十一章① リメイクされた乙女ゲームのラスボスを倒そうと思います!
『貴女って本当に、嫌になるほどお人好しなのね』
身体が水に浮かぶような感覚が急激に遠ざかり、視界は闇に閉ざされた。
声の方向に振り向くと、いつかのように、ゲームに出てきたままの姿のマリンローズが険しい顔で私を睨みつけている。
床も天井もない、闇ばかりのこの場所には覚えがあった。
「ここ……もしかして、前に貴女と会った無意識下の亜空間?」
『そうよ。魂を身体から引き離されるショックで、気を失ってしまったみたいね。でも、じきに貴女も私も消えてしまうわ。自己の身体を離れたら最後、魂は自我を保つことはできないの。もう、〝魔王〟の封印を解く鍵にされるしかない』
「そんな! まだ諦めるのは早いわ。シリウス様を助ける方法が、絶対にあるはずよ!」
『あいつを助けるですって……!? いいかげんに目を覚ましなさいよ! あの男は自分の欲望を満たすために、私たちを騙して利用していたのよ!?』
「違うわ!! 彼は愛していると言ってくれた。私たちを手にかけたくない、失いたくないだけだって!」
『そんな身勝手な気持ちを愛とは呼ばないわ!! もし、愛する人を守りたいなら、私なら、〝魔王〟もろとも死を選ぶわよ……っ!!』
怒気を含んだ語調とはうらはらに、マリンローズの表情は苦痛に歪んでいる。今にも泣き出したいのを必死に堪えているのが、これまで彼女と心をともにしてきた私には伝わった。
「死を選べば、ーー死ねば、救われたの?」
『え……?』
「彼のパラメータに書かれていたことを思い出して。今まで〝魔王〟の半身を封印できていたのは、シリウス様の魂という依代があったからこそでしょう? 彼が死を選んだら、魂は失われて〝魔王〟の半身が解き放たれてしまう」
『そ、れは……』
「彼は死を選ばなかったんじゃない。選べなかったのよ。逃げ場のない場所に追い詰められて、誰にも言えない怒りや恐れを心のうちに溜め込んできた。そのせいで両親の命が失われてしまった事実を、幼い頃から、たった独りで受け止めてきたの。心が壊れてしまうのも当然よ。彼の苦しみを、どうかわかってあげて」
ーーなんて、言うまでもないわよね。と、私は苦笑した。
「本当は、すべてわかっているんでしょう? 貴女は昔から、ずっとシリウス様のことを愛してきたんだから」
『な……っ!? ば、馬鹿言わないで頂戴! 違うわよ! 誰があんな、性根の歪みまくった奴……っ!!』
「今さらツンツンしたって無駄よ。私が初めてシリウス様に会ったとき、否応もなく一目で好きになってしまった。でも、一目惚れと言うには湧き上がる愛情が深すぎた。それは、貴女が彼のことを愛していたからなんだわ」
険しいばかりだったマリンローズの表情が、火がついたように真っ赤になる。どうやら図星のようだ。そもそも、婚約の誓約書にサインすると決めたのも彼女なのだし、もういい加減に認めればいいのに。そうぼやけば、琥珀の瞳に鋭く貫かれた。
『勝手なことを言わないでっ!! ひ、百歩譲って、好きだったらどうだっていうのよ!? たとえそうでも、シリウスロッドと魂ごとくっついて〝魔王〟になるだなんてごめんだわ!! 自我も意識も失ったまま、生徒たちやアンジェリカを殺めてしまうかもしれないのよ!?』
「そうね、それだけはさせない。マリンローズ、私にひとつだけ名案があるの。貴女の愛した人は、必ず私が救い出してあげる。だから、私の大切な人たちを。ーーあの子たちを、守ってね」
『名案……?』
(魔法の根源はイメージーー想像する力だと教えてくれたのは、マリンローズ。貴女だったわね。つまり、効果を正確にイメージすることさえできれば、望む魔法が行使できるということ……!)
私とマリンローズは、一つの魂に宿る前世と現世の二つの自我だ。
聖獣の依代となっているのは教鞭ではなく、自我の宿る魂そのもの。
なら、その魂である私なら、教鞭がなくとも魔素を魔力に変換できるーー魔法を使えるはずだ。
難しいことは考えない。
ただ、彼女を救いたいと強く思い描く。
正確に、精密にーーかつて、私が死を経験したときと同じ感覚を。
私はどうなってもいい。
彼女が救えれば、それでいい。
「マリンローズ、貴女は生徒想いの良い先生よ。上手くいかないように思えていたのは、生徒たちとの触れ合い方がわからなかっただけ。だから、もう大丈夫。貴女一人でも、立派にやっていける」
『急になにを言い出すの……? 一体、なにを考えているの!? 答えなさいっ!!』
答えるかわりに、空間が変化した。
闇ばかりの空間が、突如として、アスファルトの敷かれた道路の光景に切り替わる。前世で生きた世界の、私が最後に訪れた場所の記憶を再現したのだ。神社の朱い鳥居が真後ろにある。
思えば、私の最後の願いをーーリメイクされた乙女ゲームをプレイしたいという願いをーーあの神社の神様が、叶えてくださったのかもしれない。
「みんなで幸せな卒業式を迎えてね。それが、私の唯一の心残りなんだから」
道路に立つマリンローズの死角から、猛スピードでトラックが現れる。
『ーーこれは!! ま、まさか貴女……!? やめなさい、成海しずく!!』
瞬間、私は、迷うことなく彼女の身体を突き飛ばした。
遠くへ。
力の限り遠くへ。
「ーーさようなら、マリンローズ」
魂を奪われるのは、私だけでいい。




