二章⑦
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「信っっじられない! せっかく新プリの世界に転生したと思ったらただのサポキャラだし、ヒロインはいないし、やっと見つけたと思ったら人妻で、学園に入学すらしていないなんて! それじゃあ、プリンス達とのアオハルを見守れないじゃないの! しかも、三年目スタートですって!? どうして一年目に前世の記憶を思い出さなかったのよ!?」
スカートがひるがえるのも構わずに、学園の敷地を突き進み、校門を出て、敷地を囲む鉄柵沿いに東に向かう。
本当に、おかしなことだらけだ。ヒロインは不在、完璧王子は腹黒に、王子ゾッコンのはずの悪役令嬢はブラコンに、漢気あふれるアニキな俺様公国王子は、暴力事件を起こして謹慎処分を受けたという。
これらがすべて、リメイク版の変更点だというのだろうか?
いや、いくらなんでも、ヒロインーー固定ハンドルネーム〝アンジェリカ〟ーーが学園に入学しないことにはゲーム自体が始まらない。
(まさか、シルヴィアがイメージチェンジしたみたいに、〝アンジェリカ〟も、新しいヒロインに変更されたとか……? でも、それなら、裏庭の噴水広場のイベントに新しいヒロインが来るはずよね?)
ともかく、〝アンジェリカ〟に会って話をしてみなければならない。彼女はこのゲームの中心人物だ。シナリオがおかしくなっている原因がわかるかもしれない。
よし、と決意とともに踏み出そうとした足が、しかし、ピタリと地面にくっついたまま動かなくなった。
「あれっ!? なんで、もうお店は目と鼻の先にあるのに……!」
御影の敷かれた美しい舗装路の向こうに、白いパラソルつきの丸テーブルを幾つも並べた、カフェの日差しが見えている。
あの店に間違いない。早く行って真相を確かめたいと頭では思うのに、やはり、身体は硬直したように動かない。
それどころか、胸の中がサッと冷たくなって、動悸まで激しくなってきた。
まるで、あの店に恐ろしいと感じるなにかがあるようだ。
(もしかして、マリンローズが嫌がってるの……? あの店を怖がる理由なんてあるのかしら。〝天雷の魔女〟なんて恐ろしげな二つ名で呼ばれてるくせに)
仕方がないので、無理矢理歩こうとするのをやめて、あの店に関する記憶を掘り返してみた。
ーーすると、はっきり思い出した。
あの店なのだ。
かつての婚約者、年下の恋人ウィルフレッド・ブライトナーが、天使のように可愛らしい少女に花束を贈っていたのは。
(ーーハッ!? ということは、元婚約者の浮気相手は〝アンジェリカ〟だったってこと……!? しかも、彼女は人妻よ!? やだっ! 浮気の上にダブル不倫!? あらあらまあまあ……!!)
あらあらまあまあ、ではない。
転生前の記憶を取り戻してから、これまでのマリンローズのことは他人事のように感じてしまうのだが、よく考えてみれば、そのダブル不倫により婚約者を失った被害者なのだ、自分は。
ここは一つ、昼ドラよろしく店に押し入り、「この、泥棒ネコ!!」と〝アンジェリカ〟に詰め寄るべきなのだろう。
ーーが、腹が立たないのは事実だった。そのかわり、相手に会うことが恐ろしい。自分のすべてを、たかだか十七才やそこらの少女に、完膚なきまでに叩き潰されてしまう気がして怖いのだ。
じわっと、胸の中に悲しみが広がった。
ウィルフレッドは、これまで男性に恐れられてきた自分に、生まれて初めて安らぎを与えてくれた恋人だった。彼の両親も、本当に温かく迎えてくれた。放任主義の実の両親より、よほど惜しみのない愛情を注いでくれたのだーーそのすべてを、裏切りという形で失ってしまったことに心は深く傷ついている。
(……つまり、〝アンジェリカ〟に会ってしまったら、自分はもう立ち直れないって思ってるのね? 会った瞬間、女性として負けを認めてしまうことがわかっているから……ってこと? マリンローズって、周りに怖がられているわりには繊細な女性なのね)
だがしかし、今は女のプライドを守っている場合ではない。
愛してやまない新プリの世界に、異変が起きているのだ。
その原因を、一刻も早くつきとめなければならない。
強くなれ、マリンローズ。
生徒たちを守るために……!!
「ーーっと、足が動いた! よし、気が変わらないうちに突撃するわよ! ……っていうか、このカフェ、なんだか見覚えがあるわ」
店の前に行き、白いレンガ積みの建物を見上げる。
店名は〝プティ・アンジュ〟。
ホールケーキを持った可愛らしい天使のマークに、私は思わず、あっと叫んだ。
「〝プティ・アンジュ〟! パラメータ向上促進効果のあるスィーツが食べられるお店ね! この天使のマーク、ゲームに出てきたまんまだわ!」
プリンス&プリンセスでは、《学力》《魔力》《強さ》などのパラメータをあげるとき、『授業を受ける』以外に、『街の外に素材採取に行く』という方法がある。素材は魔物を倒すことにより、手に入れることができるのだ。
手に入れた素材は、売ってお金に変えると《リッチ度》をあげることができるが、それよりも有効的に利用する方法があるーーそれがこの、〝プティ・アンジュ〟に持ち込むという方法だ。
乙女好みの可愛らしい佇まいの店内に、オーナーはなぜかエプロン姿のマッチョな筋肉お兄さんというミスマッチ。
このオーナーの作るスィーツは、ただのスィーツではない。魔物素材を材料にした、食べると普通にプレイするよりもパラメータが向上しやすくなるという特別なスィーツだ。
マッチョなオーナーは、プレイヤーにとって攻略に欠かせないサポートキャラクターなのである。
ちなみに、放課後や休日に攻略対象とここで『デート』すると、【好感度】をアップすることもできる。
前世の私もお世話になった。
本当にお世話になった。
前世の自分が、最難易度攻略キャラクター、レオンハルト・ジーク・アストレイアとトゥルーエンドを迎えられたのも、この〝プティ・アンジュ〟に通い詰めたおかげだ。
この店があるということは、新プリにもマッチョなオーナーがいるのだろう。彼には一言御礼を申し上げたい、とドアをそっと押し開くと、カランカラン、とベルが鳴った。
(マリンローズの記憶では、ここは王都で大人気のスィーツカフェみたいね。地方の小さな孤児院で作られた〝見たこともない珍しいスィーツ〟が絶品だと有名になって、その作り手である女の子が、パティシエールになって開いたお店……って、あれ? じゃあ、マッチョなオーナーは?)
「いらっしゃいませ! ようこそ、〝プティ・アンジュ〟へ!」
「……っ!」
開いた扉から、光が差した。そんな風に錯覚してしまうほど、店の奥から現れた少女は美しかった。
雪白の肌に薔薇色の唇、可愛らしく編み込まれた金蜜色の髪。
大きく澄んだ水色の瞳ーー同じ色の石のついたペンダントが、白いブラウスの胸元で揺れている。カフェの制服なのか、ピンクのロングスカートに、前掛けにフリルがたっぷりついたエプロンが可愛らしい。
髪型や服装に違いはあれど、見間違えるはずもないその姿に、心臓が大きく高鳴った。
プリンス&プリンセス、ヒロイン〝アンジェリカ〟。
コツ、と底の無い歩きやすそうな靴で床を踏みしめ、彼女は輝くような笑顔を私に向けたのだった。