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九章⑦


『……え? そ、そうなの……?』


「ええ。お兄様とマリンローズ先生は魔法士学園に在学時、王の御前で模範演習生として戦われたんですの。その際、〝杖〟を弾かれたマリンローズ先生は、勝ちを確信したお兄様の隙を突き、〝杖〟を使わずに雷を放つという離れ業で勝利されたのですわ。通常なら、〝杖〟を奪われた魔法士は魔素を魔力に変換できず、魔法が使えなくなる。聖獣との強い絆が生み出した奇跡の一撃に、お兄様はすっかり心を奪われてしまいましたの。それからずっと、想いを寄せておられますのよ」


 呆れ顔のシルヴィアに、セオドールは紅玉石の目を丸くする。他の面々も半信半疑だ。


 それは自分も初耳だと、レオンハルト。


「しかし、それならどうして公爵は、彼女にもっと早く婚約を申し込まなかったのですか?」


「単純に、断られるのが怖かったのですわ。マリンローズ先生はこの一件が原因で、〝天雷の魔女〟と恐れられるようになった。彼女はそれをお兄様のせいだと恨むようになったのですが、タチの悪いことに、お兄様はそれを良しとしたのですの。愛が憎しみに変わるように、憎しみもいつかは愛に変わるはずだと、わざと彼女を怒らせるような言動を繰り返した。結果、二人は犬猿の仲として国中に知れ渡ってしまいましたの」


「好きな子に意地悪するガキかよ……」


「い。意外です……! 社交界の華である〝氷麗の公爵〟様が、そこまで不器用だなんて……でも、シルヴィア様、そんなことを話してしまってよろしいのですの?」


「先に、わたくしの趣味と実益を暴露したのはお兄様ですわ! こうなったらとことんバラしてやりますわよ! お兄様ったら、マリンローズ先生に渡せなかった贈り物や、したためた手紙を自室に山ほど蓄えておりますの! それに、彼女に着せたいドレスをわたくしに仕立てさせては、画家に肖像画を描かせて部屋中に飾ってますのよ! もう、そこまで好きならさっさと娶ってしまえばいいのにと、屋敷中の者たちが呆れておりますわ!!」


「ぶはっ!?」


 アンジェリカは思わず噴き出した。紅茶を飲んでいなくてよかった。シリウスロッド・フレースヴェルグ。新プリの隠し攻略キャラクターである彼の属性は、執着系溺愛スパダリキャラで確定だ。


 そう思ったとき、ーーズクン、と下腹部に鈍い痛みが生まれた。


「あ……れ……?」


「要するに、お兄様は臆病者ですのよ! 眼中にない相手はいくらでも手玉にとれても、本気の相手にはどうしていいかわからないのですわ。ですが、マリンローズ先生が求婚を受け入れてくださってからというもの、本当に幸せそうですの……ですから、いいかげん、わたくしも応援してさしあげることにしましたのよ。あんな地味で華のない、ガチガチの石頭のどこがいいのかと思っておりましたけど、最近は、その……ちょっとお節介ですけど、熱意があって、それなりに良い先生なのではないかとーー」


 シルヴィアが話している最中も、ズクン、ズクン、と下腹部に響くような痛みは増していく一方だ。


 腹の底が痺れるような鈍痛が徐々に鋭くなり、かと思えば、スッと引いていく。しかし、数分後には同じ痛みがやって来る。


 なんだこれは。


 今日は、これまでと比べると動きが少なく、とても大人しくしてくれていると安心していたのに。


 もしかして、なにか異常があったのだろうか? 臍の緒が首に絡まっているとか?

 

 膨れ上がる不安に血の気を引かせるアンジェリカに、いち早く気がついたのはシルヴィアだった。


「アンジェリカ!? どうしましたの、顔色が真っ青でしてよ!?」


「お、お腹が……さっきから、ギューって、下に引っ張られるみたいな、変な痛みが……い、痛……っ! 痛たたたた……っっ!!」


「アンジェリカ!!」


 耐えきれず、ソファの上に蹲る。瞬間、その場の全員が大慌てで席を立った。


「早く、ソファに横になってください!!」


「アンジェリカ、お腹が引き絞られるような痛みなのですわね!? 〝前駆陣痛〟ではありませんの? 出産の前触れに、子宮が収縮して痛みが生じる場合があると、この本に書いてありますわ!」


「う、嘘お……!? だって、まだ、予定日まで二週間以上あるんですよ……? いくらなんでも早すぎ……っぐううう……っ!!」


「予定日はあくまで予定日ですわよ!」


「アルベルト! とにかく、早く人を呼んでください!」


「ああ、待ってろ! すぐに宮廷医を呼んでやる!」


「お兄様!! 呼ぶなら産婆ですわ! わたくしは、お母様たちにお知らせしてまいります!」


『……アンジェリカ、しっかり……!!』


 子供ができたとわかった日から、いつかは〝このとき〟が来ると覚悟していた。


 でも、実際はこんなにも混乱してばかりだ。


 早く産まれた子供に会いたいと思う気持ちよりも、未だ想像できない出産という現実がただただ怖い。


 しかも、医療の技術の発達していないこの世界では、双子だろうがなんだろうが、自然分娩一択だ。


 もしも、自分の生み方が悪かったせいで、子供の命が失われてしまったらと思うと、今すぐに腹を割いて欲しいという衝動にさえかられる。


 出産とは、こんなにも問答無用なものだったのだ。


 母親の都合や覚悟なんかまったくお構いなしに、新たな命は産まれようとする。


 激しさを増していく痛みをどうすることもできずに、アンジェリカはただただ泣きながら喘ぐことしかできなくなっていた。


 汗ばみ、強ばる手のひらを、痛いほどに誰かが掴んだ。


「大丈夫ですわ、アンジェリカ! 産まれる場所にここ(・・)を選ぶなんて、お腹の子供たちにはとても見る目がありましてよ……!」


「シルヴィア嬢の言う通りです! こと出産に関して、王城ほど知識と経験に長けた場所はありません!!」


『……この本には、陣痛が始まったら横になって、できるだけ力を抜いて、ゆっくり深呼吸するといいって書いてあるよ。落ち着いて、ひとつずつ試してみよう』


「……っ、あ、ありがとう、ござい、ます……!!」


 心をさいなむ不安を、力強い声が吹き飛ばす。


 滲む視界の中に映る、自分を励ましてくれるたくさんの友人たちの姿に、それまで心の奥底に縮こまっていた出産への意欲が燃え上がるのを感じた。


 ーーそうだ。


 この世界で、この子たちを産めるのは自分だけだ。


 自分がやらなくて、どうする。





 震える拳を握りしめ。


 たくさんの声に励まされながら。


 たくさんの手に勇気をもらいながら。


 居合わせた友人たち全員に見守られ、アンジェリカは気の遠くなるような痛みと苦しみの夜を立派に乗り越えた。


 ーーそして、ついに、翌日の早朝。


 元気な双子の女の子を出産したのだった。



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