第二十五話 黒霊衆に加担する神
黒霊衆は、最強の武神――建御雷を罠にはめ、その力を取り込んだ。
もちろん、中住古久雨の中空の術式や、麻布灯醒志の偽物による誘導があってこその奇跡だが、しかし、それだけでは到底不可能な行為だった。
ならば、何故そんな事が成せたのか。それは偏に、秋空緋紅麗の未来視による功績である。
未来視によって、詳細な部分まで緻密な計画をたててはじめて、この作戦は成功したのだ。
(秋空の能力、便利ではあるが将来邪魔になりそうだな――)
そんな風に、中住古久雨は考えていた。
確かに現在、黒霊衆の計画は順調である。
神産みの権能で生み出した神を高天原に放ち、その混乱に乗じてさらに神を取り込む。
その取り込んだ力の一部と神産みの権能を組み合わせて、さらに神を増やして――と、まさに永久機関である。
このままでいけば、計画は完遂出来るだろう。だからこそ一番の問題は。
(秋空に計画を乗っ取られないかどうか、だ)
現在はリーダーという立場を保っている中住だが、将来、秋空に乗っ取られる可能性は否定できない。
(今のうちに、あの未来視から逃れる術を見つけておかねばならんな)
そう、中住は密かに決意していた。
そんな折、
「見つけたぞ、黒霊衆」
後ろから、声がした。
「素戔嗚尊か。みすみす取り込まれに来たか?」
「否だ。その能力は、一定以上近付かないと発動しない筈。遠距離攻撃で、一気に畳み掛ける」
「ふん、たしかにこの術式は、種が割れてしまった相手にはもう使えん。だが――」
余裕の態度を崩さず、中住は言う。
「こちらには対素戔嗚戦の切り札がある」
「俺に認識阻害の術式をかけた神、か……」
「ああ、というわけでこちらはおまえを取り込む事はあきらめる。かわりに、かの神によってここで倒れろ」
刹那、素戔嗚に知覚できない攻撃が飛んだ。
「く……っ!」
素戔嗚が怯んでいる間に、黒霊衆は遠ざかっていく。
「このままじゃ、また被害が広がるだけだ……っ!」
あの中空の術式とやらは、初見の神相手ならほぼ無敵だ。しかも今は、既に多くの神の力を取り込んでいるようだった。
止めなくてはいけない。だが素戔嗚も今は、足止めされている状態。前回はなんとか脱したが、二度も同じ手は通じまい。
(どうする、どうすればいい……っ!)
こうしている間にも何度も攻撃を受け、治癒能力がどんどん減っていっている。このままでは、いずれ霊力が尽き、敗北する。
(何か、出来ないのか……っ!)
しかし、認識阻害の術式がかけられている以上、どうすることもできない。
「このまま、高天原が蹂躙されるのを、見ていることしかできないのか……っ!」
その叫びに。
「そんなことはないよ、素戔嗚」
虚空から、一柱の神が現れた。
人間の使う空間転移術式によって現れたその神は、霊力を吸収し自らの力とする神器――妙刀・神薙を携えている。すなわち、彼は――
「麻布、灯醒志……!」
灯醒志の行動は至って単純だった。何もない空間に向けて、妙刀・神薙を振るったのだ。
それにより一瞬だけ出来た認識阻害の乱れ。それを逃さず、素戔嗚は認識阻害の術式の効果を完全に遮断した。
そして素戔嗚は、自分と灯醒志を一直線に結んだ線、その先に、一柱の神が立っている事を認識する。
それは、知っている神だった。どころか、相当に素戔嗚との関係が深い神だ。それは――
「そうか、俺に認識阻害の術式をかけたのはおまえだったのか。月讀」
「然り。しかしこんな形で解除されるとはな」
月讀。素戔嗚と同じく、伊弉諾の禊によって生まれた三貴子の一人だ。
たしかに、月讀の神格ならば認識阻害術式を素戔嗚にかける事が出来たとしても不思議ではない。
しかし、一体何故そんな事を……
「素戔嗚に対して、私を認識できないよう呪いをかけた。逆に言えば、素戔嗚以外は私を認識することが出来る。
そこの新米神は、空間転移で私と素戔嗚を一直線で結んだ線上に現れた。
認識を阻害する為の呪いを素戔嗚に送り続けるための回路、これはもちろん霊力によるものだから、その神器であれば切り裂ける。
回路は不可視だが、私と素戔嗚が見えていれば、最短距離、つまり二柱を一直線で繋ぐようになっていると考えるのが妥当、か。なるほど」
月讀は感心したように頷いた。だが、次の瞬間、敵意ある視線を素戔嗚に向ける。
「まあいい。破られてしまったとてやる事は変わらない」
「はっ、戦闘は避けられないってか。まあいいさ。だが、その前に――」
素戔嗚は、灯醒志の方に向き直って言う。
「ありがとよ、灯醒志。これでもう、俺は戦える。だからおまえは、黒霊衆の奴らを追ってくれ」
「わかった」
そう返答し、灯醒志は背を向ける。
「いいのか?
