第二十一話 偽物
外が明るい。どうやら朝のようだ。
「ん、ん~」
起きなければ。私――巫御美は、そう思って身体に力を入れる。
途端に、凄まじい倦怠感が私を襲った。
「う~」
何せ、神と闘い、その後すぐに拉致され、さらに黒霊衆と戦ったのだ。一晩寝ただけで疲れが取れる筈もない。しかし、これから黒霊衆への対策を練らなければいけない。頑張って起きねば。
そんな風に、二度寝に誘おうとする布団と格闘していると、
「おじゃまします」
麻布さんの声がした。
「あ、ちょっと待っててください」
私はそう言って布団から出る。まだ完全に覚醒しない頭でどうするか考えた結果、あろう事かそのまま直に玄関まで行ってしまった。
「おはよう、巫……ってそんな急いで駆けつけなくても、寝起きならそうと言ってくれればよかったのに」
「あ、ち、違うんです、これは、その……」
改めて自分の格好を見ると、寝間着ははだけ、髪はボサボサしていて、とても人に見せられる状況じゃなかった。
うう……恥ずかしい。
「そ、そういえば、十六夜さんはどうしたのですか?」
無理矢理話題を逸らし、そう聞く。
すると、
「いや、実はちょっと厄介なことになっちまってな」
頭を掻きながら、麻布さんは言う。
その様子に違和感を覚えた私は、麻布さんに応えを促した。
「一体、何があったのですか?」
「いや……それが、実は……」
そう言った麻布さんの顔に翳りが見えた。刹那。
害意のある霊力に反応する、私の自動防御術式が反応した。
「かは……っ!」
何が起こったのか分からないまま、私は後ろの壁に叩きつけられた。
その衝撃で呼吸困難に陥りながらも、必死に頭を整理する。
普段の自動防御術式は、霊力の消費を抑える為、戦闘時に使うものよりも簡略化されている。しかし、それでも通常の霊や妖怪の攻撃ならば、問題なく防げるだけの強度はある。
その防御術式が反応したにもかかわらず、私はダメージを受けている。つまり、かなり強い攻撃が放たれたという事。そうなってくると、攻撃してきたのは高位の霊能者か、あるいは神か。それは、つまり――
「麻、布さん……?」
乱れる呼吸を必死に整えながら、私は問いかける。そう。犯人がいるとしたら目の前の人物。いや、目の前の神様しかいない。
「なんで、こんな……」
「なんで、か……そうだな、強いて言うなら……」
麻布さんは、はあと溜め息を吐いて、
「巫と素戔嗚の戦闘に割り込み、致命傷を負った後、巫のおかげで死をまぬがれたけどよ」
皮肉気に笑いながら言った。
「俺は、あそこで死んでもよかったんだよ、巫」
刹那、麻布さんの周りに黒い靄のようものが噴出した。これは穢れだ。
穢れに覆われた霊体――真っ先に思いつくのは悪霊だが、しかし、先程私に繰り出された一撃、あれは紛れもなく、神様クラスの霊力がないと繰り出せない威力だった。
そもそも、理性を持って喋っていた時点で、悪霊と異なる存在である事は確か。ともかく、一つだけ確実に言えることは――
「あなたは……麻布さんじゃ、ない……っ」
「頭が回らないな、巫。それともまだ寝ぼけているのか? 俺は、正真正銘麻布灯醒志だぜ。まあ、おまえの知る麻布灯醒志ではないかもしれないがな」
「それは、一体どういう……?」
「説明してやりたいのはやまやまだが、他の抑霊衆の連中に気付かれてこっちに来られても面倒なんでな。大声を出せるレベルまで回復する前に、サクッと息の根を止めてやるよ」
そう言って、麻布さんの偽物は手を振り上げた。
「……っ!」
咄嗟に術式を構築しようとするが、間に合わない。
そして、無慈悲に腕は振り下ろされる。
