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四章⑧


「な、なんの音……?」


「蜂どもだ! こんな場所まで追ってきやがった……!」


 アルベルトが顔色を変えた瞬間、ヴォン……ッ! とバイクのマフラー音にも似た羽音とともに、フルアーマーを着た戦士と見紛う巨大さの、漆黒の大雀蜂ホーネットが飛び出してきた。


「危ないっ!!」


 アルベルトの背後から現れた一匹に、咄嗟に彼に体当たりして泉に倒れ込む。顔のすれすれをかすめ飛ぶ黒い風に、ゾクリと背筋が冷たくなった。


 高速で羽ばたくのは鋼の薄刃のような羽根だ。わずかに触れるだけでも致命傷を負うだろう。


 ダークホーネット。


 知能が高く凶暴。鋼のような羽根と甲殻を持ち、何万と群れ飛ぶ姿が闇そのものに見えることからその名がついた、昆虫系最強クラスの危険な魔物だ。敵とみなした者はどこまでも追跡し、過去には小国を滅ぼした例もある。毒針を矢のように飛ばし、遠距離にいる獲物でも仕留めてしまう死の狩人だ。


 現れたのは十匹。追い詰めた獲物を逃がさないよう、見事な連携で私達を取り巻き、回転飛行しながら距離を詰めてくる。


 体勢を立て直しながら、アルベルトが舌打ちする。

 

「くそ……っ! ーーこいつらは俺が仕留める。アンタは逃げろ、足手まといだ!」


「足手まといって……」


 思い出した。ヒロインとアルベルトが出会ったあと、彼が仕留め損ねた魔物に襲われるのだ。公国の第一王子である彼が護衛も連れずににこんな場所にいるのは、自身の鍛錬のために魔物討伐の依頼を受けたからというシナリオだった。


(①逃げる。②一緒に戦う。ーーっていう選択肢が目に見えるようだわ! それなら迷わず②よ! 一緒に戦って【好感度】大アップ! 健気な姿に《可愛さ》が急上昇するはずっ!!)


「馬鹿を言わないで!! 可愛い生徒を置いて、逃げられるものですか。ここは、先生に任せなさい!」


「なに……?」


 狼狽えるアルベルトを尻目に立ち上がり、教鞭を握りしめて高く天に掲げる。


 身体の芯から湧き上がる魔力に反応して、泉の水が電気を帯び、無数の球体となって空中に浮き上がった。


 危険を察知した蜂たちが、先手を取ろうと襲いかかってくるーー焦らず、冷静に。唱える呪文は、胸中のマリンローズが選択してくれた。


「轟然たる天雷の聖獣よ! 我に仇成すものどもに、無慈悲なる天誅を下したまえ!! 〝金雷の神槌アウレウス・ミョムニール〟!!」


 ゴオォォン……ッ!!


 遥か高みから打ち下ろされたいかづちの一撃は、巨大な光の柱となって天地を貫き、凄まじい轟音が一帯を揺るがした。


 眩い閃光がおさまったあと、周囲を見渡して状況を確認する。


 広範囲の雷撃系高位攻撃魔法の直撃を受けて、私とアルベルトを取り囲んでいた蜂たちは跡形もなく消し飛んだようだ。しかし、泉や遺跡、周辺の森に被害はなく、魔力操作の巧みさがうかがえた。


 信じられねぇ、という呟きに視線を落とすと、落雷に驚いたのか、ふたたび泉に尻餅をついたアルベルトの双眸が戦慄いていた。


 彼は大の強者好きだ。きっと、今ので彼の【好感度】にも変化があるだろう。


「ありえねぇ……!? あの数のダークホーネットを、たった一撃で葬りやがっただと……!?」


「生徒を守るのが教師の役目よ。このくらいのことは当然だわ。それより、怪我はない? アルベルトくん」


(レオンハルトくんと違って、〝宿題のプリント〟の効果が見られないということは、真面目にやってくれていないということ……! でも、これで彼のパラメータ値も大幅にアップするはずよ! カモン、『子ウサギちゃん』!!)


