第三十五話 概念解放
素戔嗚たちに助けられ、そのまま境へと向かっていると、見知った人物がこちらに向ってくるのが見えた。彼は――
「守繫さん!」
「ああ、遅くなって済まない」
そう返事する守繫さんの傍らには、一人の女性が立っていた。
「もしかして、その方が……」
「ああ、彼は魂の専門家だ。こいつなら、悪魔が器ではなく魂に直接張り付いていようとも、何とか引き剥がせる筈だ」
中性的な顔立ちや華奢な体躯、長い髪から、女性だと思ったのだが、男性だったのか。
ここ最近、人はみかけによらないという事を思い知らされる。巫も見た目は小さいが、普通に同い年だったし。
「初めまして。私は早流多真志という。だが、悠長に自己紹介している場合ではないな。
早速、その霊の魂から、悪魔を取り除く」
「はい……よろしくお願いします!」
妃香華を早流さんに渡す。
早流さんは、即座に儀式を開始した。
刹那、凄まじい力が迸る。
早流さんの力が、妃香華の中の悪魔に干渉している。力の奔流により、それが手に取るように分かった。
そして――
「――掴んだ……ッ! あとは引き剥がすだけ……ぐ、ああっ!」
早流さんが苦し気に呻く。
途端、妃香華の中から、悪魔の力が噴出した。だが、先程のような絶望感は感じない。むしろ、悪魔自体が苦しみにあえいでいるようだ。
「想像以上に結びつきが強い。
すまないが、この、表面上に噴出した悪魔の力を、出来るだけ削いでくれないか。
そうすれば結びつきは弱まり、摘出しやすくなる」
「はい、分かりました!」
僕は頷き、悪魔の力に向けて突撃する。
丁度、ただ見ているだけじゃなく、他に出来る事はないか探していたところだ。
僕にしか出来ない役目があるのなら、必ず成し遂げてやる。
「おおおおおっ!」
悪魔の力に、僕は自らの霊力をそのままぶつける。さらに守繫さんの支援か、その霊力は増幅し、悪魔の力をゴリゴリと削る。
しかし、幾分力が抑えられているとはいえ、それでも流石は悪魔。その圧倒的な力で、こちらを押し返してくる。
「ぐ、うあああああっ!」
僕は、霊力を全開にしてなんとか耐えようとする。しかし――
「が……っ、は……っ!」
悪魔の力に押し負け、僕は後ろに飛ばされた。
「大丈夫か、麻布!」
「問題ありません。まだ戦えます」
僕は四肢に力を籠めて立ち上がる。
「だが麻布、おまえはこれまでも相当無茶をしてきたように見える。このまま悪魔の力を削ろうと戦い続けたら、本当に身が持たないぞ」
「それは重々承知です。それでも――」
それでも僕は、ここで屈するわけにはいかない。
生前、妃香華はこの悪魔にずっと翻弄され続け、そして死後も、こうして苦しめられている。
この悪魔は、妃香華を散々苦しめた元凶なのだ。それが今、目の前にいるのなら。
自らの全てを使って、討ち滅ぼすのみ――!
