一章⑥
「も、勿論、今のはただの冗談です! お気になさらずーー」
「わかった。君にそのつもりがあるのなら、婚約しよう」
「え……っ!?」
「だが、あいにく今は厄介な仕事を抱えていてね。メルリーヌ辺境伯様にご挨拶に伺うのは、そちらが落ち着いてからになってしまうが、構わないだろうか? ああ、僕の家の方は両親ともに他界しているから、心配ないよ」
「は、はあ……って、ええっ!? ほ、本当に婚約してしまうんですか!?」
「うん。冗談のつもりだったが、君にそのつもりがあるなら、やぶさかではない。ただ、一つ問題があってね……」
「問題?」
シリウスロッドは長い足を組み直し、改まった様子で口を開いた。
「王が病に伏せっておられることは、君も知っているね。医者や薬、他国から取り寄せたあらゆる治療技術……それらをもってしても、病状は悪化の一途を辿っている。そこで、宮廷魔法士長である僕にも、魔法学方面から治療法を探し出せと命が下ったのだ。だが、原因不明の病を治す魔法など存在しない。確かに、我が国にはかつて聖女のみが扱えた奇跡と呼ばれる神聖魔法の伝説があるがーー」
「まさか、聖女をお探しになるつもりですか?」
その聖女こそ、この春、王立魔法士学園に入学する平民の少女ーー新プリのヒロインであることを、私は知っている。
しかし、彼はきっぱりと首を振った。
「伝説は伝説だ。聖女を探すよりも有効な魔法薬の調合法を探したほうが早い。ある古い文献に、万能を有する秘薬の記述を見つけでね。問題というのは、その材料集めだ。図々しいのは承知の上だが、どうか、僕に手を貸してはくれないだろうか? 今宵見た、あの美しい雷ーー〝天雷の魔女〟の異名を持ち、他国の魔物討伐にまで助力を求められる君になら、集められない素材はないだろう」
(おおっと、ここでまさかのお遣いイベント発生か!? 攻略条件に魔物討伐や素材収集を組み込んでくるとは、流石はリメイク版、斬新な趣向ね)
「構いませんよ。ーーあっ、で、でも、学園のお休みは今日までです。明日からは授業が始まってしまうので、難しい素材を集めるには時間がかかってしまうかもしれませんが……」
「勿論だ。僕の部下にも集めさせるつもりだから、君は君の仕事を優先してくれ」
「あら、私は保険なのですか?」
「まさか、大本命さ。君の優秀さは学生のときから知っている。ーーマリンローズ。君は、僕が唯一認める、この国で最も優れた魔法士だ」
そんなことを、国の魔法士の頂点、宮廷魔法士長の彼に真っ直ぐに目を見つめながら言われると照れてしまう。頬が紅くなるのがわかって、慌てて顔を背けると、クスクスと愉しそうに笑われてしまった。
馬車が止まり、扉が開く。
シリウスロッドは先に立ち上がり、馬車を降りた先から手を差し伸べてきた。
女性って、こんなときにも大切にエスコートされるものなのねと感心しながら、彼の手を取り、馬車の外に出る。そこには、ヴェルサイユ宮殿かと見紛うような巨大な豪邸がーーもとい、見慣れた我が家があった。
開いた扉から、慌てた様子で家令たちが駆けつけてくる。
「マリンローズ」と柔らかな声で呼ばれ、シリウスロッドを見上げると、アイスブルーの双眸が甘やかに笑んでいた。
手のひらはまだ、握られたままだ。
「今夜はいい夜だった。僕の申し出を受けてくれて、本当に嬉しく思う」
「こちらこそ。冗談のはずだった婚約に乗り気になってくださったのは、私の不名誉を払拭する意図もあるのでしょう? 人の愛情には、どんな形であれ理由があるそうですから」
「そうだね。でも、君の名誉を守りたいと思ったのは、相応の好意を抱いているからだ」
「……っ!?」
長身がかがみ、握られた手を引かれた。まるで、騎士が姫に対するように、うやうやしく手の甲に口づけが落とされる。
ーー瞬間、胸の中が痛いほどに締めつけられた。
これまでマリンローズがシリウスロッドに対して抱いていた感情が一気に押し寄せて、胸の中を荒れ狂う。それらは複雑すぎて、膨大で、上手く整理することができない。
だから、成海しずくとしての私が感じている、この瞬間をスチルとして永遠に保存しておくことが叶わない現実が悔しいという、わかりやすい気持ちに流された。
彼はゆっくりと立ち上がり、殊更に美しく微笑んだ。
「今夜はゆっくりお休み。愛しい人」
「は、はい……! おやすみ、なさい……」
離れていってしまう手のひらの温もり。
馬車の中へと消えていく彼の背中。
遠ざかっていく馬の蹄の音……そのすべてを胸の奥に刻みつけるように、私は彼を乗せた馬車が宵闇に消えていくのを見つめ続けた。
(この胸の高鳴りはなに……? ーーハッ!? もしや、これが、これこそが……)
ーーこれこそが、〝最推し〟。
己のすべてを捧げて推したい、唯一無二の推しとの出会い。
20年間プリンス&プリンセス総キャラ箱推しを貫いてきた私だが、認めよう。
今、この瞬間、私はシリウスロッドたんしか勝たんと……!!
どうやら、新プリの世界に転生した私は、生まれて初めてただ一人の推しというものに目覚めてしまったらしい。