 だが、倒れた彼に向かって差し伸べた手は、握り返されることなく払われてしまった。


 金の瞳に宿るのは、こちらを射抜くような剣呑な光だ。しかし、その視線から感じるものは怒りではなく、侮蔑に近い感情だった。


「ど、どうして、そんな目で見るの……? もしかして、逃げろと言われて逃げなかったから? 私はただ、貴方を守りたくてーー」


「……生徒を守るのが教師の役目だ? ーーふざけるな!! 俺たちを見捨てたアンタに、それを言う資格はねぇ……っ!!」


「アルベルトくんたちを見捨てた……!?」


 意味を理解しかねながらも、おそらくそれは二年生の末に起きた聖獣の暴走事件に関係しているのだろうとーー叩きつけるような彼の怒りから、そんな風に直感した。


 あの事件に関して、マリンローズが知っていることは少ない。聖獣を暴走させ、我を失ったアルベルトに、駆けつけたマリンローズは雷撃系の攻撃魔法を行使。力づくで気を失わせた。


 そして、被害者や目撃した者たちの証言を元に、最も厳しい罰を彼に下したのだ。


 そのため、アルベルトが目覚めたときには、既に謹慎処分が課されていた。マリンローズは加害者である彼の言葉は勿論、彼を庇う妹姫プリシラの言葉にも耳を貸さなかった。


(ーーそれは、魔法士たるもの、いかなる場合も自らの力に責任を持つべきというマリンローズの考えに基づく判断だった。理解はできるけど、でも、その上で、彼のためにできることはあったんじゃないかしら)


「アルベルトくん。私が下した判断に対して、不満があることは知っているわ。授業を休んでいるのも、きっとそのせいなのよね? でも、これだけは信じて。私は、なにがあろうと、絶対に生徒たちを見捨てたりしない」


「……っ」


 獰猛な光を宿す双眸を、まっすぐに見返した。


 言葉に嘘はない。たとえ、生徒たちを救えば命を落とすと知っていたとしても、私は何度だって身代わりになるだろう。


 この思いだけは、信じて欲しかった。


 だが、アルベルトは無言で視線を逸らし、もう話すことはないと立ち上がった。


「今日の借りはいずれ返す。……俺はもう行く。アンタもさっさと帰れ。この奥で宮廷魔法士団の連中がダークホーネットの巣を撤去してやがるせいで、蜂どもが殺気立ってるからな」


「この奥に巣があるの? 先生、〝ダークホーネットの黒蜂蜜〟が欲しくて取りに来たのよ。巣が無くなる前に採りに行かなくちゃ。教えてくれてありがとう」


「……あ?」


 テメェなに言ってやがる。人の話を聞いてたか? 頭おかしいんじゃねぇのかと言わんばかりの反応だった。


「そ、そんな呆れた顔しないで……! 部屋に引きこもってるセオドールくんのために、彼が好きなお菓子を作ってあげたいのよ。ずっと、ポーションを食事代わりに飲んでるみたいで、心配なの」


「セオドール……? ああ、ドラゴニアの竜人王子か」


 アルベルトはじっとりと私を睨みつけたあと、苛立たしげに嘆息し、懐から取り出した物を投げて寄越した。


「わっ!?」


「それで借りは返したからな。いいな、巣には絶対に近づくんじゃねぇぞ!」


 受け取ったのは、コルクで栓がされた硝子の小瓶だった。中には、黒い液体が入っている。


「これ……! 〝ダークホーネットの黒蜂蜜〟ね! アルベルトくん、ありがとうーーあ、あれ?」


 パッと顔をあげると、既に彼の姿はなかった。


 ぞんざいに投げ捨てられた最後の言葉を反芻する。


(さっきの言葉……巣には絶対に近づくなって、私のことを心配してくれたのよね?)


「ーーパラメータ・オープン、アルベルト・ベオウルフ」


 目の前に現れたパラメータの数値を見つめ、私は、温かな気持ちで蜂蜜の小瓶を握りしめた。



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