6 小坂家の夜
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小坂が帰宅すると、家は真っ暗だった。
いつものことで、明かりがついている方が珍しいのだが。
不良として名が知られている小坂だが、実は両親共に警察官である。
父親は警視、母は刑事で、職場では上司と部下の関係だ。
日々事件を追って忙しい両親との家族団らんなど、普通の家庭に比べれば極端に少ない。
大学生の姉も自由に飛び回っているため、学校があるため比較的規則正しい生活をしている小坂は、大抵一人だ。
両親もそんな家庭環境は気にしていて、様々な記念日を家族で食事の日と決めていて、できるだけ仕事の都合をつけていた。
あの事件の日も、そうした貴重な家族での食事の日だったりする。
小坂はこんな生活に嫌気がさしてグレるようになり、つい去年までは喧嘩しまくっていたのだが。
それも一時の病気のようなもので、熱も次第に冷める。
けれどその頃には、「三校のキング」なる二つ名がついてしまったというわけだ。
この黒歴史が、今になって影響を及ぼそうとしている。
それはともあれ。
ある意味不良を極めた小坂が帰ってまず始めることは、夕食作りである。
なにせ家に誰もいないので、当然夕食なんて用意してあるはずがない。
そしてコンビニ弁当やケータリングなどすぐに飽きるもの。
冷蔵庫にある食材を確認し、慣れた手つきで野菜を刻み、麺と一緒にソースで炒めれば焼きそばの完成だ。
一人前では足りず、二人前の大盛である。
何故メニューが焼きそばかというと、米を切らしていたからだ。
先程母親のスマホに「米がない」と連絡を入れているので、帰りに買ってくるだろう。
一人でサッサと食べる食事は侘しいものだが、慣れもする。
――けど、久しぶりに誰かと一緒に飯を食ったな。
小坂にとって、先日薫と一緒に食べに行った担々麺は、実に久しぶりの一人ではない夕食だった。
それだけではない。
誰かと一緒に電車で出掛けたのも久しぶりだ。
井ノ瀬薫という女子は、小坂に色々と久しぶりの体験をもたらしてくれる。
――アイツ、送って来るかな。
小坂が焼きそばを食べながらも気にしているのは、食卓に置かれているスマホである。
『喋りたかったら連絡していいんだぞ?』
薫に言ったのは自分である。
しかし、いざとなるとスマホが気になってしまう。
薫との週に二回のほんの短い接触を楽しみにしている自分を、さすがに認識せざるを得ない。
しかし、そんな短時間の楽しみを邪魔するのが、己の過去の所業である。
後悔先に立たずということわざを、これほど身をもって体験しようとは。
「あー、くそ」
一年前までは喧嘩ばかりだった自分が、たった一人の女子からの連絡を気にしているなんて滑稽だ。
スマホと睨み合いをしていても仕方ないと、小坂は焼きそばを食べ終えて食器を洗って片付けた後、リビングでソファに寝そべってボクシングの試合を見る。
テーブルには薫に貰った饅頭が、紙袋から出されて皿に盛ってあり。
それをつまみながら試合を観戦していると。
「たっだいま~」
玄関から若い女の声がした。
どうやら姉の亜由美が帰って来たようだ。
「あ、いーもん食べてる!」
リビングに入って来た亜由美が目ざとくテーブルに饅頭を発見して、手を伸ばして来た。
しかし小坂はさっと皿を取り上げ饅頭を守る。
「なにさケチ、一個ちょうだいよ」
ムスッと膨れっ面をする亜由美は、どちらかというと可愛い系の顔立ちだ。
告白される事も多いらしいが、世の男どもは騙されてはならない。
コレはとてつもない猛獣である。
付き合うには、猛獣使いの能力が必要となるだろう。
「コレは貰いもんだ」
小坂が告げると。
「へー、誰から?」
亜由美からの当然の質問に、小坂はなんと返したものかと一瞬迷う。
「……学校の後輩」
疑問を持たれない無難な答えをしたつもりが、亜由美は訝し気な顔をする。
「後輩?
