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八章⑧


「じゃあ、ウィルは師匠のことを知らなかったの?」


「なにしろ田舎暮らしが長かったからね。名前は知っていたが、あの可憐な女性が〝天雷の魔女〟だとは夢にも思わなかった。名前を尋ねたら、酷く驚いていたよ。結局、名前も、泣いていた理由も教えてもらえなかったけれど、慰めてくれたお礼にと会う約束をしたんだ」


「二年前……まだ、前世の記憶を取り戻す前ね。きっと、師匠は嬉しかったんだわ。ウィルが怖がらずに話しかけてくれたから、興味を持ったのよ!」


「そうかもしれないね。……でも、そのすぐ後に、滞在先にフレースヴェルグ公爵からの書状が届いた。訳もわからず呼び出しに従うと、私邸で僕を迎えた公爵は、彼女の素性を明かすとともに、例の結婚詐欺の計画を持ちかけてきたんだ」


「公爵様が!? 公爵様と共謀して師匠の財産を奪おうとしたの!? 彼はお金に困っていないじゃない!」


「公爵の目的は、僕をメルリーヌ女史の前から永久に排除することだ。彼女を騙し、裏切ることで、一度は好意を持った相手を、生涯憎む相手にすり替えようとしたんだ。彼女への執着心は凄まじかった。僕は知らずに逆鱗に触れてしまった。公爵のあの目……恐ろしくて堪らなかった」


 ウィルフレッドは、そんなことをしなくても二度と彼女には近づかないと必死で訴えたが、聞き入れてはもらえなかった。

 

 彼は美しく微笑んで、蒼白になる彼の肩に触れてこう言ったのだという。


『君は、僕の秘密の薔薇を見てしまったのだよ。露に濡れた美しい薔薇をね。断るのなら、学園横の小さなカフェに咲く、可愛らしい君の花を摘み取ってしまおうか』


「ーーっ!? どうして知ってるの!? まさか、わざわざ領地に行って、わたしたちの関係を調べたとか!?」


「そのまさかだよ。公爵家は王の剣だ。ときには、隠密のような仕事もこなす。田舎に間者を放つくらいわけないさ。僕はすぐさま父に相談し、公爵の傀儡になることを受け入れた。あとは、君の知る通りだ」


「……」


「弁解はしない。僕は我が身可愛さに、してはならないことをした……でも、僕のせいで君やメルリーヌ女史になにかあったらと思うと気が気でなくて、それで、時々、様子を見に来ていたんだ」


 まさか、アンジェリカが彼女の弟子になるとは思っていなかったけどね。


 ウィルフレッドはそう締めくくり、コートの襟を正して帽子を被り直した。


 手近なテーブルの上に、金貨の袋を置く。


「でも、アンジェの話を聞いて安心したよ。どんな形でも愛には違いない。公爵が心から彼女を愛しているなら、なんの問題もないんだ。ーー邪魔して、すまなかった」


「う、うん……わたしこそ、事情も知らずに酷いことを言って、ごめんなさい」


 ウィルフレッドはまた来ると微笑んで、店を去った。


 ーーパタン、とドアが閉まった瞬間。


「問題大ありよーーーーっ!! シリウスロッド・フレースヴェルグ!! 隠しキャラだし、なにかあるとは思ってたけど、想像以上にヤバい設定が隠されてる気がする……っ! ヤンデレというか、ドロデレ……!? どっちにしてもヤバい!!」


 全身から、滝のような汗が噴き出して止まらない。


 おまけに、最近よく動くようになった我が子が両脇腹を同時に蹴り上げ、胎児とは思えないほどの衝撃に、堪らず床に崩れ落ちた。


「グハァッ!! い、一体、どういう体勢してるのよ……! と、とにかく、今の話を師匠に伝えなくっちゃ……!」


 痛みの残るお腹をさすりつつ立ち上がり、テーブル伝いにドアへと近づいた、そのとき。


 ひとりでにそれは開き、長身の客がコツ、と店内に足を踏み入れた。


 銀糸の髪の美しい青年だった。


 ーーどうしてここに。


 身が凍るような戦慄せんりつに襲われながら、アンジェリカは見た。


 モノクル越しのアイスブルーの瞳が、魔力の高まりとともに鮮やかな真紅に輝くのを。


「ーーやあ。君が、アンジェリカ・ロードナイツだね? マリンローズから話は聞いているよ。今日はもう閉店しているようだが、よければお茶を一杯いただけないだろうか……?」



 

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