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触りし神に救い有り  作者: 白き悪
決戦篇
48/50

第四十六話 死者への想い

 激情に突き動かされ、暫く咽び泣いていると、少しずつ、頭が冷えてきた。


「秋空……」


 目の前で倒れている男に呼びかける。

 当然、返事はない。

 少し触れると、その体は異様に冷たかった。

 既に死んでいるようだ。

 やはり、ラプラスの悪魔を抑えるのに相当な無茶をしたようだ。

 ラプラスの悪魔が憑いていたのが、もし秋空でなかったのなら、こういう形での勝利は出来ず、世界の理は改変されてしまっていた事だろう。

 しかし、秋空のおかげで、ラプラスの悪魔を倒す事が出来た。あとは、世界の理を元に戻すだけ。

 伊梨炉秀からもらった御札を使えば、何とかなるらしいが……


「とにかく、行こう」


 そう言って、立ち上がる。

 神としての力を失った生身の身体の感覚は、酷く懐かしく思えた。

 秋空は、世界の理のすぐ近くに陣取っていた。よって、世界の理はすぐそこだ。

 手遅れにならないうちに、世界の理を元に戻そう。

 そう思い、僕は一歩を踏み出した。

 その時。


「なんだ……?」


 世界の理に、変化が起きた。

 なんというか、禍々しい色に変色したと言うか――

 いや、この感じは、嫌という程知っている。

 これは、悪霊だ。

 悪霊の怨念が、世界の理に影響を及ぼしている――?


「まさか……!」


 慌てて、僕は世界の理の間近に視線を移す。

 そこには案の定、一人の男がいた。

 悪霊に並々ならぬ執着を見せる男。

 そして、黒霊衆を裏切ってまで、僕と妃香華を庇ってくれた男だ。

 つまり――


「玖導、励志……」


 その男の名を呼ぶ。

 今まで、自分も含めて、傷だらけの状態の人間は何人も見てきた。しかし、今目の前にいる玖導は、その誰よりもボロボロだった。

 もはや生きている事が奇跡と言っていいレベルだ。何故この男は、こんな状態で、まだ立っていられるんだ?

 だが、だからと言って油断はできない。今訊くべき事は一つだけ。


「この、世界の理の変色。おまえの仕業か」


「そうだ。俺が集めた霊の怨念、その全てを、世界の理に組み込んだ」


 並々ならぬ決意を秘めた表情で、玖導は言った。

 だが、怨念に多大な干渉をされて出来た新たな理を元にした世界。そんなものは――


「どうなるか分からない――最悪、死者の怨念によって、全ての生者が死をもたらされる世界となってもおかしくないぞ」


「それが死者の想いだと言うのなら――生者はそれを、肯定すべきだ」


「悪霊の怨念は、その霊の生前の想いがそのまま反映されたものとは限らない。穢れによって変質してしまったものだ」


「それでも、もととなっているのは、死者の魂そのものである事に違いはない。

 それともおまえは、悪霊が生前の人物と全く無関係の別物であると言うのか? ならば何故おまえは、あの霊を助けた?」


「それは……」


 それを言われてしまうと、こちらとしても言い返せない。

 悪霊となった妃香華に攻撃された時、僕は抵抗しなかった。それは、当然の報いだと思っていたからだ。

 その点において、僕と玖導は同じ。死者から恨みをぶつけられる事を受け入れている――どころか、渇望している。

 だからこそ、僕は玖導のあまりにも歪んだ思想に共感できてしまう。こいつの望みは、かつて僕の望みでもあったのだ。

 だけど――


「それでも僕は、おまえを止めるよ」


 僕は、そんな感傷を振り切って、言い放った。


「たしかに、おまえの言う通り、生者に恨みをぶつけたい死者もいるのかもしれないし、霊がその権利を持つのは当然かもしれないけどさ」


 かつての自分ならば、玖導の言葉に納得していたかもしれない。けれど、今は――


「妃香華は最期に、僕を助ける道を選んでくれた。僕の事を恨んで当然なのに、それでもだ。そういう死者もいるんだよ。

 そして僕は、妃香華のように、生者の事を助けてくれる死者の気持ちも、大事にしたいんだ」


「それは、恨みを押し隠し、無理をしていただけなんじゃないのか?

 悪霊の時こそ、死者は胸に秘めていた恨みや鬱憤を、抑える事なく出す事が出来る。だから、悪霊の怨念にこそ、本当の死者の想いが詰まっていると――そう思わないか?」


「もしかしたらそうかもしれない。でもさ、その恨みつらみを抑え込んだ、その想いだって、想いである事に違いはないだろう」


 思えば、最初からそうだった。

 妃香華は、悪霊となって僕を襲った時も、すんでのところで、その攻撃を止めたのだ。

 悪霊を突き動かす、恨みの衝動。それを、自らの意志で押しとどめて。

 妃香華は、自らの怨念に打ち勝った。同じように、自らの怨念に逆らおうとする死者もいる筈だ。

 僕の魂の中に妃香華がいるのなら、その想いを受け継がなくてどうする――!


