三章① リメイクされた乙女ゲームのハードモードを攻略しようと思います!
ひょんなことから転生してしまった新プリの世界。
ヒロイン〝アンジェリカ〟と出会い、いくつもの衝撃の事実を知ってしまった日の翌朝。
市邸の寝台で目を覚ました私は、鏡台の前に立ち、眼鏡を装着。自分がまぎれもなくマリンローズ・メルリーヌであることを再確認したあと、ゆっくりと深呼吸した。
(《プリンス&プリンセス ラブ+〜恋からはじまる学園新生活〜》。アンジェリカのおかげで、異変の原因がハッキリしたわ。ーー三年目までに攻略対象との出会いイベントを起こさないと発生してしまう、〝ハードモード〟!! そんなものが、リメイク版の新プリに実装されていたなんて……!)
前作の発売から20年の時を経てリメイクされた新プリは、従来のシナリオを忠実に再現するとともに、時代のニーズを取り入れ、次世代の女性たちの夢と希望を叶えるための隠しモードが存在する。
それが、リメイク版の完全オリジナルシナリオ、〝ハードモード〟だ。
通常モードの攻略期間が三年間で設定されているのに対し、ハードモードはわずか一年。攻略するにはカンストレベルの高いパラメータが必要になるが、先の二年間をひたすらパラメータの向上に費やしても、トゥルーエンドにたどり着くのは極めて困難であり、その難易度故に、新プリは新たなる伝説の神乙女ゲームとして絶大な人気を博したのだという。
アンジェリカも、前世では通常モードをすべて攻略したあと、ハードモードに挑んでみたのだそうだ。ーーだが、ただの一人もトゥルーエンドに到達することができなかった。
ちなみに、彼女の前世である桜木杏奈が事故死したのは、新プリが発売して三ヶ月後のことだ。私が死んだのは発売してから三週間後。どうやら、転生に時系列なんてものは存在しないらしい。
「問題は、ハードモードの攻略に失敗した場合、たどりつくバッドエンドがとんでもなく凄惨ってことよ……!! 場合によっては、攻略対象が死亡することだってある。なにが時代のニーズよ! そんなハードな乙女の夢と希望があってたまるもんですか……!!」
しかし、実際、前世の世界では空前の〝悪役令嬢ブーム〟により、発売される乙女ゲームも、従来の純情派ヒロインが攻略対象と甘い恋を育むものから、悪役令嬢っぽい立場のヒロインがバッドエンドを回避する内容へとシフトチェンジしていたらしい。
アンジェリカの話では、むしろバッドエンドを楽しむ乙女ゲームも増えていたのだそうだ。回避するバッドエンドが凄惨であればあるほどスリルが増して面白いので、必然的に、新プリに採用されたバッドエンドも凄惨なものになってしまった。
それに、よく考えてみれば理にもかなっている。プリンス&プリンセスの攻略対象たちは全部で四人。その四人がそれぞれに悩みを抱えているのだが、どのルートでも彼等がヒロインと出会うことで心を開き、力を合わせて悩みを解決していくのだ。その過程で恋に落ち、結ばれる。
よって、この世界に転生したアンジェリカが学園に入学しなかったことで、彼等の抱える悩みは深刻化し、ハードモードによく似た状況に陥ってしまった……と推測される。
「アンジェリカは、自分が学園に入学しなければ、影響をおよぼすこともないと思っていたのよね……私だってそう思うわ。彼女は自分を責めていたけれど、誰だって、いじめられるとわかっている学校に通いたくないし、何十年も推し続けていた最推しと両想いになれたら、結婚したくなるのは当然よね」
だから、アンジェリカを責めるべきではないというのが、私の結論だ。
昨日は、「責任を取って離婚して、今からでも学園に入学してハードモードを攻略します……っ!!」と咽び泣く彼女を必死でなだめ、買い物から帰って来たマッチョなオーナーことフェリクスに、彼女がなにを言っても絶対に離婚しないように釘を刺しまくってから帰路についた。