「顕現せよ、妙刀・神薙――!」
手にするのは他でもない、僕が創り出した神器。最初は能力を理解せずに戦い、少し前まではでは能力を把握して戦っていた。そして今、僕はその先を行く。
「その神器はたしか、霊力を吸収するっていう……。だが、相手は悪魔の力だぞ! そんなものを吸収したら、どんな事になるか――」
「大丈夫ですよ、守繫さん。何となくですけど、僕はこの神器の本当の使い方、分かりましたから」
神としてずっと戦ってきて、僕はやっと、神の力の正体、その一端を掴んだ。
神の力は全能ではない。それでも、僕はこれまでの戦いで、相当の無茶を通す事ができた。それは何故か。神とは、物理的な存在ではなく、概念的な存在だからだ。
ならば、その神が創り出した神器も同じ筈。そして、概念としての力を使う感覚にも慣れてきた。だから――きっと真の力を解放できる。
妙刀・神薙という神器――その特性。
それは吸収、そして放出。
この二つの概念を、極限まで抽象化し、イメージする。
「概念――解放」
ズキン、と魂の痛みが加速する。僕の魂には、今まで以上に負荷がかかっているようだ。
いい加減極限だと思っていた魂の痛みだが、まだ先があったとは。もはや、まともに思考する事が困難なほど、その痛みは僕を苛む。
だが、それでも集中力を途切れさせてはいけない。僕は魂の痛みを無理矢理抑え込み、妙刀・神薙の切先を悪魔に向ける。
そして、その真の力を発現させた。
「極式・陽陰―――!」
刹那、空間が歪む。妙刀・神薙の切先。その延長にある一点に、悪魔の力が吸い込まれていく。それは、まさに――
「光すら呑む重力場」
守繫さんが、唖然と呟いた。
正確には、もちろん光すら呑む重力場などではない。
これは、霊力のみを吸収する特殊な重力場。それも、選択したものだけを一点に凝縮する、完璧な概念だ。
しかし、
「ぅぐ、ぐがあああっ!」
魂の痛みは、信じられない速度で加速していく。概念そのものを完全に制御しているのだ。魂への負荷は半端なものではない。
だが、まだだ。まだ、終わる事はできない。
僕は、叫んだ。
「早流さん、今です!」
「無論、分かっている……っ!」
そして、妃香華の中から、今まで見た中で最も悍ましいものが現れた。おそらくあれが、悪魔の核。早流さんが、妃香華の中から抜き出してくれたのだ。
そして、出てきてしまえばこちらのもの。吸収の概念の中に、無理矢理ねじ込める――!
「ぐ、がは……っ!」
限界を感じながら、それでも力を絞り出し、極式・陽陰を継続する。
「馬鹿、無理するな……っ!」
守繫さんがこちらに叫ぶ。それでも、僕は。
「こんなところで、終われない――っ!」
叫び、遂に核を含めた、悪魔の全ての力を、一点に凝縮した。あとはこれを叩くのみ。
吸収と対をなす、放出の概念で。
「う、おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!」
今まで溜め込んだ、あらゆる種類の霊力。それらすべてを、凝縮したあの一点に、余すことなく放出する。それが極式・陽陰の最終段階。
「いっけええええええええええぇぇぇぇぇ――――――っ!」
そして、禍々しい悪魔の力は消え去り。
魂の痛みに耐え切れなくなった僕は、意識を失った。
◇◇◇
高天原に来た私――巫御美と上代陽華を待ち受けていたのは、中住古久雨だった。
「あなたは……」
「警戒するな――と言っても無駄だろうな。何せ私はずっと、抑霊衆と敵対していたのだからな」
たしかにそれもそうだが、私はそれよりも、彼のそのボロボロな状態に対して驚いていた。悪魔が多く復活してしまった今、黒霊衆にとって計画通りの状況かと思っていたのだが……
「ああ、この状態が気になっているのか。何、単に部下に裏切られ、組織そのものが乗っ取られただけさ。それで、勝手と承知で提案があるのだが」
バツの悪そうな顔で、中住は言った。
「抑霊衆に、協力させてはもらえないだろうか。もちろん、今さら何を、と思うのであれば、今この場で殺してくれても構わん。無論、抵抗するつもりもない」
こちらに投降する、という事か……
しかし、この男を信用してもいいのか。
今までやってきた事を考えれば、警戒しなければいけないのは分かっている。
だが、これまでの尊大な態度とは違い、今のこの男の態度からは真摯さが感じられる。
このボロボロの状態を見る限り、仲間に裏切られたというのは嘘ではないように思われる。ならば、こちらに寝返ってもおかしくはない。
正直、信じてもいいのではないかと思えてくる。
どうするべきか決まらず、チラリと上代さんの方に目配せすると……
「まあ……いいんじゃないかしら。こいつの状態を見る限り、本当に他の黒霊衆に裏切られたようだし。とりあえず、協力関係を結ぶのがいいと、私は思うわ」
「それもそうですね……正直、全面的に信用は出来ませんが、しかし――」
私は、少し考えてから、言った。
「協力はありがたいです。今は、黒霊衆の情報が少しでもほしい。あなたの知っている事、すべて話してもらいます」
「恩に着る。ああ、それと……おまえに一つ、渡すものがある」
「これは――」
「天之御中主神の力の一部を借り受け、それに私の術式を加えた札だ。今後、役立つ事があるかもしれん」
一瞬何かの罠かと疑ったが、御札からは邪悪な霊力は感じられない。ここは素直に受け取るべきだろう。
「……わかりました。受け取っておきましょう」
私はそう返答し、御札を手に取った。