 そんな僕の想いを受け、玖導は――


「そうか――おまえの考えは分かった。いくら説得しようと、その心が変わらない事もな。だが、それは俺とて同じ事。ここを通す気はないぞ」


 そう言って、ボロボロの身体を動かし、臨戦態勢をとった。

 対して、僕も拳を握る。


「なら、力尽くで押し通るまでだ」


「そうか。ならば俺は、全霊を以て止めるまで」


 僕は既に神としての力を失い、ただの人間に戻っている。

 対して、玖導も自らの力としていた悪霊の怨念すべてを、世界の理に介入させている。つまり、特殊な力は使えない、普通の人間だ。

 違いがあるとすれば、身体の状態。

 妃香華のおかげか、僕の身体は、傷を負う前の普通の状態になっている。対して、玖導は手負いだ。どころか、生きているのが奇跡としか言えないような、酷い重傷である。

 そんな状態にも関わらず、こいつは僕を全霊で止めようとしている。一体、どれ程の胆力の持ち主なのか。

 ああ――でも、たしかに分かる気がする。

 だって、もし僕が同じ立場だったのなら、きっと同じ事をするだろうから――!


「うおおおおおっ!」


 僕は、玖導に向って思いっきり殴りかかる。

 やはり重傷で上手く体が動かせないのだろう。フェイントも何もない僕の愚直な拳は、玖導の顔面に届いた。


「……ッ!」


 玖導の身体が、崩れ落ちそうになる。

 しかし彼は、その両足に力を籠めて耐え切り、


「おあああああっ!」


 僕の腹に、拳を叩きこんできた。


「が……は……っ!」


 重傷の人間とは思えない、鋭い一撃。

 やはり、この男の執念が、そして想いが、力となっているのだろう。

 だが、想いの強さというのなら――


「負け、ない……っ!」


 さらに力を籠め、次の一撃を玖導に見舞う。

 すかさず、反撃の拳が僕にめり込む。

 それでも。


「負けるわけには……いかない……っ!」


 妃香華が、この魂の中で、共にいるのなら。

 想いの強さでは、絶対に、誰にも負けるわけにはいかない。


 拳が、互いの身体に、何度も突き刺さる。

 これまでの戦いで、痛みにはかなり慣れた。

 だが、治癒能力の高い神の時は意識する事のなかった、ダメージの蓄積による体への負担には勝てず、何度も崩れ落ちそうになる。

 その度に、僕は己に命じるのだ。

 一度は巫によって。そして今度は、妃香華によって。僕は二度も、命を救ってもらった。

 ならばこの命は。

 己の信じるものの為、そして、妃香華に誇れる自分である為。

 そして、必死に生きる為、使わなくてはならない。

 だから僕は。


「出来ない……ここで負ける事は、絶対に出来ない――っ!」



 人間が。神々が。悪魔が。

 それぞれが、自らの全てを賭け、天界全土を舞台として争った、あまりにも大きな決戦。

 その最終戦――能力を失った者同士の、ただの殴り合いは続き――そして。



 ◇◇◇



 俺は、麻布灯醒志と殴り合いながら思う。

 こいつは、強い。

 悪霊となった死者を、その苦しみから救い上げ、あまつさえ天使と敵対してでも守ってみせた。

 それは、俺には出来なかった事だ。

 俺はただ、雫の祟りを受け入れる事で、少しでも、その痛みを分かち合えた気になっていただけ。そんなものは、本当の救いではないのかもしれない。

 しかし、それしかなかったのだ。俺に出来るのはそれだけだった。


 だから、伊梨炉秀によって雫の魂が消滅した後も、俺は固執し続けた。死者の恨みを、そして痛みを真正面から受け止める事こそが、生者の義務だと。ただそれだけを信じ、ここまで歩んで来た。

 その第一歩として、俺自身が多くの霊の怨念を背負い込んだ時、これこそ自分の理想だと、自分は間違っていなかったと、そう思ったものだ。だが、実際はどうだったのだろう。

 俺のしてきた事は、正しかったのか、間違っていたのか。

 ただ、目の前の男を見ていると、本当の意味で死者と向き合ったのは、俺ではなくむしろこの男なのではないかと思えてくる。

 自分が、ずっと間違え続けてきたのではないかと、そう思ってしまう。

 それ程までに、麻布灯醒志は眩しかった。

 それは、朝の陽ざしのように。

 死者を悼みながらも、生者を照らしていた。


 ああ、俺は、こいつが羨ましかったのか。

 ふと、そんな風に思う。

 だけど、どうなのだろう。

 この男の表情は、強い決意に満ちているけれど。

 しかし、それでも尚、悲しみを断ち切れていないように見えてしまう――


――おまえは、自分が正しいと思うか?


 俺は、声に出さずに彼に問うた。


――思わない、いや思えないよ。僕は一生、妃香華を見殺しにしてしまった事を引きずり続ける。

 それでもさ、妃香華は、自分の魂を犠牲にしてまで、僕の命を助けてくれた。ならその価値に見合うように、胸を張って、精一杯生きていくしか、ない……!


 同じく、声に出さずに、彼は答えた。

 そうか。たしかにこの男は、俺が及ぶべくもない、とても眩しい光だけれど。

 その実、やはり根底にあるものは同じなのか――


 そして、俺と灯醒志。互いに最後の一撃が繰り出される。


――ああ、俺は……


――ああ、僕は……


 そして同じ事を想い、交差した俺達の拳は、互いの心に突き刺さった。


――ただ、妃香華の死を、受け入れられなかっただけなんだ……


――ただ、雫の死を、受け入れられなかっただけなんだ……

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