一度、冷静になって現状を整理するべきである。
胸中のマリンローズもそう言っている。
幸いにも、今日は三年目最初の授業の日。この世界の私は攻略対象たちの担当教師だ。学園に行けば彼等に会うことができる。状況を正確に把握して、再度、〝プティ・アンジュ〟にてアンジェリカと作戦会議をする予定だ。
「そうと決まれば早速、登校よ! 一刻も早くプリンスたちの様子を知りたいし、さっさと準備して出かけましょう!」
さて、辺境伯令嬢であるマリンローズは、上流貴族の淑女である。淑女は自分で着替えはしない。壁際に垂れた紐を引き、ルームベルを鳴らせば侍女頭のマーサが来て身支度をしてくれるのだが、前世の記憶が戻ったせいで、他人に裸同然の姿を見られるのは恥ずかしい。
よって、マーサに怒られるのを承知で、大きな衣装棚からシリウス兄様に頂いたドレスを選んでいると、慌ただしい足音がしてノックが響いた。
現れたのは、クラシカルなメイド服姿の侍女頭だ。彼女は真っ青な顔で唇を震わせながら、喉の奥から声を振り絞った。
「お嬢様……!!」
「わあっ!? ご、ごめんなさい! 勝手に着替えようとしたことは謝るわ、だから怒らないで……!」
「お召し替えでございますか? お嬢様、昨日も申し上げましたが、淑女が自らーーい、いいえ! 今はそれどころではございません! かの氷麗の公爵様が、お嬢様を学園にお送りしたいとお見えになられたのでございます」
「シリウス兄ーーか、閣下がですか!? 一体どうして」
「私どもでは、公爵様の意図は図りかねます。いかがなされますか?」
そう答えるマーサの顔は緊張に張り詰めている。朝っぱらからノンアポで国家最高クラスの重要人物が訪ねて来たのだ。そうなって当然だろう。
(いくらなんでも急すぎるわよね。まさか、早くも次のイベントが発生したとか? おかしいわね、フラグを立てた覚えはないんだけど……)
しかし、記憶を遡った瞬間、縦ロールでないシルヴィアの金切声が脳裏に響いた。
『覚えてらっしゃい、お兄様に言いつけてやりますわーーーーっっ!!』
(あれかーーっ!! 昨日、中庭での騒動で、シルヴィアが放った捨て台詞! つまり、兄様はシルヴィアに魔法を使った私に対して怒っていらっしゃるのね!? 学園に送迎するっていうのは建前で、直に文句を言いに来たのね!?)
これは重要なイベントだ。
一つの選択がその後のルートに影響するほどの。それに、シリウス兄様は新プリで追加された攻略対象だ。きっと彼にもハードモードが存在する。バッドエンドがどんなものなのかは知らないが、彼にとってよくない結果であることは確かだ。
送迎を断るなど論外だ。
「とっ、とととにかく、大急ぎで支度をするから、お待ちいただけるようにお伝えしてもらえるかしら!?」
「お会いになられるのですか……!?」
「勿論よ! 最推しのイベントをスルーするなんてできないもの。でも、困ったわ。頂いたドレスはたくさんあるけど、閣下の好みは知らないし、どれを着ていけばいいのかーー」
大量のドレスを前にあたふたしている私の手を、そっと温かな手のひらが包んだ。
見ると、マーサが優しげな垂れ目に涙を溜めている。
「お嬢様……公爵様との御婚約の一件、お心を痛められた故の気の迷いかと思っておりましたが、ようやくご自身のお気持ちに向き合うご決心をされたのですね……!」
「け、決心……? いえ、これはその、最推しに対する当然の礼儀といいますか」
「マーサは嬉しゅうございます! お嬢様のお覚悟はしかと承りました。どうぞ、お支度はわたくしどもにお任せくださいませ!!」
言うが早いか、マーサがパン、と手を打つと、扉の外で待機していたであろう大勢の侍女たちが部屋に詰め寄せ、問答無用で私の寝巻きをひんむいた。
「ええっ!? ち、ちょっと待って、着替えは自分でえええーーっ!!」