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二章⑧


「お一人様ですか? いてますからお好きな席にどうぞ!」


「あ、ありがとう……」


 うながされるままに店の中に入る。もう夕方に近いせいか、店内に他の客はいない。窓際の席に着こうとしたとき、ふと、奥のカウンターに飾られた花に目が止まった。


 淡いピンク色のカーネーションが、ふんわりとかすみ草に包まれている。ブリキのミルクポットに可愛らしく生けられたそれは、ウィルフレッドが贈った花束に間違いなかった。


「……っ!」


 ズキン、と胸が痛む。


 あんなに可愛らしい花束、私には、ただの一度も贈ってくれなかったくせにーー心の中に、そんな恨言うらみごとがつのっていく。


 花を見つめたまま、席にもつかずにいる私を、〝アンジェリカ〟は小首をかしげて眺めていたが、何故かいきなり「あっ!」と叫んだ。


「あっ、あのっ! もしかして、貴女は王立魔法士学園のマリンローズ先生ではないですか!?」


「え? ……ええ、そうよ。よくわかったわね。この店に来たのは、今日が初めてなのだけれど」


「だって、ゲームで見たまんまーー……っじゃなくて、ゆ、有名ですもん、マリンローズ先生は! ここに来る生徒さんたちが、よく話してますし!」


「……ゲーム?」


 聞き間違いだろうか。


 鸚鵡おうむ返しに尋ね返すと、〝アンジェリカ〟は、「な、なんでもないですっ! これ、メニューですのでお選びになってお待ちください!」と、革の表紙のメニュー表をやや強引に手渡してきた。


 彼女が至近距離まで近づいてきたそのとき、私はーーいや、マリンローズは目敏めざとく気がついた。


 〝アンジェリカ〟の着ている、フリルたっぷりのエプロン。


 その膨らみが、けっしてフリルのせいだけではないということに。


 瞬間、いつかのように勝手に舌が動いていた。

 

「『まさか……貴女、妊娠しているの!?』」


「えっ? は、はい。今年の秋に生まれる予定なんです。目立たないようにしてるつもりなんですけど、やっぱりわかっちゃいますよね」


「『父親は……』 ーーあらーっ! そうなのね、おめでとう! お腹が前に出てるから、男の子かしらーー『ち、父親は、誰なの!?』」


(マリンローズ!! ちょっと落ち着きなさい!)

 

 思わず、自分で自分を叱ってしまいたくなる。胸中はウィルフレッドとの不義の子を疑う気持ちでいっぱいだ。酷いわ、私とは結婚するまで清い身体でいようと約束していたのに。きっと、彼が私の財産を狙って結婚詐欺を働こうとしたのは、〝アンジェリカ〟の妊娠が原因だったのよ! そうよ、そうに決まってるわ!! ーーと、非常にヒステリックな感情が荒れ狂っている。

 

 気持ちはわかるが、ここはもう少し大人になってほしい。焦って聞いて、怪しまれてしまったら、答えてもらえるものももらえなくなる。


 一方で、前世の成海しずく的には、昼ドラ顔負けのドロドロの不倫劇よりも、先ほど彼女が口にした『ゲーム』という言葉が気にかかっていた。


 この気持ちの温度差はどうだ。まるで、多重人格者にでもなったような気分だ。


 こちらの唐突な質問にも、〝アンジェリカ〟は笑顔で答えてくれた。


「パパですか? パパはこの店のオーナーですよ。フェリクスっていうんですけど、今はお夕飯の買い物に出てるんです。帰ってきたら、先生にも紹介しますね」


「あら、そうなの! 家事を手伝ってくれるなんて、優しい旦那様ね。なら、彼が帰ってくるまでコーヒーでもいただこうかしら」


(なんだ、ただの早とちりじゃないの)


 ーーと思った瞬間、偽名よ!! 偽名を使っている可能性があるわ!! と、胸中のマリンローズが主張したが、それよりも、私は目を落としたメニューの内容に愕然とした。


(なにこれ……! パフェに、クレープ、アイスクリームに、タ、タピオカミルクティー!? そんなもの、いくら乙女ゲームの世界だといっても、中世ヨーロッパなこの世界にあっていいものじゃないわ! ーーも、もしかすると、彼女は、〝アンジェリカ〟は……!!)


 ハッとして彼女を見ると、何故かアンジェリカのほうも驚いた顔をしていた。


「コーヒー!? この世界にもコーヒーがあるんですか!? ーーあっ、この世界にじゃなくて、この国に……! わたし、手に入れたくて探してはみたんですけど、見つからなかったので、てっきりないのかと諦めてたんですよ」


「……そうね。確かにコーヒーは珍しい飲み物だわ。なら、紅茶をいただけるかしら?」


「はい! そうですか。やっぱり、コーヒーは手に入りにくい物なんですね。……あ、あの、マリンローズ先生。不躾なお願いだと思うんですけど、あとで、先生のサインをいただけないでしょうか?」


「サイン……? それは、私となにか契約をしたいという意味?」


「いいえ! そうじゃなくて、ご来店の記念にマリンローズ先生のお名前を書いていただいて、お店に飾らせていただけたらなって。飾るのが駄目なら、個人的に宝物にしたいので、是非ともお願いします!!」


「……」


 私はにっこりと笑顔を貼りつけたまま、マリンローズの記憶を探ってみた。この世界には、著名人に会った記念に、その名前を紙なり服なりに書いてもらう習慣はあるのだろうか。


 ーー答えはノーだ。


 これではっきりした。


 目の前にいる〝アンジェリカ〟の正体が。


「ええ、いいわよ。あとでと言わずに、今すぐにサインしてあげるわ」


「本当ですか!? ありがとうございます! なら、このコースターにお願いします!」


 彼女はいそいそと、〝プティ・アンジュ〟の天使のロゴマークが記された木製のコースターと、羽根ペンを差し出した。


 受け取って、サインをし、彼女に手渡してあげる。


 〝アンジェリカ〟はありがとうございます! と満面の笑みでコースターを受け取って、そのままの姿勢で固まった。


「あ、れ……? な、なりみ……しずく……?」


「それは、成海なるみと読むのよ。会えて嬉しいわ、〝アンジェリカ〟さん。それとも、前世の貴女の名前で呼ぶべきかしら?」


「ーーっ!?」



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