番外編 高天原における戦い――その一端
その神の力は凄まじかった。
単純な身体能力だけでも神々の頂点に位置し、加えてその武術も最高峰のもの。おまけに身体の至る所が剣へと変じ、さらには敵を凍らせたり、雷を放ったりとの大盤振る舞い。
さりとて誇らし気に振る舞うわけでもなく、ただいつも通りの神妙な顔で、中住の生み出した神を一心不乱に屠っている。
其の神の名は建御雷。
彼の活躍で、中住の生み出した神如きならば、容易に殲滅できる筈だった。
しかし、
「……っ!」
建御雷の後ろから、これまでの相手とは明らかに質の違う神が斬りかかった。
完全に背後からの一撃。並の神ならば防ぎようがないだろう。
だが、建御雷は並の神とは一線を画す。
ガッキイイン、と、鉄と鉄のぶつかり合う音がした。建御雷が、背面を剣へと変え、敵の一撃を防いだのだ。
だが、そこで建御雷は気付いた。霊力が、吸い取られている事に。
おそらく、相手の神器の能力だ。ならばこちらも神器の権能を使うのみ。そう思ったのか、建御雷は腰にある剣を――
抜きさえしなかった。
だと言うのに、
「があああああっ!」
敵は、傷だらけになってその場に倒れた。
「我が剣、布都御魂は、その強大な力故に、抜かずとも万の兵をも屠る。距離や強度も関係なく、平等にな。
ここにいる他の神も、覚悟しておくがいい。
今はそなたらの正体が不明であるが故、こうして一人一人屠って調べてはいるが、已む無しと判断した場合は、皆、まとめてこの剣の錆となってもらうぞ」
その言葉に恐れをなしたのか、周囲の神は一斉にその場から逃げ出す。
「ほお、意思のない操り神かと思っていたが、存外怯える機能はついていたか」
その言葉は、半分正解で、しかし半分間違っている。
中住の生み出した神には、怯える機能など、本来ない。基本的には、意思のない操り人形であるというのは間違いではないのだ。
だがしかし、本来恐怖を覚えない存在をも震え上がらせる。建御雷の持つ神器――布都御魂には、それ程の力があった。だからこそ、中住の生み出した神達は逃げ出したのである。
「は……っ、こんな神器見せられたら、意志のないそこらの石ころだって逃げらあな。俺も使ってみたいんだが、その剣の霊力、吸い取らせちゃあくれねえか?」
「いいだろう」
何を思ったか、建御雷は素直に応じ、剣の鞘を少し上げ、刀身をチラリと見せた。
「……冗談で言ってみただけなんだが……一体何のつもりだ?」
「他の神がこぞっていなくなった以上、今この場には我とそなたの二人きり。ならばこれは決闘だ。そして、我は決闘の際、必ず相手の土俵で戦うと決めておる。
そなたが我が剣の霊力を欲したいというのなら是非もない。その上で戦いに勝たねば、我にとっては勝利足りえぬ」
「はっ、強すぎるのも難儀なこって。ハンデ付きで戦わなけりゃあ、満足すらできねえってか」
「面倒な性分ですまぬな。だが、安心召されよ。決闘を開始したら、容赦するつもりはない」
「ああそうかよ。ったく、神様ってのは変な奴ばっかりだな。じゃあその霊力、ありがたく頂くぜ」
そう言って、敵――すなわち麻布灯醒志の偽物は、その神器の刀身を、布都御魂に触れさせた。
刹那。
「う、ぐあああああっ!」
偽物は神器の刀身を布都御魂から離し、その場にへたり込んだ。
「なんつー底知れなさだ。一瞬触れただけで、受け止めきれないほど大量の霊力が入り込んでくるなんて……」
「これだけでいいのか?」
「ああ、十分だ。あまりの規格外っぷりに驚いちまったが、まあ、当初の目的は達成した。この通り、な」
偽物がそう言うと、鞘に収まったままの布都御魂が彼の手にも顕現した。
「では、決闘を始めても良いか?」
「ああ、いいぜ。どこからでもかかってきな」
「では――行くぞ!」
刹那、建御雷は偽物の腹に、キレのあるパンチを見舞った。
「ぐは……っ!」
全く反応できなかった偽物は、その攻撃により勢い良く飛ばされ、受け身を取ることすら叶わず、地面に落下した。
その衝撃で、滅多なことでは傷一つつかないはずの高天原の地面に大きなクレーターが出来る。
(なんつー速度、怪力、技術だよ。一体今のだけで、何度破壊と再生を繰り返したんだ。俺の身体!?)
