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八章⑦

             


            ***



「ーーで? いつまでコソコソしてるつもり?」


 馬車の蹄の音が遠ざかったあと、アンジェリカは呆れ混じりに投げかけた。


 しばらすると、通りの向こうの路地から、夏だというのに暑苦しいコートと帽子をスッポリとかぶった男が現れる。


 以前、店の周りをうろついていた男だ。


 見るからに怪しいが、実は、アンジェリカはとっくの昔に男の正体に気がついていた。


「アンジェリカ……! 今の話、マリンロー……メ、メルリーヌ女史が、フレースヴェルグ公爵と婚約したというのは本当なのか!?」


「本当よ。でも、そんなこともう貴方には関係ないじゃない。ウィルフレッド・ブライトナー侯爵子息様!」


 アンジェリカは肩を怒らせて男に近づくや、素早く手を伸ばし、鬱陶しい帽子を取り上げた。


 栗色の巻毛が跳ね、ブルーグレーの瞳が眩しそうに細まる。


 男ーーマリンローズ・メルリーヌの元婚約者ウィルフレッドは大慌てで帽子を取り戻そうとするが、アンジェリカの眼光に気圧され、諦めた様子で肩を落とした。


「呆れた! 師匠を傷つけてお金まで騙し取っておいて、どうしてその上、つけ狙うのよ!?」


「ちち、違うんだ!! ーーいや、彼女を騙したことには違いないんだけど、でも、それは、そうするしかなくて……」


「言い訳しないで! 今まで、領地の特産品を広めるためだと援助してくれたお金だって、使っちゃいけないものだったんでしょう!? 知っていたら、絶対に受け取らなかったのに……!!」


 アンジェリカはウィルフレッドの腕を掴んで無人の店内に引き入れ、カウンター裏に用意していた金貨の袋をコートのポケットに無理矢理ねじこんだ。


 情けなくて涙が出てくる。


 なによりも、彼が家財をくすねていたことに気づかなかった、自分自身の不甲斐なさが許せない。


「全部返すから!! もう金輪際、師匠に関わらないで! これ以上、ウィルに悪いことをさせたくないの……!」


「…………ごめん」


 こぼれる涙を、ウィルフレッドは幼い頃のように手のひらで拭ってくれる。


 孤児として生まれたアンジェリカを、妹のように可愛がってくれた彼。


 侯爵家の子息にも関わらず、おごらず、威張いばらず、他領の貴族のように蔑んだりもしなかった。


 いつでもアンジェリカのことを見守り、支えてくれた。まるで、本当の兄のようにーーいや、そうなるはずだった絆を、断ち切ってしまったのはアンジェリカだ。


 優しいウィルフレッドに犯罪紛いの真似をさせてしまったのも、きっと、自分がヒロインであることを放棄してしまったせいなのだ。


 本来あるべき運命を、大きく変えてしまったからーー


「アンジェ、泣かないでくれ。僕がここに来たのは、メルリーヌ女史に謝罪するためだ。なにより、故郷の危機を救ってくださった感謝を伝えたかった。……それに、その、彼女の身が心配になって」


「師匠の身が心配……?」


「うん……アンジェ。婚約の話だが、公爵は本当にメルリーヌ女史のことを愛しておられるのか?」


 話を逸らされたのかと思ったが、ウィルフレッドの眼差しの真剣さに、すぐに違うと気がついた。


「……ええ。師匠から聞く限りは、とても幸せそうよ。公爵様は毎日のように贈り物をしてくださっているし、師匠を見つめる目も優しかった。二人の間の因縁も、きちんと謝罪されたから許すことにしたって聞いたわ」


「そうか……それならいいが」


「よ、よくないわよ! ねぇ、もう隠し事をするのはやめて! ウィルが結婚詐欺をするなんて絶対におかしいもの! 一体、なにがあったの!?」


 初めてマリンローズに出会い、ウィルフレッドの話を聞かされたときから、それだけは絶対にあり得ないと信じてきた。


 なにか理由があるはずだ。


 そうでないと納得できない。


 ウィルフレッドは何度も唇を湿らせたあと、意を決した表情でその言葉を口にした。


「シリウスロッド・フレースヴェルグ公爵……僕に、メルリーヌ女史への結婚詐欺を働かせたのは、彼なんだ」




 ーー二年前。


 度重たびかさなる魔物の被害に領地の財政が悪化し、ウィルフレッドは父の命により王都におもむいた。

 

 目的は、花嫁探し。領地を立て直す後ろ盾となる、裕福な家の令嬢と出会うためだ。愛のない結婚に気乗りはしなかったが、そんなことを言っている場合ではないほど事態は深刻だった。


 父の代わりに、レオンハルト・ジーク・アストレイア王子の魔法士学園入学を祝うパーティーに参加したウィルフレッドは、しかし、慣れない社交の場に気分を悪くし、酔い覚ましに宮廷の庭を散策することにした。


 そこで、偶然に、マリンローズと出会ったのだ。


 彼女は庭園の片隅で、たった独りで泣いていた。


 もとより、世話好きで心優しい男性であるウィルフレッドは、寂しそうな彼女を放っておけずに声をかけた。


 ーーそれが、あの恐ろしい〝天雷の魔女〟とは知らずに。



 

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