おまえは既に手負いの身。対して、こちらは認識阻害の権能を破られたが、それは私が他の権能も使える状態だという事だぞ。いくら何でも、そんな状態で、一柱で私に勝とうなどあまりにも愚かだ。あの神と結託して掛かって来た方が良かったのではないか?」
遠ざかっていく灯醒志を見ながら、月讀は言う。
認識阻害の権能は、他の権能と併用できない。だからこそ、素戔嗚はこれまで殺されるまでには至っていなかったのだ。
その権能が破られ、維持する必要がなくなったのなら、彼はこれまでのように、ちまちま攻撃する必要がなくなる。つまり、一瞬の油断が命取りの、真の神と神の闘いが始まるのだ。
「ああ、分かってる。だからこそあいつを先に行かせたのさ。何せ俺とおまえの戦闘だ。葦原中津国であいつと戦り合った時みたく、加減はできねえだろ?」
その言葉に、月讀は深く頷く。
「なるほど……たしかにそうだな。では、最初から加減など一切なしでいくぞ――」
「ああ。じゃあ始めるか。いざ、尋常に――」
「「勝負!」」
素戔嗚も月讀も、様子を見る事などしなかった。
二千年以上もの付き合いだ。互いの手の内など、疾うに知れている。
よって、両者共に加減などなく。
最初から、その力を余すところなく発揮した。
素戔嗚手が手にしたのは、蛇剣・都牟刈。
その真価を発揮すべく、素戔嗚は吼える。
「概念、解放――!」
神器開放の、その更に上。
概念解放によって、都牟刈は、八岐大蛇の真の姿へと変貌する。
麻布灯醒志との戦いでは、素戔嗚は葦原中津国に配慮し、その力を完全には発揮できなかった。まあ、いくら気性の荒い素戔嗚とて、配慮もするだろう。何せ――
真の八岐大蛇の全長は、三千キロメートル以上――つまり、日本列島とほぼ同等の大きさなのだから。
対して。
「我が半身よ、闇夜を照らせ」
月讀の頭上――そこに月が現れる。
これが、夜之食国を治める為の権能。すなわち、月の神としての本領だ。
形も、質量も、実際の月と全く同じ。
相違点があるとすれば――霊力で編まれているため、落下した時に巻き起こる衝撃の大きさが、桁違いに増す事くらいだろうか。
そして、月を編んでいる霊力はあまりに膨大で、流石の八岐大蛇でも食らいきれないだろう。
しかし、それは月の方とて同じ事。
いくら膨大な質量と霊力を秘めているとて、八岐大蛇を殺しきる事は出来ない。八岐大蛇の治癒能力はそれ程に底なしだ。霊力を吸収したり、あるいは断絶したりする神器ならばともかく、単純な破壊力で大蛇を倒す為には、莫大な力がいる。
よって、月讀は――
「我が全身よ、暦を示せ」
月の数を増やした。
その数は三十。しかも、光の反射や影の形によって、一つ一つが全く違う霊的意味を持っている。
「こっちの剣も、行くぜ……!」
そう言って素戔嗚は、神剣・羽々斬の概念解放も行った。
刹那、天をも震わす程の、凄まじい霊力が神剣・羽々斬から放たれる。
二振りの神器の概念解放と、霊力によって編まれた三十もの月。
素戔嗚と月讀。
二柱の神の、全力の攻撃がぶつかり合った。その結末は如何に――