第八話 嵐のような神様
その後は、あっけないものだった。
しばらくの間霊力を吸い取り、もう抵抗出来ない程に素戔嗚を弱らせてから、僕は刀を引き抜く。
「はあ、まさか本当にこの俺を倒しちまうとはなあ……」
言葉とは裏腹に、何だか嬉しそうな素戔嗚。まあ、こういった反応をするだろうと予想してはいたが、やはりその突き抜けた精神性には驚かされる。
「しかし、誰かに負けるなんてのは久しぶりだ。こういうのも悪くない。機会があればまた戦おうぜ」
「いや、ほんともう勘弁してくれ」
心からお断りした。こんな事はもう二度とごめんだ。
っていうか素戔嗚は、途中から目的を忘れて、ただ戦闘を楽しんでいたのではないだろうか。だとすると何だか複雑な気分だ。
そんな風に考えていると、巫が素戔嗚に向かっておずおずと問いかけた。
「あの……私を逃がす為にあの場に残った、他の抑霊衆は――」
「俺はおまえ――というかおまえの持っている御札を追う方を優先したかったし、あいつら存外にしぶとかったからな。
無力化するのに手間取って、一人一人にとどめを刺している時間はなかった。
まあ要するに、あいつらはまだ死んでないってこった。多少の手傷は負っているだろうがな」
「そうですか……」
素戔嗚の返答を聞いて、巫の表情が和らぐ。
途端、ほっとして気が緩んだからか、巫は再び倒れそうになった。
「巫!」
僕は急いで巫の体を支える。
「す、すみません麻布さん。ご迷惑をおかけしてしまって……」
「気にするな。というか、巫は自分の体の事を気にしたほうがいい」
巫は相当な無茶をして、何度も僕を助けてくれたのだ。今はゆっくり休ませてあげるべきである。
すると、そんな様子を見ていた素戔嗚が、トンデモナイ事を言い出した。
「やっぱおまえら仲良いな。この際、夫婦になったらどうだ」
「ちょ……、何言ってんだ!」「な、何言ってるんですか!」
「息ぴったりじゃねえか。これで夫婦にならないほうがおかしいと思うがなあ。ひょっとして他に好きな奴でもいるのか? それなら――」
「もうその話はいいから!」「もうその話はいいですから!」
「あーそうかい分かったよー」
ニタニタと笑いながら言う素戔嗚。
むぅ。これ完全にからかわれているぞ。
「ところで、おまえの神器、銘は付けたのか?」
不意に、素戔嗚が聞いてきた。
「いや、まだ付けてないけど……」
「そうか。なら俺が付けてやろう。そうだな――」
少し考えて、素戔嗚はパチンと指を鳴らした。
「俺という神を打倒した、奇妙な権能を持つ刀。そこから転じて、妙刀・神薙ってのはどうだ?」
本当に銘を提案してきた。まあ別に神器の名前なんてどうでもいいんだが……しかし、その名前だと巫と被ってしまう。
そう危惧したのだが。
「私は、麻布さんが良いならそれでいいと思いますよ。むしろ覚えやすくて助かります」
当の巫は、気にしていないようだった。
「そういうもんなのか……」
まあ、本人が良いと言うのだから大丈夫なのか……そんな風に思っていると、それを無言の肯定と受け取ったのか、
「じゃあ、妙刀・神薙で決まりだな」
素戔嗚が強引に神器の銘を決定してしまった。
「ああ、それと、神器は異空間にしまっておけ。いちいち帯刀するよりも便利だぞ。何、心配はいらない。異空間からの出し入れだけなら、創造するときのように多大な霊力を使う事はないからな」
「そう言われてもやり方が分からないんだけど……」
「ただイメージするだけでいい」
言われた通りやってみると、僕の神器はスッと消えた。
「マジか……。神の権能って本当になんでもありだな……」
「ははは、そりゃそうだ。超越した力を持っているからこその神だからな。ちなみに、取り出すときも、同じ要領でやればできる。ちゃんと今の感覚を覚えておけよ」
「ああ、分かった」
僕が頷くと、素戔嗚はそこで、ふと思い出したように聞いてきた。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな。おまえ、名は何と言う?」
確かに、まだ名乗っていなかった。まあ神に名を聞かれるなんてそうそう無い事だし、ここは素直に答えておこう。
「灯醒志――麻布灯醒志だ」
「灯し醒ます志、か。なるほどな。覚えておこう」
そう言って素戔嗚は僕らに背を向ける。
霊力を吸い取られ、弱体化しているにも関わらず、その立ち姿は堂々としたものだった。
「じゃあな、麻布灯醒志。おまえとの戦い、なかなかに楽しかったぜ」
その言葉を言い終わった刹那、素戔嗚は一陣の風と共にその場から消え去っていた。
いったいどんな権能を使って移動したのか定かではないが、まあ、素戔嗚ならこの程度の事、不思議でもなんでもない。
やれやれ。暴れるだけ暴れて、最後はあっさり去っていきやがって。まるで、嵐のような神様である。
「ふう、これで一安心だな……。ところで、この後どうするんだ?」
「そうですね……。とりあえず抑霊衆の拠点に移動して、霊力を安定させる儀式を済ませてしまいましょう」
そういえば、そんな話だったな。素戔嗚を倒す事に躍起になっていたから忘れていたけど、もとはといえば霊力の乱れを抑える事が目的だったっけ。
「了解。じゃあ、行くか。あ、でも巫、まだ回復してないよな。大丈夫か?」
「大丈夫……と言いたい所ですが、ちょっとまだ歩けそうにないですね。すみません」
巫は申し訳なさそうに言う。
なら、巫が回復するのを待つか。いや、だがこんな場所にずっといたら疲労回復どころか、もっと疲れてしまいそうだ。
よし、ここは……。
僕は巫に背を向けて、スッと屈む。
「あの、麻布さん。これは……」
「いや、ほら。今の状態じゃ、歩くの大変だろ。だから、その……、僕が負ぶって移動した方がいいかなって。もちろん、嫌じゃなければだけど……」
「いや、でもいいんですか……? 麻布さんが大変じゃあ……」
「ほら、僕は神になって身体権能が上がってるから、人ひとり背負うくらいなら何て事ないんだよ」
「じゃあ、お言葉に甘えさせて頂きます」
巫がそう言ったので、僕は巫を背負う。その瞬間、僕は理性が吹っ飛びそうになった。何故なら――
――すごく……密着している!
