三章⑦
夕刻の〝プティ・アンジュ〟にお客の姿はなく、ドアを潜るとすぐにアンジェリカが出迎えてくれた。
昨日と同じ、庭に面したソファ席に腰掛ける。
満開の庭の花を摘んでこしらえたのだろう。ガラスポットで丁寧に蒸らされるローズティーも、夕日のような綺麗な薔薇色をしている。ティーカップに注いだそれを手渡しながら、彼女は待ちきれない様子で尋ねてきた。
「お帰りなさい、先生! どうでした、セオドール王子の魔法結界は突破できましたか!?」
「できたんだけど……話はしたものの、顔も見せてくれなかったの。部屋から引きずり出したとは言えないわね」
「それでも、たった一日であの結界を突破するなんてすごいですよ! 本当なら、《魔力》が180以上になっても、何度も通わないと解けないんです!」
「何度も……?」
「はい。ゲームでは一日一回、結界を解きに行くことができました。毎回、セオドール王子と少しだけ話ができて、最初に言われるんです。『……キミの力では、この結界を解くことはできない。……でも、もし解くことができたら、キミと友達になってあげる』って!」
「じゃあ、あの結界を解くためには、何度も彼を訪れて、話をしないといけないの?」
ーー嫌な予感がする。
部屋に引きこもってしまったセオドールの心を開く上で、何度も彼に会い話をするという過程は、とても重要なのではないだろうか?
はい、とアンジェリカは笑顔でうなずいた。
「そうですよ。そして、ついに結界が解けたとき。その向こうにはセオドール王子が立っていて、『……よく頑張ったね。約束通り、ボクと友達になろう』って、微笑んでくれるんです!! いやあ、フェリクスたん一筋のわたしですが、あのふんわりした癒し系の笑顔には、思わずキュンとしちゃいましたよー!」
「待って……っ!! それって、ヒロインが結界を解いたんじゃなくて、自分のために頑張ってくれる姿に心を打たれたセオドールくんが、自分から結界を解いたんじゃないの!?」
「え……?」
くりっ、と小さな顔を可愛らしく傾けたアンジェリカだが、みるみるうちに顔色を変えた。
「ほ、ほほほ本当だ……っ!! どどどどうしましょう!? ごめんなさい、わたしったら全然気づいてなくてっっ!!」
「どうりで、『苦労して張った結界を力づくで壊した』って怒るはずだわ……彼は悩みがあって引きこもっているのに、心を開かないうちから結界を壊しても、部屋からつれ出せるはずがないのよ。私の落ち度だわ。ーー私、まだこの世界が乙女ゲームだって思ってた。ここは紛れもなく現実で、プリンスたちは攻略対象じゃなく、血の通った人間なのに」
相手の気持ちを少し考えればわかることだ。それなのに、これはゲームの仕様なのだと、結界を壊すことに疑問を持たなかった。
大切な生徒だと言いながら、私は彼等を、プログラムに組み込まれたゲームのキャラクターとして見ていたのだ。
「先生のせいじゃないです……っ! わたしが鈍感で、おまけに記憶力がザル頭のせいで……!」
「壊してしまったものは仕方ないわ。明日、もう一度セオドールくんに会って、強引な真似をしたことを謝ってみる。そうよ、これから毎日話をしに行けばいいのよ。仲良くなってから壁をブチ壊すのも、壁をブチ壊してから仲良くなるのも大差はないわ。要は、セオドールくんのことを心配して、大切に思っているっていう、真摯な気持ちを示すことが大事だと思うの。それに、毎日会いに行けば、無事かどうかも確認ができるし、仲良くだってなれるわよ」
「マリンローズ先生……! でしたら、少しでも早く仲良くなれるように、こちらをお召し上がりください! 〝プティ・アンジュ〟スペシャルスィーツ、『友情のショートケーキ』です!!」
ドン、と目の前に置かれたのは、通常、一つしかない天辺の苺が、二つも乗せられた豪華なショートケーキだ。
甘酸っぱい苺の香りに、夕食前の私のお腹が歓喜に沸いた。
「うわあっ! これ、プリプリを攻略するときに散々お世話になったやつ……! 実際に見ると迫力があるわね!」
「天辺の苺を二人で分け合うことで、深い友情が育まれる……そんなコンセプトのケーキです。食べると全攻略対象の【好感度】があがりやすくなりますよ。お詫びも兼ねて、これはお店からサービスさせて頂きます! お腹いっぱい召し上がってください!!」
それじゃあ、お言葉に甘えて、と頂いたショートケーキは、とんでもない美味しさだった。しっとりしたスポンジを、ミルク感たっぷりの生クリームが優しく包んで。なめらかに舌に広がる甘さの中に、苺の酸味が爽やかに弾けていく。
「すっごく美味しいわっ! これなら何個でも食べられそう!」
「何個でも召し上がってください。魔法の使えないわたしには、これくらいしかお力になれませんから……先生が先生としてプリンスたちを救おうとしているように、わたしもパティシエールとして、先生を全力でサポートします!」
「こらこら。貴女はサポートキャラクターじゃなくて、ヒロインでしょう? 魔法のことだけど、もし、アンジェリカが学びたいと思っているのなら、私の弟子にならないかしら。それなら、学園に通わなくても魔法士になれるし、神聖魔法を使える聖女様がいれば、私も安心だわ」
「先生の、弟子……ですか?」
「ええ。マリンローズの記憶によると、魔法士の弟子は、この世界では養子縁組のようなものなのよ。血縁を結んで、師の持つ知識や技術を引き継ぐ、大切な存在なの。マリンローズは、生涯弟子は取らないと決めていたみたいだけど、アンジェリカ。今の私は、貴女になって欲しいと思っているわ。すぐに結論を出さなくていいから、考えておーー」
「なります……っ!! なりたいです! 是非、マリンローズ先生の弟子にならせてください、師匠!!」
「ーーっ!? そ、即決ね。そんなに簡単に決めてもいいの? 私の修行は厳しいわよ?」
冗談めいた言葉だったが、アンジェリカは真剣な眼差しでうなずいた。
「はい。実は、ずっと魔法が使えるようにならなきゃいけないって思ってたんです。ハードモードのルートの中には、強力な魔物と戦わなければならないものがあります。その魔物を倒すには、聖女の使う神聖魔法の力が必要になる。もし、戦わなければならなくなったとき、先生や、フェリクスや、プリンスたち、生まれてくる子供たちを守れずに、なにもできないのは絶対に嫌だって……!」
「アンジェリカ……そう、そういうことなら、私に任せて。貴女が一流の魔法士になれるよう、ビシバシ鍛えてあげるわ!」
立ち上がって、アンジェリカに向かって差し伸べた手を、彼女はしっかりと握りしめた。