先輩なら矢口君がいるけど、アンタに後輩?」
「後輩がいたら悪いのかよ」
亜由美から、後輩という存在自体を疑われていた。
確かに、小坂は学校で後輩どころか、クラスメイトとすらコミュニケーションをとっているとは言い難い。
自分としては威嚇しているつもりはないが、必要以上にビビられるのだ。
授業中に前からプリントを回される際にも、「噛みつかないでお願い!」という悲壮な声が聞こえそうなほど。
――誰も取って食ったりしねぇっての。
まあ一年の頃を振り返れば、怯えられるのも仕方ないのだが。
「お菓子なんかあげるってことは、それって女の子だよね?」
小坂が自身について再認識していると、亜由美がさらに追及して来る。
「男子だと思わねぇのかよ、そういうの差別って言わねぇか?」
正論で防御しようとした小坂だったが。
「アンタがモテてる男子は、そんな可愛らしいプレゼントなんてしないわ」
亜由美から嫌な切り返しを受ける。
「モテてる言うな、勝手にたかって来るんだよ」
「そういうのを、モテてるって言うのよ」
そんなモテ方は嬉しくない。かといって、女子にキャーキャー言われたくもないのだが。
ともあれ、このままどうにか話をはぐらかそうとしていると。
「もしかして、タケルさんが言ってたこの間の女の子?」
亜由美が鋭く勘を働かせた。
タケルというのは、先日の「不良狩り」事件で駆け付けた警察官である。
母親の部下である彼が現場にいたから、事情は後で母親越しにと言われて早く帰れたが、違う警察官だったら聴取だなんだと警察署まで連れて行かれた可能性が高い。
そうなると根掘り葉掘りとある事ない事を聞かれた薫が、すんなり普通の生活に戻れたかは疑問である。
なので小坂は、タケルにとても感謝していた。
けれど、亜由美にペロッと喋ってしまうのはどうなのか。
――あの人、アネキに弱いからな。
彼は亜由美の見た目に騙されている男の一人である。
「ていうか、手作りじゃんこれ」
亜由美が饅頭を見ていて、店で買ったものではないことに気付いたようだ。
「……部活で作ったってよ」
変な作り話は墓穴を掘るだけなので、そこは真実を話す。
すると亜由美が満面の笑みを作った。
「いーねいーねぇ!
手作りお菓子をプレゼントしてくれる女の子!
喧嘩三昧だったアンタに春が来たってか」
「そういうんじゃねぇし」
一人盛り上がる亜由美に、小坂は釘を刺そうとする。
「じゃあ、どういうのよ?」
「……そりゃあ」
ズバッと聞かれて、小坂が返答に詰まっていると。
ポーン♪
テーブルに置いていたスマホが鳴った。
亜由美の追求から逃れたくて、すぐさまスマホを手に取ったのだが。
――井ノ瀬だ。
なんとこのタイミングで、薫からの送信である。
小坂はできるだけポーカーフェイスで、SNSを起動させる。
『今日の夕食は野菜炒め。
私好みの味に七味たっぷりにアレンジしたら、家族からは嫌がられる。
一人だけ辛党は辛い(ダジャレじゃないよ)』
「プッ……」
いかにも薫らしい文面に、小坂は小さく噴き出す。
きっととてつもない量の七味を振りかけたのだろう。
小坂は家族で和気あいあいと食べる井ノ瀬家の食事が羨ましくもあり、すぐに返信を打つ。
『馬鹿野郎、夕飯出るだけマシ。
ウチは親が作ることのが珍しくて、自分で作った焼きそばだ』
学校で恐れられる不良である自分が、家で自炊していると知れば、薫はどんな反応をするだろうか。
同情されるのは嫌だが、薫だったら斜め上の返信が帰って来る気がした。
穏やかで、若干楽しそうにスマホを見る小坂を、亜由美が意外そうな顔で眺める。
「なによアイツ、あんな顔できんじゃないの」
そして、今のうちにと饅頭を一つ掠め取る。
「あ、これウマっ」
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