背負う前までは別に大丈夫だろうと思っていたのだが、これはヤバい。背中に当たる感触に気を取られてしまって、まともに頭が回らなくなってきている。
まさか自分がここまで女子との接触に耐性がないとは。
背中に当たる、慎ましくも柔らかい膨らみ。小さめだが、だからこその魅力が、そこには詰まっている。夢や希望なんてちゃちなものじゃない。もっと素晴らしい、何というか生命の神秘みたいなものが、背中越しに伝わってきた。
って何考えているんだ僕は。落ち着け。動揺しすぎだ。
「麻布さん、どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。さあ、行こうか」
僕は動揺を隠しながら一歩踏み出そうとして……
「ええっと、どっちに行けばいいんだ?」
そもそも抑霊衆の拠点の場所など知らない事に気付いた。
「ちょっと待ってください……」
そう言って、巫は一枚の紙を取り出した。
「それは……地図か?」
「はい。しかし、ただの地図ではありませんよ。
霊脈を用いる事によって、現在地から目的地までの案内をしてくれる、言わば、霊的な原理でつくられたグー〇ルマップなのです!」
「……」
行き過ぎた科学は魔術と変わらないと言うが、その逆もあり得るのか。しかし、なんて言うか霊能力があまりに俗っぽく見えてきて、ちょっとアレである。
「てか抑霊集の拠点って巫のホームみたいなもんじゃないのか? 普通に道順教えてくれた方が早いような気がするんだが……」
「お恥ずかしながら、私はどうにも道を覚えるのが苦手でして……。
しかも、今回のような緊急事態には空間転移術式で瞬間的に移動してしまいますし、普段は拠点内に籠もって術式を編んだりする日々を送っておりますので、普通に歩いて外に出る事は稀なのですよ。
だから尚更道が分からなくて」
「へえ、そうなのか……。まあ、僕も道を覚えるのは得意な方じゃないし、気持ちは分かるよ。
てか、今の話から察するに、巫はそもそも抑霊衆の拠点で直接暮らしてるのか」
「はい。常駐勤務という奴です」
それはちょっと意味が違うと思うぞ。
だが、それよりも気になったのは――
「抑霊衆って今回みたく外に出て戦う事が多いのかと思ってたけど、その話だと、そうでもないのか」
「はい。今回の事は例外中の例外です。神様と敵対するなんて事、普通はありえませんからね。
抑霊衆は霊能者のまとめ役みたいなところがありまして。
全国に点在する霊能者の情報を元に、こちらで総括し、適切な対処を行う事が正規の仕事です。
全国の霊力を観測、調整する為の礼装なども、拠点内に揃っていますしね。
基本、今回のようなフィールドワークは、他の霊能者では対処しきれないような高難易度の案件の時だけですね」
フィールドワークの使い方も、かなり間違っている。巫は丁寧なようでいて、わりとその場の勢いで話す事が多いようだ。
それにしても、霊能者のまとめ役か。
まあ、霊能者の頂点に立つような人でなければ、神を生み出したり神と戦ったりする事は出来ないのだろう。だから今回は、直接事件の解決にあたったという事か。
しかし、あれだな。戦闘前に聞いた話で、抑霊衆の事を何となく理解したつもりでいたけど、こうして聞いてみると全然イメージと違う。
「なるほどな……。でも、巫はすごいな。こんな歳で、それだけの仕事を任されているなんて」
「こんな歳と言われましても、私多分、麻布さんとそんなに歳変わりませんよ?」
「そうなのか? 僕は17だけど」
「やっぱり。同い年です」
「え……っ!」
嘘だろ。
その見た目から、結構年下だと思っていたのだが。
「む。何ですかそのリアクション。……まあ、大体察しはつきますけど。どうせ私の事、年下だと思っていたんでしょう。別にいいですよーだ。幼児体系なのは自覚してますし」
巫が拗ねてしまった。
小っちゃい事はコンプレックスだったのか。
まずい。何とか機嫌をなおしてもらわないと。
「い、いや、でもほら、気にする事ないと思うぜ。むしろ、こうやって背負う分には楽だしさ」
「フォロー下手すぎです! それじゃあ完全に子ども扱いじゃないですか~! もういいです、早くいきましょう!」
そんな風に会話しながら、僕達は抑霊衆の拠点へと向かった。
まだ問題が完全に解決したわけではないが、当面の安全は確保出来たと言っていいだろう。だからこそ、こんな平和な会話が出来るのだ。
その事に安堵しながら、僕は巫を背負って歩く。
しかし、安堵していられるのも今の内だった。
この後、事態はさらに混沌とした状況へと、急転直下で転がっていくのだから。