死んでからのゲームライフ
瞳に映るのは、画面の中を縦横無尽に暴れ回るプレイヤーキャラ。耳に届くのは、手元から響くカチャカチャというコントローラーの音。
ひとり自室でゲームをしている状況というのは、とてつもなく意識が集中している瞬間である。
と、透は常々そう思っている。そして、夕食で腹を膨らませて風呂に入って汗を流し宿題も済ませ明日の準備も整えた夜、ひとりゲームに興じるのは透の日課とも言える日常である。
いや、正確には――そうだった。
「ねえ、なんで先に進まないの?」
不意に背後から聞こえてきたのは疑問の声。透はその声に答えず、画面を見たまま操作を続けた。
「んん? そっちって、まさかセーブポイントに帰る気じゃないよね?」
「その通りですよ。今日はもう終わり。先には進みません」
「えぇー、なんで? まだまだやろうよ」
「やですよ、もう眠いし。成長期の少年はよく寝ないといけないんです」
背が低いまま大人になっては困る。
透の視線がベッドの傍に置いてある時計に向いた。あと一時間もしないうちに日付が変わる。
「いいじゃない日を跨いでも。徹夜するとまでは言ってないんだからさ」
「そりゃつぐみさんは平気だろうけど、僕は明日も学校に行かないといけないですもん」
「まだ若いんだし徹夜ぐらい平気平気!」
「え、徹夜させる気なの……?」
「いや、それは……えーっと……まだ中学生なんだから授業中に寝ても大丈夫だって! あとからいくらでも挽回できる!」
「『ツグミの交渉は失敗した』」
透はゲームの無慈悲なテキストメッセージを頭に思い描きながら、背後からの嘆願を切り捨てた。そうこうしている間にセーブは終え、さっさと電源も落としてしまう。
「あぁぁああ……わたしの至福のゲームタイムが」
「そんなつぐみさんに朗報。自分でやるのが一番だと思いますよ」
「……それを言っちゃうのはひどくない? デリカシーないよ透くん」
「デリカシーって問題かな?」
透は座ったまま背筋を伸ばし、そのまま自分の背後――正確にはその少し上――を向いた。そこには、ジト目で口を尖らせている半透明の女性が浮かんでいた。
「幽霊にはできないってわかってるんだから、十分デリカシーの問題でしょ」
「そうです?」
「もう出会って二週間も経つんだから、言っちゃダメなことはきちんと覚えとかなきゃ!」
「ゲームの無理強いも『ダメなこと』にカウントしてもらえませんか?」
宙に浮かぶ幽霊に、透はスルーされるであろう提案をしてみた。
テレビゲームが趣味の取り立てて特別でもない男子中学生である平尾透に特別ななにかが起きたのは二週間前のことだった。
学校からの帰り道で、ひとりの女性に声を掛けられたのだ。
これはまだ特別でない。
長い黒髪が印象的な長袖のシャツとロングスカート姿の二十歳前後の若い女性で、これまた特別ではない。
特別だったのは、その女性の体が透けていたことである。
幽霊じゃん! と透は思った。脳内でエンカウントの音が鳴る。
そしてその幽霊が口を開く。
『ゲーム、好きですか?』
ヤバそう!
