2 効率的胃袋使用法
そんなことがあって時は過ぎ、週末。
「やっぱ並んでるわねー」
薫が美晴に連れられてやって来たのは、つい先日ニューオープンしたばかりのケーキ屋だ。
有名なホテルで修業したパティシエが作るケーキが美味しくて、見た目が可愛いと評判となっている。
店内で食べられるようにもなっていて、テラス席が満席なのが窺えた。
薫たちは持ち帰りではなく、店内で食べるのが目的である。
「よぅし、私たちも並ぶのよ!」
「こっちにも付き合う約束だからね」
薫がそう釘を刺す。
美晴のケーキ屋巡りに付き合い、その代わり昼食を薫のリクエストの店で食べる約束なのだ。
「わかってるって」
美晴が頷いたところで、二人は行列の最後尾に加わる。
「でさぁ」
「なにそれー!」
薫は美晴と他愛のないお喋りしながら順番を待つ間、ぼうっと視線を巡らせていると、とあるものを見つけてしまった。
どこぞのビルの前になにをするでもなく立っている、背が高くて人相が悪くて、茶髪のソフトモヒカンの男。学校で見る制服ではないので雰囲気が違うが、見間違えるほどではない。
「ねえあれ、小坂先輩じゃない?」
「どれ、ホントだ」
薫が小声で尋ねると、美晴もその人物だと認める。
誰かと待ち合わせでもしているのだろうか? 時折小坂に気付いて絡む不良っぽい連中を、鬱陶しそうに追い払っている。
――そんなとこに立ってるから、絡まれるんじゃない。
もっと静かで人の通らない場所で待ち合わせればいいのに、と他人事ながら忠告したくなる。
「次でお待ちの方、どうぞー」
小坂ウォッチングをしていたら、いつの間にか列が進んでいたらしい。
薫たちはいよいよ店に入る。
テラス席に案内され、それぞれにケーキとコーヒーを選ぶ。
ちなみに薫のケーキは一口食べた後、美晴の胃袋へ入る予定だ。
「お待たせしました~」
店員が持って来た可愛らしいケーキたちに、美晴の目がキラキラと輝く。
薫が選んだのはラズベリータルト、美晴が選んだのは季節のフルーツのムースだ。
薫はまずはタルトをじっくりと観察する。
味の前に見た目で楽しませるのが、ケーキの醍醐味であろう。
評判通り、とても可愛くて飾っておきたい出来上がりである。
お互いに写メに納めてから、一口食べると。
「うん、美味しい!」
薫が選んだラズベリータルトは、ラズベリーの甘酸っぱさとクリームの甘さが口の中で程よく溶け合っている。
「こっちも一口食べなよ」
美晴がムースを勧めて来るので、遠慮なく一口貰う。
フルーツの食感とムースの食感が絡んで、とても美味しい。
薫は一口づつ食べただけだが、ケーキの残りは全て美晴の前に並ぶ。
「遠慮なくどうぞー」
「いただきます!」
薫の勧めに、美晴は目を輝かせる。
断っておくが、薫は甘いものが食べられないわけではない。
アレルギー持ちなわけでも、偏食で口にできないのでもない。
ただ、甘いものを食べると胸焼けしてしまうのだ。
許容量は一口か二口程度。今日はこれで甘味終了である。
とにかく薫としては、ケーキの可愛さを愛でて味を確認できれば十分なのだ。
「あー幸せ♪ これは確かに並ぶ価値ありだわね」
一方、本当に幸せそうにケーキ二つを頬張る美晴は、きっと家に帰って体重計に乗れば絶望で落ち込むに違いない。
「そーだねー」
コーヒーを飲んで相槌を打っていた薫は、ふと視界の隅でまだ小坂がいることに気付いた。
待ち人は未だ来ずといったところらしい。
難儀だなと薫が思っていると、小坂がこちらを見た気がした。
――目が合ったとか、まさかね
たぶん小坂の方は、このケーキ屋の行列を見て「物好きだな」と考えているに違いない。
ケーキを堪能したところで、二人はショッピングモールをうろついてカロリーを消費する。
そして腹を空かせた昼食時になると、約束通り薫チョイスの店に行くこととなったのだが。
「ジャーン、ここでっす!」
「こりゃまた、すごいわね」
