十章⑤
「人間の魂に〝魔王〟の半身を……そんなことが可能なのですか?」
『……可能だよ』
はっきりと肯定したのはセオドールだ。そもそも、伝説の中で語られてきた〝魔王〟が実在すること自体、レオンハルトには信じられない。語り継がれるうちに、脚色や誇張がされるのはよくある話だ。だが、そんな猜疑心を咎めるように、紅い瞳が厳しく光った。
『……前にも言った通り、君たちが〝魔王〟と呼んでいる存在は、元はドラゴニアの竜人族ーー聖女に助力した王子の兄であった人物だ。彼は水の上位互換である、氷麗の聖獣の加護を持つ優れた魔法士だった。けれど、聖獣を暴走させた結果、魂を蝕まれ、最後には魔竜に変貌して、千年続く滅びの冬をもたらした……つまり、魔王の封印石に封じられているのは聖獣なんだよ。メルリーヌ導師は封印石の崩壊を止めるため、人間の魂を依代に、聖獣の力を封じようとしたんだろう』
「その通りです。そして、〝魔王〟の半身を封じうる魂を有していたのが、当時、王妃の胎に宿っていた赤子でした」
「え……っ!?」
皆の注目がレオンハルトに集まる。しかし、レオンハルトの聖獣は焔炎の獅子だ。〝魔王〟である氷麗の聖獣とは、むしろ対極的な存在のはず。
困惑する面々に、国王は続けた。
「わたしと王妃は苦しみ悩んだ末に、王国を守るため、〝魔王〟の半身を胎の赤子に封じる決断を下しました。禁忌の魔法に関わった魔法士は五人。わたしと王妃、メルリーヌ魔法士長、そして、フレースヴェルグ前公爵と、シルフィーヌ公爵夫人でした。アストレイア王家と〝王の剣〟である公爵家、王国一の魔法士を加護する強力な聖獣の力を集結させ、封印は見事に成功したのです。産まれた子供は銀の髪に、右目に氷のようなアイスブルーの瞳。左目には、竜人族特有の紅玉眼を持っていました」
「そんなっ!?」
国王の言葉を遮り、シルヴィアが叫んだ。
銀の髪にアイスブルーの瞳ーーそんな特徴を兼ねそろえた人物は一人しかいない。
「落ち着いてください、シルヴィア! 彼の眼は、紅玉眼ではないでしょう?」
「隠していますのよ……! あのモノクルには、瞳の色を変える魔法が施してあるのですわ。稀有な氷麗の聖獣の加護を授かったのも、フレースヴェルグ家には竜人族の古い血が混じっているからだと聞かされておりましたが……どうか、嘘だと仰ってくださいまし……!!」
震えながら懇願するシルヴィアを、国王はただ憂いを込めた眼差しで見つめた。
「…… 赤子は公爵家に引き取られ、シリウスロッドと名付けられました。半身とはいえ〝魔王〟を宿した者を、次代の王に据えるわけにはいかなかった……公爵家では、本当の息子が生まれたように完璧な偽装がなされ、封印に関わった五人の他には誰にも知られないよう、王家最大の禁忌の秘密として葬るはずでした。ーーしかし、大きな誤算が生じてしまった」
ーー王妃に、子が続かなかったのだ。
思えば、シリウスロッドとレオンハルトは十歳近くも歳が離れている。
その間、王妃は最初の子供を死産で失ったと責めたてられ、王の後継を望まれる大きなプレッシャーに苛まれて、心をすり減らしてしまった。
一方、シリウスロッドは美しさと聡明さを兼ねそろえた、麗しい少年へと成長していった。その姿に、王妃は自分の子を奪われた悲しみに耐えきれなくなり、ついに禁忌の秘密を打ち明けてしまったのだ。
貴方の本当の母親は、自分なのだと。
ーーごめんなさい、とシルヴィアの腕の中で王妃は咽び泣いた。
「すべては愚かなわたくしが招いた災いです……! シリウスロッドに施された封印は、魔法士の生命力によって保たれている。あの子は自身の魂に〝魔王〟を封じたわたくしたちへの復讐を望んでいたのでしょう……わたくしたちへの怒りや悲しみを抑圧するほどに、〝魔王〟の力は増し、魔法士の生命力は失われていきました。最初に犠牲になったのは、わたくしの妹、シルフィーヌ公爵夫人……その後、フレースヴェルグ公爵と、メルリーヌ魔法士長が相次いで亡くなり、ついには王の命までもが脅かされている。ーー王よ、わたくしがこの命をもって、シリウスロッドに再び封印魔法を行使します! どうか、お許しください……!!」
