触りし神に救い有り

高天原争乱篇 下

第三十三話 黒霊衆

　僕は、神無月さんの助力によって、守繁さんの言っていた魂の専門家のもとへと空間転移された筈だった。しかし。

「空間転移の反応があるから、伊梨炉秀かと思って介入したが、違ったか」

　空間転移の感覚は途中で途切れ、何故か黒霊衆のリーダー――中住古久雨と、悪霊の専門家――玖導励志の目の前に来ていた。

「なんでおまえらがここに……」

「どこに転移しようとしていたのかは知らないが、私たちが術式に介入したから、おまえは目的地に行く途中で出てきてしまったのだ」

　つまり空間転移を途中で邪魔されてしまったという事か。本当にこいつら黒霊衆は、いつもいつも余計な事ばかりしてくれる……っ！

「しかし、伊梨炉秀のつくった札により生み出された神、か……。奴の計画の要ではあるのだろうし、ここで潰しておくか」

「な……っ！」

　反応できなかった。中住古久雨は、自身の取り込んだ神の権能を、僕に向かって容赦なく放っていたのだ。

「ぐは……っ！」

　僕はその場に倒れる。妃香華ではなく僕自身を狙った分、天使や伊梨よりはまだマシだが、しかしまだマシと言うだけで、切迫した状況である事には変わりない。僕がここで死んでしまっても、意味はないのだ。

