十一章⑦
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誰かの泣き声が聞こえる。
瞬間、それまで闇に閉ざされていた視界が純白の薔薇の花びらに埋め尽くされた。
目まぐるしく舞い散る花吹雪に包まれるうち、いつしかその一枚一枚が、おびただしい数の映像の断片であることに気づく。
私のものではない記憶だった。
不思議に思ううち、いつしか私は十にも満たないほどの少年の姿になっていた。マリンローズの中にいた感覚と似ているが、身体の自由がきかない。純白の薔薇の大樹の下にうずくまり、たった一人で泣きじゃくっている。
苦しかった。
悲しかった。
でも、同時にそういう気持ちを抱いてはいけないのだと、強い自制心が働いてしまう。
この身には魔物が封じられているから。
人の憎しみを糧に育つ、得体の知れない恐ろしい魔物が。
「ーーっ」
胸が詰まって、酷い吐き気がした。
できることなら、このまま誰にも見つからずに消えてしまえればいいのに。自暴自棄に苛まれるあまり、そんな考えさえ浮かんだ。
そのときーー
「シリウスロッド・フレースヴェルグ!!」
だしぬけに名を呼ばれ、飛び跳ねるように顔をあげた。まさか、この庭に他の人間がいるとは思わなかった。純白の薔薇が咲き誇る室内庭園は、家人以外は立ち入ることができないプライベートな場所だ。
しかし、聞き間違いでもなんでもなく、視線の先には真新しいドレス姿の少女が腕を組んで立っていた。
年端は少年と変わらない。艶やかな紅い髪。眼鏡越しに光る、意志の強そうな琥珀色の瞳。
慌てて涙をふいて立ちあがる少年に対し、彼女はなぜかとても不機嫌そうに眉をつりあげる。
「シリウスロッド・フレースヴェルグ! あなたがそうなら、とっとと返事をして欲しいものだわ! この私を迎えに来させたうえに無視するだなんて、いい度胸ね!」
「た……確かに、シリウスロッドは僕の名だ。……あの、君は?」
見覚えのない少女だと、少年ーーシリウスロッドは感じていた。茶会の席やパーティーで会った相手はすべて記憶している。眼鏡をかけた令嬢だなんて、そんな特徴的な相手を忘れるはずはないのにと。
しかし、彼の中にいる私には、少女の正体がはっきりとわかっていた。
くい、と中指で眼鏡を押しあげ、少女は堂々と名乗りをあげる。
「私の名はマリンローズ・メルリーヌ! かの天才魔法士、アンブローズ・メルリーヌの孫娘よ。この白薔薇の樹の精霊に、貴方のことを迎えに来て欲しいと頼まれたの。だから、わざわざパーティーを抜けてきてあげたのよ」
「白薔薇の木の精霊……?」
「会場に切り花が活けてあったでしょう? だから、花を通じて私に話しかけてきたのよ。今日のパーティーはあなたの生誕を祝うために開かれたんでしょう? それなのに、主役が尻込みして泣きべそをかいているなんて、呆れてものも言えないわ!」
ものも言えないと言うわりには、少女ーーマリンローズはずけずけと遠慮なく指摘する。メルリーヌ家は優秀な魔法士を数多く輩出する辺境伯家だが、その身分は王家との繋がりのあるフレースヴェルグ公爵家には及ばない。子供だからと甘い目で見ても礼を欠いた言動だったが、シリウスロッドは憤るよりも、その内容に興味を惹かれたようだった。
「花を通じて話しかけてきた、か。まるで、精霊と会話ができるように言うんだね」
「まるでじゃなく、会話ができるのよ。信じられないでしょうけど、私は優れた魔法士だから当然なの」
なんでもないことのように言い、マリンローズは驚きに瞠目するシリウスロッドの双眸をじっと覗きこんだ。
「あなたには、とても強い聖獣が宿っているのね」
「……っ」
「どうしてそんな怯えた顔をするの? 光栄だと喜ぶべきことじゃない」
「……僕には、とてもそんな風には思えない。この力のせいで、大切な人を失ってしまうかもしれない。僕が僕でなくなってしまうかもしれない」
「……」
「パーティーを尻込みしていたんじゃない。もし、なにかのきっかけでこの力が暴走して、無関係の者を傷つけてしまったらと思うと、恐ろしくてたまらなくなってしまったんだ……マリンローズ・メルリーヌ。君も、もう僕には構わないほうがいい。わざわざ迎えに来てくれたのに、悪かったね……」
「……そう」
シリウスロッドの言葉を聞いたあと、マリンローズはじっと下を向いて考え込んでいたが、ふいに顔をあげた。
瞬間、天窓の向こうにある青空から、眩い金色の光の柱が鼻先すれすれの位置に降り落ちた。
まさに晴天の霹靂だった。
巨大な竜の咆哮を思わせる轟音が全身を震わせ、シリウスロッドは耐えられず尻餅をつく。
そういえば、以前に聞いたことがある。メルリーヌ家に生まれた子供が、雷の聖獣の加護を授かったと。
彼女がそうなのか。
茫然とするシリウスロッドを、マリンローズは満面の笑みでもって見下ろした。
「いくら強い聖獣の加護をもっていたとしても、私やおじいさまの足元にもおよばないわよ!! その程度の力を授かったくらいで泣くほど悩むなんて、おこがましいわ!!」
「お、おこがましい……?」
「そうよ! そういうことは、私みたいに行く先々で恐れられるようになってから言うのね。今日のパーティーだって、令息という令息が真っ青になって震えあがって、私とダンスを踊れる強者は誰一人としていなかったんだから! かたや、あなたは人気者よ? 令嬢という令嬢が、血眼になって探し回っていたわ。あなたとダンスを踊るためにね!!」
「誰とも踊ってもらえなかったんだ……」
「ち、違うわよ!! 手を繋ぐときにちょっと静電気が走ったくらいで、悲鳴をあげて逃げだすほうが悪いの! だいたい、ダンスなんか踊りたくもなかったんだから、どうでもいいわ!!」




