第二十二話 神vs悪魔憑き
「ぐは……っ!」
素戔嗚の攻撃を相殺しきれず、マモンは弾き飛ばされる。
「はあ、はあ……」
「おいおい、大口叩いていたわりに大したことねえなあ」
「く……ひゃはっ、多神教とは言っても、流石は神なだけある。完全な力を取り戻していないオレでは、全く歯が立たないか……」
苦しそうに、されど笑みは崩さないマモンに対して、素戔嗚はつまらなそうに答える。
「はっ、性能を言い訳にしているようじゃあ、全くもってなってないぜ。
地力に天と地ほどの開きがあろうが、どれほど経験に差があろうが、戦う理由があるんなら無様に足掻いて、勝利を勝ち取ってみせる。
そんくらいの気概がなきゃあ、いくら力があっても戦いには勝てねえよ。
まあ、俺だってそれを知ったのは、ごく最近のことなんだがな」
「麻布、灯醒志のことかあ……? 随分、あいつを買っているようだが」
「そりゃあ俺を倒した男だからな。地力でも経験でも、俺に全く及んでいなかったのに、だ。
いや、なまじ全くの素人だったからこそ、絶大な戦力差に屈することなく戦い続け、勝利を勝ち取ったのかもしれん」
「ひゃ、はっ……知るかってんだよ、そんなこと! オレはなあ! オマエみたいに分かったようなこと言って、上から目線で説教してくる奴ぁ大嫌いなんだよ!」
その叫びと共に、マモンの右手が悪魔のそれと化す。
「挙句の果てには逆ギレか。どこまでもつまらない奴だ」
「黙れえっ! これで終わりだ。強欲の腕アッ!」
「遅えよ」
その手のひらが素戔嗚の身体にめり込むよりも速く、素戔嗚はマモンの腕を切り裂いた。
「ガ、アアアッ!」
叫び、マモンは後退る。
「結局おまえはその程度だ。ほら、そろそろ観念して、黒霊衆の目的を吐け」
そう言ってマモンの方を向くと、マモンの右腕が再生し始めていた。
素戔嗚は、やれやれと溜息を吐く。
強欲の腕は、全く効かなかったというのに、また性懲りもなく、同じ技をやろうというのか。あまりに愚かしい。
しかしすぐさま、その考えは誤りだと気づく。何故なら。
再生した腕は、あの悍ましい悪魔の腕ではなく、変化する前の人間の腕だ。つまりマモンは、自らが憑依している少女の腕を治癒したのだ。
なるほど。膨大な霊力を持つ悪魔ならば、体を治癒することも可能だろう。しかし、理由が分からない。
この少女の意識は既に、悪魔マモンのものだ。
悪魔にとって、憑依する人間はただの容れ物でしかない。要するに、死にさえしなければいい筈なのだ。
人間の腕など、神や悪魔といった次元の戦闘では全く必要のないもの。腕が切断されたなら、止血だけしておけばいい。
再生させれば、その分余計な霊力を消費する。戦闘が終わってからゆっくりと再生させるのが常道だ。
なのにこの悪魔は、容れ物の少女を優先した。
思えば、これまでの戦闘でも、こちらの攻撃を相殺しきれず、衝撃波で飛ばされた時、必要以上に、体にダメージがいかないような霊力運用をしていた。
死ななければそれで大丈夫な、あくまで依り代に過ぎない体を、傷つけないよう大切に守っていた。
完全に合理的でない、しかし、一貫して守られているこの行為。この悪魔は、何かがおかしい。
「……ず……な」
項垂れたマモンの口から、大地を震わすような、憤怒の声が放たれる。
「こいつの身体を、傷つけるなああああ――っ!」
刹那、疾風の如きマモンの突撃が、素戔嗚を地面に押し倒した。
そして、素戔嗚の剣を持つ方の手を、マモンの霊力が押さえつける。
睨み付けるマモンに対し、素戔嗚は憐憫の眼差しを向けて言った。
「さっきは、つまらない奴だなんて言って悪かったな。おまえは、本当に強い。俺よりも、そして俺を下した麻布灯醒志よりも、だ」
「煽てたところで、容赦はしないぞ。それに、おまえの動きも、剣を持つ手も封じた。今度こそ、この攻撃を防げまい」