そんなことを思っている間にも、建御雷は迫り来る。
偽物は急いで、複製した布都御魂の権能を発動する。距離も強度も関係なく敵を切り裂く刃――しかしそれは、建御雷の持つ布都御魂によって完璧に防がれた。
(同じ権能を使い相殺したか……。しかしこちらの剣は劣化した複製品。なのに相殺するに留めたってことは、未だ手加減されてやがる……。
この神は勝つことよりも、この決闘を長引かせ、存分に楽しみたいと思っているのだろう。それなら――)
偽物は布都御魂の柄を強く握る。こうなれば引き抜くしかない。
鞘に納めたままでも無敵の権能を誇る最強の剣。ならば、この剣を抜いたとき、どれほどの力が生じるのか――。
「ふむ、布都御魂を抜くか。ならばこちらも抜くしかあるまいが……しかし如何に我とて、剣を抜いてしまえば加減はできん。すぐに勝敗が決まってしまうが……それでも抜くのか?」
それは駄目だ。あまりの恐怖に、心臓がバクバクいっている。この神が加減をしなくなったら、完全に詰みだ。あの神が放つ闘気を見るだけで、それが分かってしまう。
今すぐ逃げ出してしまいたいが、しかし、ここで逃げるわけにはいかない。こちらには切り札がある。計画は最後までやり遂げなければ。
「ああ、そうだな。だが、その前に、こいつらを出しておかないとな」
偽物は、二振りの剣を顕現させる。
「それは……まさか!」
偽物が顕現させた神器。
それは、神剣・羽々斬と蛇剣・都牟刈の複製品だ。
そして今、手元には布都御魂の複製品もある。
この三振りが揃ったのなら。
「神器の中には、纏めて用いることで力を増幅できる組み合わせがある。一番有名な例で言えば三種の神器だが――」
冷や汗を流しながら、それでも精一杯強がって、偽物は自らの優位を示す。
「神剣・羽々斬、蛇剣・都牟刈、そして布都御魂。これらは神代三剣と呼ばれる代物だ。つまり、揃えばそれぞれの力は増幅され、途轍もない力を発揮する」
建御雷は戦慄した。たしかに、いくら劣化の複製といえども、神代三剣が揃ってしまえば防ぎようがない。ならば、全力で避けるしかない。
しかし今は決闘の最中だ。相手に背中を向けるつもりはない。あの力の届く、ギリギリの範囲まで退き、そこから一瞬でカウンターを決める。
普通の神ではそんなこと不可能だが、しかし建御雷の速度なら、ギリギリで間に合うかもしれない。
そして、神代三剣の力は解放された。
建御雷はただの一蹴りで途方もない距離を移動し、力の及ばないギリギリのラインまで後退する。しかしその目線はあくまで偽物を睨み付けたまま。反撃の隙を一瞬でも見逃さないように。
しかし、それは失敗だった。
「中空の術式」
もしも建御雷が、乱戦の途中であれば、この程度の罠などすぐに気付いただろう。しかし彼は決闘中、相手のことしか見ていなかった。
だからこそ、彼は自分から、中住古久雨の中空の術式の範囲内に入り込んでしまったのだ。もっとも、彼は中住古久雨のことも、中空の術式のことも知らなかったのだから無理はないが。
(我が取り込まれていく。なるほど、あの大量の神々はそういうことか。大方、神産みの権能を持った神でも取り込んだのだろう。しかし……)
建御雷は中空の術式に取り込まれながら、現在の状況を把握した。
(最初からすべて計算済みだったとは。決闘をしていると思い込んでいたのは我のみで、本当は二対一の勝負だったのか。いやはや、なかなかに――)
狡猾な罠に嵌められ、それでも尚、建御雷は恨む事なく、
(天晴れだった。二千年以上もの時を生きてきたが、ついぞ、我に傷をつけられる者はいなかった。そんな我を取り込むとは、本当に良い策略だ)
初めての敗北に満足そうに笑って、
(ああ、我は遂に、負ける事が出来たのだな――)
古久雨の中に取り込まれていった。
◇◇◇
「これが、神代三剣の力――」
まさに大量破壊兵器。そのあまりの強さに偽物は戦慄していた。
こんなものを自分が使ったのかと思うと、恐ろしい。それもその筈。偽物のもとになった麻布灯醒志は、神になる前まで普通の高校生だったのだ。こんな大それた力を持つことに、恐怖を抱かないわけがない。
(これからは、この類の力は極力使わない方がいいな。俺程度じゃあ流石に使いこなせない)
偽物はそう心に命じ、その場を後にした。
(さて、次の作戦に移るとするかねえ)
そう。これ程の戦いをしておきながら、彼はまだ戦場に赴くつもりなのだ。
これは本物の麻布灯醒志にも言えることだが、彼らは大それた力を普通に恐れる癖に、それでも戦いには赴くのだ。
傷つく事を恐れずに、どころか、傷つく事を求めるように。
無理矢理に理由を探してまでも。
それは、神になったことによる奢り故か。それとも――
罪責意識、自罰意識がそうさせるのだろうか。