すわ幽霊とのデスゲーム開始かとビビったものの、話を聞けば相手は単なるゲーマーだった。幽霊だけども。
そして、これまで誰にも姿を認識してもらえなかった云々ゲームに未練がある云々あなたはきっと波長の合うゲーマー云々といった取説に書かれるような基本設定の開示的プロセスを経て、ゲーマー幽霊の佐原つぐみはただのゲーム好きな透の家に同居することになったのである。
その日から透の生活はつぐみの存在という一点によってわりかし特別なものになったのだ。
「眠いぃ~~~~」
登校して早々、透は自分の机に突っ伏して弱々しい声を上げた。
「例の幽霊か?」
隣の席の友人がなんでもない調子でそう尋ねる。つぐみのことは出会った三日後に友達に話してある。荒唐無稽な現実ではあるが、ある種のゲーム脳かリアル中二病のせいか全員に一応事実だということで理解されている。
「自分の都合でやめればいいだろ。無理してゲームしてもだるいだけだ」
「いや、ゲーム自体はほどほどでやめたんだけど、僕がベッドに入ってからも天井の隅でぶつぶつなにか言ってて寝づらかったんだよね」
「そりゃやだな」
暗い部屋でネットを見ないのは多少の配慮かもしれないが、子守唄代わりに幽霊の漏らす呟きを聞かされるのは苦痛でしかない。
「自分でゲームができればこんなことで苦しまないんだけど」
「そしたら透がやらない間はゲームし放題だもんな」
つぐみはゲームをプレイしたいという欲求、つまりは未練によってこの世に留まっている幽霊だ。その未練を解消するにはゲームをするしかないのだが、残念なことにつぐみはコントローラーが持てない。
「まさにいまとかな。学校行かなくていいし完全に自由じゃん。羨ましー!」
透もそれには同感だ。なんとも理想的なゲームライフ。
「実際にはそうじゃないけどね」
「でも、それっておかしくねーか? 本当にコントローラー持てねーの?」
「体が透けてるんだし、そりゃ持てないよ。前に、皆が言うようなエロい事はできないよって話もしたじゃん」
「それはそうかもしれねーけど、幽霊って直接触らなくても物を動かしたりできるもんじゃん。ポルターガイスト的なやつの応用で、こうボタン押したりスティック操作したり」
「あー……」
なるほど確かに、幽霊ならそんなことができてもおかしくはない。漫画やゲームで得た知識ではそのはずだ。
「となると……」
透は想像する。
部屋の中、つぐみはひとりでゲームをする。
そう、正座をして背中を丸めて前かがみになり、フローリングに置いたコントローラーを穴が空くほどの眼力で睨むように見つめて、その黒髪はコントローラーを絡め取るように下へと伸び、小さく開かれた口からは呪詛のような呟きが延々と――。
「怖いよッ!」
「どうした急に!?」
透の声のデカさに友人がビビる。
これはいけない。いまの想像は少しばかり幽霊という要素に捕らわれ過ぎた。あと、昨日のつぐみの姿に引っ張られた感もある。
いまのは間違いだ。仕切り直すべし。
もっと元気な姿を思い描こう。念願のゲームができるのだからつぐみだって気持ちが昂るはずだ。同じゲーム好きとしてその気持ちは透にもよく分かる。
気を取り直して、透は想像する。
部屋の中、つぐみはひとりでゲームをする。
そう、コントローラーに触れる必要がないんだから、きっと座ってなんかいられず思わず立っちゃったりして、戦闘なんて始まったらガンガンテンションが上がって身振り手振りまでついちゃって、次第にコントローラーだけじゃなくて部屋の中の他のものまで動かしてなんだかこれって暴風雨みたいな――。
「やめてぇッ!」
「なにされた!?」
どちらにせよ怖い。というかむしろそんな想像をする自分の頭が怖い。
ただでさえ眠いというのに、透は朝から妙な疲労感を覚えてしまった。
透がそんなポルターガイストを妄想している頃、当のつぐみは透の部屋でひとり考えていた。
どうすれば自分でゲームがプレイできるのだろうか。
昨晩透に改めて言われたことで、つぐみはその問題に立ち向かおうとしていたのだ。
幽霊だからコントローラーが触れない。それがいけないのだ。だったら、幽霊だからこそできることでその代替とするしかない。
しばし考えたのち、つぐみはふと気づいた。
幽霊って、マインドコントロール的なことができるんじゃない?
怪談話とかでは意識が朦朧として霊に操られてたとかいう人が出たりするし、頭の中に直接語りかけて操ったりできるんじゃ?
