 私がわがままさえ言わなければ、父も母も死なずにすんだのよ!! 全部、私のせいなの……!!」
「そうやって、君が自分を責めて、誰かの犠牲になり続けることを、ご両親が喜ぶと思うのかい? 君は、君自身が幸せになることをちゃんと望むべきだ。ーー少なくとも、僕はそう望んでいる」
唐突に、シリウス兄様の端正な顔が視界いっぱいに広がった。眼鏡が外され、彼の唇が眦に浮かんだ涙をすくいとっていく。
熱い吐息が、肌に触れた。
(きゃあああああーーーーっっ!!?)
そっと押し当てられた唇の、そのあまりの柔らかさに声にならない絶叫をあげる私に、シリウス兄様はにっこりと微笑む。
「可愛い人。君の幸せを望んでいるのは、どうやら僕だけではないようだよ?」
「え……っ?」
どういうことかと尋ね返すよりも先に、ものすごい怒号が雷鳴のごとく響き渡った。
その力強い言葉は空間に立ち込めていた霧を引き裂き、ひとつの映像を映しだす。
『この馬鹿前世ーーっっ!! 聞こえているなら、さっさと返事をなさいっ!!』
マリンローズ・メルリーヌ。
空に浮かんだ巨大な光の魔法円の上に仁王立ちする彼女は、なぜか金の角と尾を生やし、竜人のような姿になっていた。
彼女の側には、聖女の聖獣である天馬を従えたアンジェリカの姿もある。金色の聖獣達を従えたレオンハルト、シルヴィア、アルベルト、セオドール、プリシラも一緒だ。
さらに、不思議と見覚えのある容姿をした二人の少女たちが、彼等の前に飛び出した。
『成海先生ーーーーっっ!! わたしたち、アンジェリカの娘として生まれ変わった〝天野めぐみ〟と〝氷鷹麗〟です!!』
『どうか、早まらないでくださいっ! 私たち、二度も先生を失いたくありません……っ!!』
「え……?? あ、〝天野めぐみ〟と〝氷鷹麗〟って……ええっ!?」
「ふむ。彼女たちが、君がその身をていして命を救った生徒たちか。同じ世界に生まれ変わるとは、先生想いだね」
「のんきに感心してる場合じゃないですよ! ど、ど、どういうことですか!? どうしてあの子たちがこの世界に転生を……まさか、あのとき助けられてなかったとか!?」
「いや。彼女たちは二度も君を失いたくないと言っている。ともに死んだのなら、その言い方はおかしい」
事態が飲み込めず混乱する中、シリウス兄様の冷静さがありがたかった。彼の話によると、この映像は未熟な状態で復活した〝魔王〟が感知している視覚的情報を映しだしたものであるらしい。私とシリウス兄様がいるこの空間は、〝魔王〟の深層意識ーーマリンローズと会話していた無意識下の亜空間に似た場所なのだ。
「普通は声など届くものではないが、君とマリンローズはもともと一つの魂だ。魂で繋がれた者同士には、切っても切り離せない強い絆がある。呼びかければ、感じ取ることができるかもしれない」
「わかりました! ーーマリンローズ、みんな!! 私はここにいるわ! シリウス兄様も一緒よ!!」
声を限りに叫んだ言葉に、直接の反応はなかった。けれど、しばらくしてマリンローズがハッとした顔になり、ふたたび声を張った。
『やはり、そこ(・・)にいるのね……! いいこと、成海しずく!! 一度しか言わないからよく聞きなさい! 今からここにいる皆で、オリジナルの大魔法を創造する。私を助けたときと同じように、〝魔力を集めて効果をイメージする〟の!!』
「オリジナルの大魔法……でも、一体なにをイメージすればいいの!?」
たずねるものの、心の中は不安で満ちていく。
シリウス兄様に魂を引きずり出されそうになったとき、マリンローズを救えたのは本当に偶然だった。いちかばちかの大勝負が偶々うまくいっただけのこと。意図して同じことができるかというと、まったく自信がない。
イメージは魔法の根源だ。
マリンローズの身体で魔法を行使するとき、彼女はいつも私に言い聞かせてきた。なによりも、魔法の効果を強くイメージすることが大事だと。発動に必要な呪文や数多ある形式は、すべてこのイメージを明確にするための手段に過ぎない。
前世で死を経験した私には、この身に刻まれた強烈な死の記憶があった。特別に強烈な体験だからこそ、〝自分自身を犠牲に他人を助ける〟というイメージを、オリジナルの大魔法として顕現できたのだろう。
そんな記憶に匹敵するような体験ーー今のこの状況を打開できるような体験の記憶が、私の中にあるとはとても思えない。
しかし、マリンローズは不敵に笑ってビシリと言い切る。
『大丈夫! 貴女になら絶対にできるわ。イメージするものは、〝ーーーー〟よ!!』
「ーーっ!?」
告げられたその言葉に、ドクン、とあるはずのない心臓が脈打った。
なるほど、とシリウス兄様がうなずく。
「流石はマリンローズ、名案だね。それなら彼女と記憶を共有している僕にも助力ができる。彼女の人生の中でも最も強く、深く、鮮明に残っている大切な記憶だ。その強力なイメージを利用すれば、必ずうまくいく」
『シリウスロッド、大魔法の行使には莫大な魔力が必要になるわ。幸い、〝魔王〟は貴方の身体を依代にしている。王国屈指の魔法士である貴方の精神力なら、吸収された魔素の流れを変えられるはずよ。死ぬ気で成海しずくに魔素を供給しなさい!』
「ああ、任せてくれ。愛しい君の半身は、この命に代えても救ってみせる」
右手を胸に。厳かに誓いを立てるシリウス兄様だが、マリンローズはとたんに眉をつりあげた。
『馬鹿を言いなさいっ!! 一体、なんのためにこの私が必死になっていると思っているの!? 貴方と成海しずく、どちらも助からなくては意味がないのよ。いいわね、絶対に〝みんなで一緒に、幸せな卒業式を迎える〟わよ!!』
「ーーっ!」
「……ああ、そうだね。その願い、必ず叶えよう」
見上げた横顔の、冴えた蒼い瞳が眩しげに細まった。