効果音付きで店の前で立ち止まった薫に、美晴は苦笑している。
ここがなんの店かなんて、香りでわかる。
数十メートル先にまで香っているカレーの香りで、しかもスパイスがキツめ。
そう、薫チョイスの店は激辛カレーの店だった。
「最近激辛仲間に『行ったことないなんて信じられない!』とか言われてさぁ。
カレーはチェックしていたつもりだったのに、この店は情報網から漏れていたみたいなんだよねー」
そう話す薫の目は期待でキラキラしていた。
薫が極力甘いものを食さない理由は、ここにもある。
それは胃袋のスペースを甘いものに使うより、辛いものに使いたいという、胃袋の効率的な使用方法に則っているものだった。
「人生で食事をする回数はほぼ決まっているんだから、できるだけ辛い物を食べたい」
薫は普段からそんなことを言っている筋金入りだ。
甘いもので胸焼けを起こしている場合ではないのである。
「普通のカレーはあるんでしょうね?」
「あるみたいだよ、あまり出ないみたいだけど」
辛さの耐性が人並みの美晴は、それだけを確認できると安心したようだ。
「じゃあさっさと行くわよ」
「オッケー! 楽しみだなぁ♪」
薫はテンション高めで店に入っていく。
「いらっしゃいませ!」
威勢のいい掛け声に迎えられた店内は、空気中に漂うスパイスの香りで若干目に染みた。
これはなかなか良さそうだと、薫は目をシパシパさせながら期待で胸が膨らむ。
店内はそう広くなく、カウンター十席とテーブル席三つという席数で、なかなかに混みあっている。
テーブル席は埋まっており、カウンターも二席続けて空いていなかったが、先客が親切にも詰めて空けてくれた。
「ありがとうございます」
薫が動いてくれた客に礼を言うと、先方はニヤリと笑う。
「若い女の子かぁ、ここは辛いよ~?」
恐らく知ってて入ったのかと聞きたいのだろう。
激辛料理は知らずに食べると酷いことになるので、相手なりの親切だと思われた。
「そんなに? うわぁ俄然期待しちゃう!」
「……普通のカレーは、本当に普通なんでしょね?」
キラキラ顔の薫と、若干引き気味の美晴。
「ノーマルの奴は、一般的な辛口程度だよ」
「あ、そう? ならよかった」
あまりにビビっている美晴は、逆隣の客にそう教えてもらって安心していた。
薫が頼んだのは、当然激辛度最強のカレーだ。
そしてそれぞれに注文して、待つことしばし。
「お待たせしましたー」
「うわぁ!」
「うわぁ……」
店員によって運ばれて来た明らかに色が違う二皿に、二人同時に声を漏らす。
しかし同じ声でも薫と美晴でテンションが異なる。
「なに薫の皿のこの色、見ただけで口の中が辛いんだけど」
「わぁお、わぁお!」
げんなりする美晴と、テンションマックスの薫。
「こちらもどうぞー」
そして薫の前に練乳ドリンクが置かれる。
恐らく辛くてギブアップする人用のものだろう。
あまり知られていないが、辛さを中和させようと水を飲むのは逆効果だったりする。
激辛界の常識である。
「いっただっきまーす!」
薫は早速スプーンに掬ったカレーを口に入れる。
――うん、そこそこ痺れる辛さ! そして美味しい!
評判通りの味に、薫は食べながら身悶えする。
辛さと美味しさを両立するのは、味がスパイスに負けてしまいがちで意外と難しいのだ。
そんな薫をジト目で見ながら、美晴も恐る恐るカレーを口に運ぶ。
「いだだきます……あ、美味しい」
恐れていた辛さが襲ってこなかったのか、美晴の頬が緩む。
「えー、一口食べたい、交換しよ!」
「いいけど、私はアンタのは絶対いらないわ」
薫が一口欲しがると、美晴はお返しを断固拒否して皿を寄せてくれた。
食べたら普通以上に美味しいカレーである。
――このカレー屋、激辛を売りにしなくてもきっと流行るんじゃない?
ということは、激辛は店主の趣味だろうか。
ともあれ、本日の激辛昼食は非常に大満足な結果となった。