「ソフィアナ……あれは君一人の命で封じられるものではない。……それに、愚かなのはわたしも同じだ。我が子を生贄に、かりそめの平和を求めたのは間違いだった……」
「では、父上はご病気なのではなく、公爵に施した封印魔法の影響なのですね」
国王と王妃の嘆きの声を聞きながら、レオンハルトは冷静に、今の状況を考えていた。
母を糾弾するべではないと思ったのは、新たな命が生まれる瞬間に立ち会ったからだ。産まれたばかりの我が子を、愛することもできずに奪われた彼女の悲しみは、想像を絶するものだっただろう。
それに、彼等がこのタイミングで王家の禁忌の秘密を明かしたのには、必ず意味がある。この不可解な状況を打開する、鍵になるはずだという確信があった。
「メルリーヌ女史は、〝魔王〟に心を蝕まれた公爵に拐われた可能性が高いというわけですか……。問題は、どこへ拐ったかですが……」
「〝いにしえの秘境〟だ……!!」
アルベルトが窓の外を指差した。執務室にいたときはよく晴れていたはずの空が、いつの間にか暗雲に覆われている。天から夜が滴るような、特に深い闇が垂れ込めているのは、確かに〝いにしえの秘境〟の方角だった。
「公爵に封じられているのは、〝魔王〟の半身だ! なら、もう半分の力も取り戻したいと考えるはずだろう!」
「ーーっ! 狙いは、魔王の封印石ですか……!」
異様な天気に寒気がした。大気が黒く染まって見えるのは、秘境に集まる大量の魔素が、闇の魔力に変換されているためだとセオドールが言ったとき、寝室の外がにわかに慌ただしくなった。
火急の件であることを悟り、国王が入室を許す。伝令を伝えに来たのは、宮廷魔法士団の一人だ。
「申し上げます……っ!! たった今、〝いにしえの秘境〟の魔法結界壁が消滅したとの報告が入りました!! 秘境の魔物が大群を成して、王都に押し寄せておりますっ!!」
「な……っ!?」
「た、直ちに、王都防衛用、大規模魔法結界壁をーー、……っぐ、うぅっ!!」
国王は枯れた声を絞り、寝台から身を起こそうとするが叶わなかった。呼吸を詰まらせ、枯れ枝のような手で胸を鷲掴む。
「父上! 魔法士団の指揮は、私にお任せください! アルベルトとセオドールは、至急、出国の準備を!」
『……馬鹿なことを言わないで!』
「伯父上がこの場に俺たちを呼んだのは、ご自分の代わりにお前を支えて欲しいと協力を仰ぐためだ! 王都を丸ごと覆う魔法結界壁を築くには膨大な魔力がいる。王国最強の魔法士も、魔法士団の長もいない状態で、戴冠前の王子一人になにができる!?」
「し、しかし、貴方がたは友好国の王子です! もしものことがあったら!」
戦慄くレオンハルトの手を、セオドールの白い手のひらがそっと包んだ。その上から、アルベルトの手のひらも重なる。
並んだ視線は強く、穏やかだった。
『……レオンハルト。友好国を見捨てて逃げるなんて、ドラゴニアの誇りを汚す行為だ。ボクはこの強大な魔力のせいで、〝魔王〟の生まれ変わりだと畏怖されてきた。それがずっと嫌だったけれど、聖獣がボクに力を与えたのは、きっと、このときのためだったんだ。かつて聖女とともに〝魔王〟と戦った王子のように、君の力になる』
「まずは王都防衛用の魔法結界壁からだな。築くには膨大な魔力が必要だ。宮廷魔法士だけじゃ足りねぇ。市邸で尻尾を丸めてる貴族どもを引きずり出せ! 魔法士学園の生徒たちも、魔法を使える者は残らずな!!」
「アルベルト、セオドール……」
ーーレオンハルトくん。〝友達〟には、有益も無益もないものなのよ。
いつだったか、そうマリンローズに言われたことを思い出した。
一国の王子としてではなく、自分たち自身でいられるうちに、心から信頼できる関係とはどういうものかを学び、生涯続く絆を築いて欲しいと。
レオンハルトは、このとき初めて、その言葉を正しく理解した。
「ーーありがとう。貴方たちのような〝友達〟に出会えて、私はとても幸せです」




