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九章⑤

 

 手を引かれるまま、人気のない廊下を進んでいく。だが、胸にのしかかる不安感が足取りを重くするばかりだ。


 燭台の灯が点々と灯るだけの廊下は薄暗い。先にはパーティー会場の賑やかな明かりが漏れているが、光の眩しさがかえって闇を濃く染め上げていた。


 こんな気持ちのままあそこに戻ったら、なにがあったのだと生徒たちに質問攻めにされるのが目に見えている。


 急に立ち止まった私を、シリウス兄様は怪訝な顔で振り返った。


「どうかしたのかい?」


「あ、あの……どうするつもりなのか、聞かせていただけませんか? まさか、このまま〝神竜の宝玉〟を諦めてしまうんですか?」


 今から他の方法を取るというのなら、一刻一秒を争う。


 他の方法ーーアンジェリカが前世でプレイしたレオンハルトルートの通り、聖女の力を使った治癒を行うのなら、身重のアンジェリカに更なる修行を課さなければならない。


 なにより、その場合、彼女の出産が治癒完了のタイムリミットになってしまうからだ。


(まずいわ……! 今のアンジェリカでは、まだ人間を対象に強化できない。それに、マリンローズの知識によれば、出産後は体内の魔素が大量に失われるから、ろくに魔法を使えなくなる。予定日まで一ヶ月もないのに……!)


 レオンハルトルートの攻略は、全攻略対象の中で最も難易度が高い。その上、こちらの諸事情でタイムリミットまで早まってしまえば、バッドエンド回避はますます難しくなる。


 まとまらない考えに心は焦るばかりで、尖ったつま先を見つめたまま動けなくなった。


 そんな私を、シリウス兄様は優しげな眼差しで覗き込んでくる。


「マリンローズ、大丈夫かい? 顔色が真っ青だ。パーティーへは戻らずに、二人でゆっくり部屋で過ごそうか?」


「……いえ」


 いつもの私なら、揶揄わないでくださいと赤面しそうな台詞だ。だが、このときばかりは彼が浮かべる余裕に満ちた微笑みに、明確な違和感を抱いた。


 どうしてこうも落ち着いていられるのだろう。


 まるで、焦る必要などないかのように。


「ーーっ! ま、さか……シリウス様には〝神竜の宝玉〟の在処がーー聖獣の宿主がわかっているのですか!?」


「……」


 半分は期待、もう半分は、得体の知れない予感からそう思った。


 そうであって欲しいと思う反面、なぜか、彼の口から答えを聞くことが怖い。


 シリウス兄様は静かに私を見つめたあと、薄い唇の端を持ち上げた。


「わざわざ尋ねるということは、君も気がついたのだろう? 聖女と竜人の王子の間に生まれた、息子の名前ーー〝いにしえの秘境〟を取り巻く魔法結界壁を築いた天才魔法士の名は、アンブローズ・メルリーヌ。のちに〝天雷の魔法士〟と呼ばれた、メルリーヌ家の初代当主だ」


「ーーっ!? 『ち、違うわ! 私の一族が聖女の血を引いているだなんて、そんな記録はどこにも残っていないわ!』」


「仕方がないよ。聖女による魔王の封印伝説は、僕らにとっては千年以上も昔の風化した伝説だ。しかし、寿命の長い竜人族にとっては数世代前の出来事だから、信憑性は極めて高い。君も、本心ではそう思っているのではないかな?」


 彼が笑みを深めたとき、すぐ側の燭台の炎がユラリ、と揺れた。


 なにかがおかしい。


 目の前にいるのは確かにシリウス兄様であるはずなのに、今の彼からは胸の高鳴りもなにも感じない。それどころか、さっきから身体中に警報が響き渡るような危機感に襲われている。


 胸中のマリンローズは酷く動揺していた。


 握られた手を振り解きたいのに、身体はまるで、凍りついたように動かない。


「かつて、竜人族の王家を加護する聖獣は、雨と雷を自在に操る力を有していた。だが、魔王と呼ばれた悪しき魔法士を生み出した罰として、雷を操る力を失ってしまった。ーーそう、この国の伝説では語られているが、どうやら間違いだったようだね。竜人族の王子は、自らの聖獣が持つ雷の力を〝神竜の宝玉〟としてアンブローズの魂に宿らせたのだ。それはやがて雷の聖獣となり、メルリーヌ家を見守ってきたのだろう。ーーだが、その大いなる加護を得る者はいなかった。君が生まれるまではね」


「私が……?」


「そうだよ、マリンローズ。〝神竜の宝玉〟は、君自身の魂だ」


 言葉と同時に、握られた手のひらから身を切るような冷気が流れ込んだ。


 胸中のマリンローズが逃げろと叫ぶ。しかし、既にまぶたさえ動かせない。


「ーー我が身に宿りし氷麗の聖獣よ。愛しきものをそのかいなに捕らえたまえ。〝氷獄の檻(コキュートス)〟」


 その呪文が、こちらの魔素の流れを阻み、魔力への変換を封じる魔法ーー魔封じの拘束魔法だと察した瞬間、モノクルが小刻みに震え、硝子の端に小さな亀裂が走った。ギチリと軋み、砕け散る。


(シリウス、に、様……そ、の目……!?)


 粉々になった硝子片の向こうから、彼の目が真っ直ぐに私を捕らえていた。涼やかなアイスブルーの瞳ではない。


 その左目は、血溜まりのような深紅あかだ。


 なにが起きているのかも、彼の行動の意図もなにひとつ理解ができないまま、意識はただ、底の見えない闇の淵へ引きずり込まれていった。


 

 

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