「くそ……こんなところで終われるか……っ！」

　ダメージの蓄積によってガクガクと震える身体に力を籠め、何とか立ち上がる。

「ほお、そんなボロボロの状態で、何故足掻く」

「足掻くに、決まってる。僕は一度、妃香華を見捨てた。だから、今度こそは助けなくちゃいけないんだ……！」

「ほう、そこの霊への愛か。だが悪いな。おまえがどんな事情を抱えていようが関係ない。私は私の目的の為、最善の道を進むだけだ」

　中住がそう言って、再び僕に攻撃をした。

　それを。

　玖導励志が弾き飛ばした。

「……何の真似だ。励志」

　絶対零度の視線で、中住は玖導を睨む。

　その視線を歯牙にもかけず、玖導は言った。

「悪いが、ここはこいつの味方をさせてもらう」

「なんだと……」

　訝しむ中住に、玖導は泰然と言い放つ。

「死者の気持ちに寄り添い、そして助ける。それは多くの者が望み、しかし成し遂げられなかったことだ。

　それを今、成し遂げようと足掻いている男がいる。その邪魔をする事など、俺には出来ない」

　そう告げた後、玖導は振り返らずにこちらに語り掛ける。

「行け、麻布灯醒志。そして必ず、その女を助けてみせろ」

　この男が何故僕を助けてくれたのか、その理由はわからない。

　しかし、何故だかその気持ちは、ほんの少しわかったような気がした。

　この男の事など何一つ知らない。そもそも、本来敵であるのだ。

　しかし、この男には、僕と近しい何かがある。何故だかそんな風に思ってしまう。

　どの道、ここで言うべき事は一つだけだ。

「ありがとう。恩に着るよ、玖導励志」

「ふん、礼などいらん。俺は貴様を助けたわけじゃない。ただ俺は自分のやりたいようにやっているだけだ。だから早く――行け！」

　その決意に満ちた言葉を背に、僕は妃香華を抱え、抑霊衆の拠点と高天原を結ぶ境(ゲート)にむけて走り出した。

　守繁さんがこちらへ一直線に向かっているのなら、それで会える筈だ。

◇◇◇

「まさか、おまえが裏切るとは思ってもみなかったぞ、玖導励志」

　中住古久雨は溜息を吐いて言う。

　対して、玖導は心外だと言いたげな表情で言葉を返してきた。

「何を言う。裏切るも何も、俺達はもともと仲間でも何でもない。ただそれぞれの目的を果たす為の協力関係でしかない筈だ」

「だからこそ、思ってもみなかったと言った……！　ここであの男を逃がす事に、何の意味がある！

　あの男は明らかに我ら黒霊衆にとっては障害だ。我らの計画が失敗すれば、おまえの目的とて果たせなくなるだろう！

　そんなリスクを背負ってまで、私と敵対したというのか！　答えろ、励志ィッ！」

　激昂する中住に、玖導はいつになく真剣な表情を浮かべ、答えた。

「あの男は、死に分かれた女の霊を、必死に救おうとしている。それは、俺には出来なかった事だ。……大切な人の霊は、既に消滅させられてしまったからな」

「……あの男に、自分の境遇でも重ねたか。なるほど、死者の霊を救う事が、おまえにとっての正義だったな」

「正義？　ふん、下らない。そんな高尚なものを俺が持つ筈ないだろう。死者の霊を想うのは、俺にとっては正義なんてものじゃなく――」

　中住の目を正面から見据えて。

　玖導は、自らの全てを曝け出すように言った。

「俺の、存在理由そのものだ。だから、死者を救おうと足掻いているあの男をここで庇わない選択肢など、俺には最初（ハナ）から存在し得ない。ここで奴を見捨てたら、俺は俺でなくなる」

「なるほどな……、実におまえらしい。おまえの考えは、しかと分かった。

　だが、だからと言ってこの裏切りを見過ごす事は出来ん。計画を狂わせる者には死あるのみ。

　私は伊梨炉秀を超えねばならん。その為には炉秀と同じように、感情すらも切り捨て、己が目的の為に邁進しなければ」

「はっ、貴様が感情を切り捨てる？　馬鹿を言え。誰よりも感情に満ち溢れた人間である貴様が、感情をなくせる筈などないだろうに。

　俺から言わせればな、貴様が伊梨炉秀に執着する理由は、敵意でもなければ、霊能者としての強さでもない。

　もちろん、俺のように、奴に対して恨みを持っているわけでもあるまい」

　その言葉に、中住は暫し押し黙ってから、玖導を睨み付けて答えた。

「では……私が伊梨炉秀に執着しているのは何故だと？」

「そんな事は、誰よりも貴様自身が分かっている筈だろうに。それすら気付かないとは、難儀な人間だな、貴様も」

「……言ってくれる。おまえの妄言に付き合わされるのはもうごめんだ。ここで、始末する」

「……そうかよ」

　そして。

　中住古久雨と玖導励志は、激突した。

　その戦力差は歴然。

　悪霊を集め、その怨霊を宿した玖導と、多くの神を取り込み、その権能を使える中住。

　どちらが強いかなど言うまでもない。

「それがおまえの限界だ。玖導励志」

　中住はすぐに玖導を追い詰め、最後の一撃を叩きこもうとした。

　しかし、その直前。

「強欲の腕(avaritia)」

　中(・)住(・)の(・)、(・)全(・)て(・)の(・)力(・)が(・)引(・)っ(・)こ(・)抜(・)か(・)れ(・)た(・)。

「は……？」

　驚いて振り向くと、そこには。

「ひゃ、は……っ、数多の神の権能。こいつを手に入れれば、さっきやられたダメージも、完全回復出来るっ！」

　マモンの悪魔憑きが、獰猛な笑みで笑っていた。

「どいつもこいつも、何故黒霊衆(そしき)の事など考えずに、自分勝手に裏切るのだ……っ！」

「ひゃはっ、最初からそういうはぐれ者の集まりだっただろお、オレたちは。

　それにアンタにはムカついてたんだよねえ、秋空に利用されてるだけの癖してリーダーぶってさあ。

　まあ、どの道アンタの力を私がそっくり頂いた時点で、アンタは黒霊衆に必要ないわけだしい」

　嫌な予感がして、中住は後退る。

「さっさと消えてもらおうか。アンタから奪った力も、試してみたいしねえ」

　その言葉と共に、今まで振りかざしてきた数多の神の権能が、全ての力を失った中住に振り下ろされた。