「それなら透くんを操ってゲームができるじゃん!」
思わず声とガッツポーズが出た。
ちょっと大きなコントローラーになるがこれならいける、と透の想像よりもよほど怖い考えに至っていた。
「いや、普通に断りますよ」
透は座ったままじりじりと後ずさる。
「うそうそ、これは思いついちゃったってだけで実践しようってわけじゃないよ」
あははー、とつぐみは能天気に笑っている。
学校から帰りやることを済ませてさてゲームでも、となったところでつぐみから幽霊に因る洗脳じみたゲームプレイ方法を聞かされた透は若干引いていた。物を動かすのではなく人を動かす方に行き着くのは知識や発想の差か、それとも性格の差か。
「そのあともといい案を思いついたから、これはなし!」
「それがなかったら僕は実践されてたんですか?」
「その案とは~~」
スルーののちに、つぐみは自信満々に言う。
「わたしが透くんに憑依するのです!」
「うわぁ……」
「なにそれ!? 驚きとか困惑じゃないの? なんでそんな不快感でちゃったの?」
「それ、つぐみさんと会った時から考えてましたもん。憑りつかれて体を乗っ取られるんじゃないかと思ってビクビクしてましたし」
「えっ、そんなに怖がられたんだ……」
「そりゃ幽霊ですもん。なにも知らなければ普通は存在自体が危険だと思いますよ」
「それ初耳だよ」
「一般的じゃないですか? ――それより、とうとう僕の体を乗っ取る気に?」
「乗っ取りじゃないよ。ちょっと借りるだけ。ゲームする間だけだから」
「その間だけですか?」
「ねっ、いいでしょ?」
「いやです」
透はきっぱりと言い切った。
「なんで? 体に入られるのが嫌? でも男女逆のパターンよりはまだ忌避感は薄いと思うんだけど」
「そうじゃなくて、僕がゲームをする時間が減るじゃないですか」
「ああ…………うん、そうだね」
ゲーム好きとしてあっさりと共感が生まれた。
「確かにそれは由々しき事態だね」
「その一点で僕は拒否します。百歩譲ってつぐみさんのプレイしてるゲーム画面を僕が見られるならいいですけど、憑依されることで意識が完全に飛んだりするなら絶対いやです」
そうなってしまえば透は自分の時間ひいては人生を一部失くしてしまうことになる。
譲歩する構えが一切ない透に対し、つぐみは額に手をあて眉間に皺を寄せる。そうやって束の間思考し、
「それなら一部だけ憑依しよう」
再提案。
「なんですかそれは?」
「こう全身でひょいっと入るんじゃなくて、わたしの手だけを透くんの手にひょいっと入れてそれでコントローラーを動かすの」
「ひょいっはよくわからないですけど、それができるなら別にいいですよ」
「できるできる。よし、それでいこう」
スピード可決の結果、さっそく部分憑依は実践された。
コントローラーを持って座る透の背後からつぐみが覆い被さるように手を伸ばし、そして透の手に重ねる。さながら二人羽織である。
「うわっ、勝手に動く」
「おー、できるできる。動かせるよ。っていうか微妙に手が小っちゃい」
「え?」
「あっ、ちょっとやめて。手に力入れないで、動かないから。――ごめんごめん小っちゃいって言わないから」
仕上がりは上々。なんの問題もなくつぐみは自分の意思でゲームをプレイできている。
「こんな簡単にできるならさっさとやってればよかったですね」
「ああぁぁぁ」
「ちょっと泣くのはやめてもらえませんか。耳元で嗚咽が聞こえるのいやなんですけど」
感涙しているつぐみを諌めつつ、しかし多少の満足感を得ながら透はゲーム画面を見る。思いがけず人助けができた気がして、少しばかり晴れやかな気分である。
その後、透のプレイ時間を完全に無くしてまでつぐみにゲームをさせたのち、それでもまだやりたいと駄々をこねるつぐみをどうにか説得して透が床に就いたのは日付の変わった午前一時だった。
翌朝、覚醒を始めた透の意識は妙な体のだるさを感じ取った。
そして、耳に届く聞き慣れた声。
「ごめん。本当にごめん。この通りだから。反省してます。出来心でした。自分に甘かったです。金輪際二度としません」
ゆっくりと瞼を開ければ、目の前にはつぐみの姿があった。
「んん?」
煌々と明かりのついた部屋の中、目の前の幽霊はなぜか空中で土下座をしていた。おまけに、なぜか透は布団の中ではなくフローリングに座っている。手にはコントローラーまで持って。
状況を理解するのには一分程度の時間がかかった。
「……つぐみさん」
「寝ちゃってたからいいかなー、とか思って。びっくりするぐらいあっさり憑依できたし、むしろそれでテンション上がっちゃった部分もあって。本当にごめんなさい!」
全力の土下座を繰り返すゲーマー幽霊。
そう、相手はゲーマー幽霊だ。
透はなんだか笑えてきた。
さすが幽霊になるだけの生粋のゲーマー。その情熱は並ではない。
同居人のゲーム好きっぷりを再確認しながら、透は今日も寝不足の目をこすった。