悪魔のものへと変化する右腕。
先程治したばかりのものを、再び斬るのは流石に心が痛むが、しかし、抵抗しないわけにはいかない。
「来たれ大蛇の剣。八岐の頭を以て、眼前の輩を贄とせん」
抑えられていない方の手に、もう一振りの剣が顕現する。
「な……っ!」
「悪いな。剣はもう一本あるんだよ。……神器開放」
剣から霊力が溢れだし、マモンを弾き飛ばす。
飛ばされたマモンの霊力は、やはり器となる少女を守るように展開し、地面に叩きつけられるのを防いだ。
「クソ、やはり勝てないってのか」
「ああ。おまえは強いが、相手が悪かったな」
素戔嗚は無慈悲に、二振りの剣を振り上げる。
刹那。
何者かが素戔嗚に斬りかかった。
「……!?」
素戔嗚は反射的に二振りの剣をクロスさせて防御する。
「やはり奇襲でも殺せないか」
「麻布灯醒志……! いや、神産みの権能で生み出された偽物か。しかし思い上がったな黒霊衆。我らが妣を取り込んだばかりか、あまつさえその力を利用するとは」
こいつは抑霊衆の拠点をだまし討ちに行くと予想していた。だからこそ本物の麻布灯醒志をあちらへ行かせたのだが……
鍔迫り合いをしながら、素戔嗚がそう思考を巡らせていると、
「いや、その心配はない。俺は抑霊衆の騙し討ちに失敗して、こっちに来ただけだ」
その思考を推測したのか、偽物が返答する。
しかし、素戔嗚としては、このまま鍔迫り合いをしておくわけにはいかない。
目の前の敵が麻布灯醒志をベースに生み出されたのなら、こうしている今も、素戔嗚の神器の霊力は吸い取られているはずだ。このままでは、どんどん不利になるばかりである。
故に、素戔嗚は蹴りを放った。
「おっと」
偽物はそれを避けるため、大きく後ろを下がる。
「流石に一度、俺と戦って負けた神だ。この神器の対策は、既に完璧ってとこか」
「それはそうだ。灯醒志の神器は霊力を吸い取る、強力だが使いどころの難しい刀。初見殺しではあるが、種が割れたら対策はしやすい。それと――」
素戔嗚は、鋭い目つきで偽物を睨み付け、言った。
「間違えるなよ阿呆。俺が負けたのはおまえじゃない。おまえのオリジナルの方だ」
「はっ、そうかよ。まあ、その通りだわな。こちらの権能が知られている以上、俺に勝ち目はない。だが――」
偽物の方は、素戔嗚を睨み返し、されども余裕の笑みを浮かべたまま、
「逃げる事くらいなら出来る。おまえはまだ、こちらの神器開放を、見た事はないだろう」
スッと、妙刀・神薙を掲げた。
「それじゃあ行くぜ。神器開放、眩法・陽射」
刹那、凄まじい閃光が迸った。
それと同時に、
「俺はこれでおさらばだ。悔しかったら次の戦場――高天原に来い。まあ、そん時おまえの相手をするのは、俺じゃないかもしれないがな」
偽物の挑発的な声が響いた。
そして、光が収まり、素戔嗚が目を開けると、麻布灯醒志の偽物と、マモンの悪魔憑きの姿は忽然と消えていた。
一人残された素戔嗚は、ポツリと呟く。
「特殊な権能を持つ神器だが、肝心の神器開放は唯の目眩ましか。なるほど、あいつらしい神器だが、しかしそれにしても――」
妣の権能を奪った霊能者、その権能によって生み出された灯醒志の偽物、そして、強い意志を持った悪魔。
そのあまりにも特殊な面々を思い浮かべる。
「やれやれ、とてつもない脅威だぜ、黒霊衆とやらは」
だけど、その実、奴らは多分、とてつもない能力を秘めた超人などでは決してない。
変えられない運命に醜く抗う、ただの人間だ。誰よりも弱かったからこそ、誰よりも力を手に入れた。
あの悪魔と戦って、何故だか素戔嗚は、そう思ったのだ。
「この戦い、一体どうなることやら。まあともかく、さしあたっての戦いの舞台は」
素戔嗚は、懐かしそうに呟く。
「俺が暴れて追放された地――高天原か」