しかし、その一撃が私を貫く直前。
その腕を、別の誰かが掴み、攻撃を止めた。
そこにいたのは、今度こそ本物の――
「麻布さん!」
「悪い、巫。遅くなった」
本物の麻布さんは、そう返答し、そして。
偽物を睨み付けた。
偽物も同じように本物の麻布さんを睨み付ける。
その間の空気は、常軌を逸した程の、ドロドロの嫌悪感に満ちていた。
人間、ここまで人を嫌いになれるものなのか。それ程の嫌悪が、この二人の間からは感じられた。
体感的には永遠にも等しい程の、しかし実際は刹那の睨み合いの末、それぞれ握っている手、握られている腕とは反対側の手に、妙刀・神薙が現れた。
両者は全く同じタイミングでそれを振るう。
そして、互いの妙刀・神薙がぶつかったと同時。
二人の身体は、反発し合うように後ろに飛ばされた。
「なるほど。そういえば、神器同士がぶつかって、それぞれの概念が矛盾をきたす場合、概念が競合を起こして互いに反発すると素戔嗚が言っていたな。こうなるのは当然か……。だが、そんな事よりも――」
偽物は、麻布さんを睨み付けて言った。
「もう一人自分がいるってのはこんなにも苛立つものなのか」
「何がもう一人、だ。おまえは僕の霊力に影響を受けた穢れが、神産みの権能で実体を得ただけだろう」
神産みの権能? 麻布さんは今、そう言ったのか?
「マモンから聞いたのか。しかし滑稽だな。
ただでさえ取り返しのつかないほど醜悪な馬鹿が、よく分かってもいないのにそんな専門用語を口にするなど、愚かしいにも程がある。
それに、もう一人の自分という表現は間違ってなどいない。俺の人格は、言わば僕の負の感情で構成されているからな」
「僕の、負の感情……?」
「ああ。僕が心の内で抱えている、ドロドロとしたどす黒い感情。それが穢れと親和性を持ったために、俺は生まれた。
まあ、おまえにとっては何よりも見るに堪えない存在だろうがな。そして、それはこちらにとっても同じこと。
嘘で塗り固められた僕など、悍ましすぎて見るに堪えない。何を良い人振ってやがるんだ僕は!俺は、これ程までに腐っているというのに!」
「僕の負の側面、か……。たしかに俺は、荒れてた頃の僕にそっくりだよ。今すぐ叩きのめしたくなる程に、不愉快だ」
「なら、言葉は不要だな」
「ああ」
そして、二人は同時に突撃の体勢をとる。しかし。
「その戦い、待った」
久しぶりに聞く声がした。
声のした方を向くと、そこにいたのは、抑霊衆の頭領にして、神を生み出す御札をつくりあげた、史上最高峰の霊能者。
そう。彼こそが――
「お初にお目にかかるね、麻布灯醒志君。僕の名前は伊梨炉秀だ。以後、お見知りおきを」
伊梨さんはそんな風に名乗ってから、コクコクと頷いた。
「うんうん、それにしても、ちゃんと有効活用してくれたようだね。僕のつくった、神を生み出す御札を」
ああ、相も変わらず、わざとらしいというか、作ったような声色で話す人だ。まったく感情が読み取れない。
そんな伊梨さんに対して危機感を覚えたのか、
「はっ、これは流石に俺も分が悪い」
麻布さんの偽物はそう言って、自身の神器を真上に掲げた。
そして――
「神器開放…………眩法・陽射――!」
その叫びと共に、凄まじい閃光が発せられた。
「きゃ……っ!」
私は思わず目を瞑る。
光が消えてから目を開けると、既に偽物はいなくなっていた。
「なるほど、単純な目くらましだけじゃなく、霊力による探知からも逃れるとは、なかなか良い特性だ」
伊梨さんは何事もなかったかのように一人で納得し、
「さて、それじゃあ黒霊衆討伐の作戦会議でもするとしようか」
そんな風に、私達に向かって言った。